第7話◇セキじゃ無かったら百回くらい死んでるよ!


「先ず始めに、ミルが恐怖で漏らしたことについてだが」


 すんませんねー。でもね、あんなのいきなり目にしたらそうなるでしょがー。


「気絶しなかったところは褒めてやろう。威圧され恐怖で身がすくんだ。足から力が抜けて動けなくなった」


 そーだね。怖くて怖くてそれで頭がいっぱいになって、ぐにゃってなった。


「今はどうだ? 同じようにモーロックに相対しているが?」


 怖いは怖い、けど、さっきよりマシな気がする。なんで?


「人に限らず獣は恐怖を感じると胴体の筋肉が絞まる。これは攻撃を受けたときにダメージを減らすための防御動作だ。腹の筋肉、胸の筋肉を固く絞めて、内臓に被害が出ないようにする、肉の鎧を作る動きだ。首を固くすることで脛椎を守り、脳が揺らされるを防ぐ」


 へー、怯えてすくむのってそんな理由があったんだ。


「だが恐怖のために肉体が制御を離れると、必要以上に身体が固くなる。腹筋に押され内臓が押し上がり、肺と心臓を圧迫する。呼吸ができなくなり血流も阻害される。呼吸不全から意識もまともに働かなくなる」


 はー、難しくなってきたけど、うん、まともに息ができなくなったのはその通りだし。


「あれを見ろ」


 セキが動かす私の身体はずっと黒いドラゴンさんを見ている。だから私もずっとそのドラゴンさんを見てる。


「あの巨体の手が足が尻尾が当たるだけで、ミルの身体には致命の負傷。少しばかり身体を固くしたところでそれは変わりはしない。ならば身体を緩ませてすぐに動けるようにして、回避に専念した方がまだ助かる」


 そりゃ、理屈ではそうだけどね。怖いものは怖いもん。


「その恐怖を肉体の方からコントロールする。我がしたことは胸と腹の筋肉を緩め、横隔膜を下におろして肺と心臓に余裕を作った。呼吸と血流が回復することで恐怖を抑え込める」


 え? 嘘だー?


「怯える、怒る、という緊張を伴う感情のとき肉体は首、胸、腹の筋肉が固く絞まる。それを逆にして、首と胸と腹の筋肉をグニャグニャに弛緩させた状態では、怯えることも怒ることもできなくなる」


 そんなの初めて聞いた。ホントに?


「身体を制御することで精神も同様に制御する。万全の状態で戦うための心身制御法だ。試してみるならば、首と胸と腹の肉を完全にリラックスさせた状態で、『コノヤロー』と怒ってみろ。気の抜けた声しか出んぞ」

「セキ様。御教示はそろそろ良いのではないですか?」

「待たせてすまんな、モーロック」


 黒いドラゴンがメッチャやる気だ。うわぁ。


「いきますぞ、ぬん!」


 ドラゴンさんが気合いを入れる前に、セキが動かす私の身体が、私の身体の中が、グニャッて歪んだ。うぇ? なにコレ、気持ち悪い? 身体の中が水みたいに溶けてグニャニュルンって動いた、ような気がする。

 セキが動いて、ドラゴンさんの目がバシュンと光る。光が消えたときにはセキはさっきのところからは移動してて、すでに離れたとこに立っている。

 で、さっきまで立ってたとこの地面が、闘技場のようなところの固めた砂地が、ジュワッて溶けてて穴が開いてる。これ、なんですのん?


「『視線の光槍』モーロックの得意技のひとつだ。目から光の槍を飛ばす」


 え? 光の槍って、なに? 地面が溶けてるのが、それ?


「これは相手の視線がどこを見てるのかが解れば、かわすことができる」


 できるかぁ! とか私が言ってるときも、ドラゴンさんは容赦しない。バシュン、バシュバシュン、と目から光が飛んでくる。ヒラリヒラリとセキはそれを避けている。


 私はセキが動かす私の身体に乗っかってるような気分なんだけどね。必殺の光線が降り注ぐ中って、生きた心地がしないね。たーすけてー。


「流石はセキ様! 貧弱な人の身体でよくそこまで動けますなぁ!」

「いやいや、それなりには足は鍛えられておるぞ」


 うん。足の速さと手先の器用さだけは、訓練場でもがんばったよ。でも、どうやってかわしてるのセキは? 光の槍なんて。ドラゴンさんの目が光ったら近くの地面がジュワッて溶けてるんですけどー。

 そのセキが動く度に、身体の中がグニャンニュルンって動く。うにゃ、気持ち悪い。私の身体なのに、私がどうやって動いているのかがゼンゼン解らない。足の感覚もなんかフワフワしてて、感触がおかしい。


「おおっ!」


 ドラゴンさんが気合いを入れると、大きな手のひらがこっちに向かってくる。ひい。プチっとされるぅ。


「ただの掌底だ。いちいちわめくな」


 ドラゴンの掌底撃ちはただの掌底じゃないと思うなー。ほら、地面が揺れてバゴォン! てクレーターができてるし。セキはよくあんなの回避できるね。


「できないと死ぬであろ」


 その通りですね! ちくしょう!


