第6話◇カオスドラゴン! カンベンしてください!


 扉が開いたところには、黒い死があった。


「ひっ……」


 息を飲んだらもう吐き出せない。膝に力が入らない。立っていられない。ダメだよこれは。

 大きな大きな黒いドラゴンの頭。ゆっくりと色を変えていく瞳。赤、青、黄色。いろんな色を封じ込めて少しずつその色を変える瞳が、私を見ている。探るように見つめている。

 私はペタリと座り込み、口をアワアワと動かすことしかできない。


 私は蟻だ。この目の前の巨大な生き物から見れば、踏み潰されるだけの小さな蟻だ。怖くて逃げ惑ったアイホーンなんて、メじゃない。あんなの恐怖の表面をちょっと舐めただけだ。だって走って逃げることはできたもの。

 これが恐怖。これが絶望。潰されて消える未来しか思い付かない。逃げればいいと頭で解っても、もう身体は逃げることを諦めている。

 気が遠くなる。これで終わり。プチっとされる。息ができない。助けて。誰か。


【ふむ、なかなかに鋭敏だ。鈍くて怖いもの知らずよりは余程、見込みがある。見えているのが何かよく解っているようだが、ちと、飲まれ過ぎか】


 セキぃ。ゴメンね。地上に連れて行けなくて。もうダメ。死んじゃう。


【ミルよ、少し身体を借りるぞ。良いか?】


 え? 身体を借りる?

 意識が遠のきそうになるとき、フッと感じる威圧が、恐怖が和らいだ。


 私の身体が立ち上がる。身体が勝手に動く。


「久しいな、モーロック」


 私の口が、私の声で喋る。私が思いもしないことを。


「お久し振りで御座います。魅刀赤姫様」


 黒い大きなドラゴンが私に恭しく頭を垂れる。


 自分の身体が勝手に動く。私はその自分の身体に乗っかっているような、不思議な気分。さっきまでの心臓を潰されるような恐怖が、通り過ぎたように無くなった。あれ?


「ん?」


 私の右手が私の股間を触る。手を持ち上げて見る。濡れている。


「……漏らしたか」


 しょーがないでしょー! 漏らしたってー! 怖かったんだからー! 


「頭の中で騒ぐな。やかましい」


 あ、これ聞こえてるのか? どうなってるんだコレ? どうにかなるのならこのままセキに任せていいのかな?


「そうしろ。私が話をつける」


 お願いします。あー、アイホーンに追っかけられたときも、少しチビったんだけど、今は全部出ちゃったみたいでパンツもズボンもぐっしょりだ。とほほー。おもらシーフとか呼ばれたく無いなー。


 私の身体が前に進む。通路を出たところはでっかい広間。というか闘技場のようなとこ。天井が無い。空が見える。夕日に照らされるような、オレンジ色の空が。地下なのに、どういうこと?


「後で説明してやろう」


「これはどういうことですか? セキ様?」


 黒いドラゴンが話しかける。よく見たら肩とか眉間にキズがある。あちこちにキズ跡がある。さっきより落ち着いて見れるから、黄金の角とか色の変わる瞳が綺麗に見える。歴戦のドラゴンっていうの? というか、このドラゴンにキズをつけるって、誰ができるのやら。


「おかしな気配があると来てみれば、宝物庫より貧相な人間の小娘がひとり現れる。どうやって入り込んだかは解りませぬが、その腰に魔王様の愛刀を携えている。セキ様がその小娘の身体を乗っ取りましたか?」

「モーロックよ。怒気を収めよ。これはモーロックの役目に泥を塗る事態では無い。事故というか稀に見る珍事よ」


 セキは私の身体でドラゴン、モーロックさんに説明を始める。私がアイホーンから逃げて転移罠テレポーターの宝箱を蹴った顛末を。

 モーロックさんは真剣に聞いてたけど、途中からは首を捻ったりして、目の瞬きが多くなった。


転移罠テレポーターの事故とは、この120年、そんなおかしなことは1度も無かったことですが」

「何度もあれば、宝物庫の中は荒らされてモーロックも忙しいことになっておったろう。だから言ったであろう。これは珍事だと」

「しかし、何故セキ様がその小娘に肩入れを?」

「単に飽きただけよ。宝物庫の風景に。それにこの小娘には見所がある。我が刀術を伝えても良いかと思っての」

「なんの力も無さそうな貧弱な人間のようですが?」


 貧相とか貧弱とかなんの力も無いとか、ボロクソに言われてますのん、私。


「この娘の素質、なかなかに侮れぬ、と、感じたのよ」


 セキ様! マジですか? 落としてから上げられるとなんか数倍嬉しいよ?


「それと、この小娘について行けば地上を物見遊山できるかも、と。それで我が主とした。仮ではあるが」


 ですよねー。そーですよねー。そっちが目的だよね。主(仮)だもんね。セキの言うことに黒いドラゴンがグワッと頭を上げる。


「承服できませんな。ワシが使命はこの階層の守護。魔王様の宝物はワシを倒した者にしか渡すことはできません。魔王様の愛刀たる魅刀赤姫もそのひとつ。ワシがここに在るうちはひとつとてこの百層大冥宮の外には、持ち出させはしませんぞ」


 ダメそーだよ、セキ?


「モーロックよ、主君を失ってもその忠義、大儀よの。ならば手合わせと参ろう」

 

 セキは肩を回して、首を回して、足をブラブラさせてピョンピョンとジャンプする。なんだろ、ウォーミングアップみたいなことを。


「我が小娘の身体を使い、モーロックに勝ったならば刀ひとつと剣帯ひとつ、この小娘、ミルライズラが貰い承けるというのは、どうだ?」


 何を言い出してるの、セキさん?

 モーロックさんを見ると、後ろ足で立って腰に手を当てて上体を捻ってる。右に左に。おいっちに、さんし、え? ちょっと?


「なるほど。それなら筋は通りますか。セキ様のお相手などいつ以来でしょうな。この老骨に血がたぎりますぞ。ふん、ふん」


 黒いドラゴンは翼を広げて、それだけで凄い風がこっちに来るんだけど。あ、それ、背伸びですか? 首をグルリンと回して口を開ける。

 怖いんですけど、もしかしてそれ、笑顔ですか?

 ちょっとセキ、なんであのドラゴンさんと手合わせするなんて言っちゃうの。


「肉体言語のやり取りも会話の内だ。それにあの戦闘狂バトルジャンキーとはその方が話が早い」


 言いながらセキは私の身体で腰を左右に振っている。お尻フリフリ、何やってんの。


「身体をほぐしておる。しなやかさはあるか、足はそこそこ早い。悪くは無い」


 逃げ足は早い方だよ。


「胸が軽いと動きやすい」


 やっかましいわ! それで、私の身体でドラゴンさんに勝てるの?


「勝たなければ先に進めん。それにモーロックの方はやる気だぞ」


 それはセキが誘ったからでしょーが。ドラゴンさんの方を見ると、アキレス腱伸ばししてる。目をキラッキラッとさせながら。

 あの巨体に比べてちっちゃい私の身体が何ができるってーの。プチっとされる以外には何も思い付かないよ。

 でも、セキは自信有りそうだし、なんとかなるのかなコレ?


 ドラゴンさんはストレッチが終わったみたいで、ズシン、ズシン、と近づいてくる。デカイよ。私の頭が膝にも届かないよ。見上げることしかできない。


「準備はよろしいですか? セキ様」


 あぁ、うん。ドラゴンの表情とか解んないけど、楽しそうなのはなんか解った。逃げたい。


「あぁ、始めるか、モーロック」


 セキは右手で左腰の刀を抜く。鋼鏡の刀身がキラリと光る。


「ミルよ。よく見ておけ」


 いったい、何を? 


「これが対ドラゴン戦の基礎だ」


 カンベンして下さい!

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