 そのあともドラゴンの前蹴りから、尻尾の回し撃ちも、セキは私の身体でひょいと避けて、飛んでくる丸太みたいな尻尾は、


「ほ、」


 飛び上がって左手を尻尾についてクルッて側転したりとか。いやもーこれが私の身体って、夢みたい。


「呆けてないで、しっかり見ていろ。相手が巨体の場合、その攻撃の余波で地面が抉られる。そのために足場が悪くなっていく」


 うん、地面がボッコボコだね。あれ、全部ドラゴンさんの攻撃で、それを全部避けたんだよね。あは、あははー。


「余裕がおありですな! セキ様!」


 またドラゴンさんの掌が迫ってくる。壁が降ってくるように見えるよぅ。

 セキは軽く飛び上がって、掌をかわして着地する。伸ばしたドラゴンさんの、腕の上にスタッて。


「足場が悪くなれば、相手の巨体を利用してその身体を足場にする」


 できませんっての!


 そのままドラゴンさんの腕を駆け上がっていくセキ。


「甘い!」


 ドラゴンさんの目が光る。また光の槍。だけどもう、セキはドラゴンさんの腕の上にはいない。肩の近くまで上ってから飛び降りた。ドラゴンさんの脇を抜けて。自分の頭の上に刀を真上に立てるようにして。


「うぉおおおお!」


 ドラゴンさんの脇の下から、赤黒い血が流れる。セキが斬った。脇の下をくぐり抜けながら切り裂いた。


「鱗のある生き物は背側が堅く、腹側が柔らかい。また、2本足でも4本足でも脇の下というのは急所だ。ここを狙うといい」


 そんなところを狙える人っているの?


「今、やってみせただろうに。次はモーロックの角を見ろ」


 角? ドラゴンさんの黄金の角を見ると青白い光がバチバチいってる。今度は何よ? 嫌な予感しかしない。


「くあぁっ!!」


 脇の下から血を流しながらドラゴンさんが吠える。角の光が上に伸びて、膨らんで、地面に雷が雨のように降ってくる。ドガバリビシャズガンって、ここは雷の踊る地獄?

 もぅ、なに、あのドラゴン。手合わせって言ったよね? なのに目からバシュンとか角から雷ビシャンとか。セキじゃ無かったら百回くらい死んでるよ。バカなんじゃないの? もーやめてよー。


「『黄金の滝雷』これはどこに雷が落ちるかを読んで、姿勢を低くすれば当たらない」


 地面に片ヒザ着いたセキが軽く言うけど、どこに雷が落ちるかなんて、解るもんか!


「では、ミルは雷が落ちるときはどうするのだ?」


 屋根のあるところで雨宿りしてます。


「似たようなものであろ?」


 そっかなー? 違うと思うけどなー?


 ドラゴンさんは掌底、蹴り、尻尾、目からバシュンとやってくれる。だけどセキはそれを避けては、ドラゴンさんの胸に腹にキズをつける。

 私は振り回されながら見てるだけ。でも、そのおかげでドラゴンさんをよく見ることができた。

 私は本物のドラゴンを見るのはこのときが初めて。噂で聞いたり絵図でみたことはあるけど、そのドラゴンとカオスドラゴンのモーロックさんはちょっと違ってる。

 首が少し短くて、2本の後ろ足と尻尾で立ってる。前足は足と言うよりは手みたい。黄金の天を衝く角、真っ黒の鱗、背中の翼には羽毛が生えてる。首から下の胸とお腹は明るい灰色。胸にバッテンの大きなキズがある。

 で、この巨体でモンクみたいに戦ってる。掌底、裏拳、回し蹴りって。なんか話で聞くドラゴンと違う。


「気付いたか。ドラゴンは巨体そのものが武器。しかしその巨体故に素早い小物にまとわりつかれる状況が苦手だ。今のように」

「その通り!」


 モーロックさんがセキの言葉に続けて叫ぶ。足を振り上げて踵落としの体勢。って、ドラゴンが踵落としって。


「だが、その弱点を補うべくワシが編み出したのがこのドラゴン流近接格闘術!」


 振り下ろす足が地面を強く踏み込む。ズシーン、グワワンと地面がたわんで揺れる。セキは踵落としを避けてから、地震に足を取られないように宙に飛ぶ。でも、それを狙っていたようにドラゴンさんの裏拳がセキを襲う。


「これぞカオティッククロースコンバット! ドラゴンCCC!!」


 空中で移動もできないセキ。あ、死んだ。これは死ぬ。


「死ぬわけ無かろ」


 身体を丸めて両足をドラゴンさんの裏拳に向けて真っ直ぐ伸ばす。大きな手の甲にぶん殴られる、その瞬間。

 セキの足の裏が柔らかくドラゴンさんの裏拳にフワリと乗る。膝も柔らかく受け止めるようにして曲げて、左手で黒い鱗を軽く叩いて身体をクルッと回すと、ドラゴンさんの腕の上に出て、セキの身体の下をドラゴンさんの裏拳が通り過ぎて行った。

 え? 今、何をしたの?


「ただの受け身だ」


 それ、私の知ってる受け身となんか違う。


 何事も無かったように着地するセキ。だけど。


「追いつめましたぞ」


 ドラゴンさんが言うように、そこは闘技場の端。高い壁が後ろにある。セキ、避けてはいたけど、もしかしてここに追い込まれてた?


「モーロックはそのように攻めていた。無造作に見えながらも我を追い立てる、という策だ。逃げ場を無くしてアレで決めようというのだろう」


 アレって? 何? なんで楽しそうなの?


「ドラゴンと言えばその必殺技はブレスと決まっている。――来るぞ」


 ドラゴンの、恐怖と言えば、炎の吐息。火の海を作って焼け野原を産む。それが噂のドラゴンブレス。ドラゴンさんは腕をバッテンに重ねてから大きく開く。首を反らして胸を膨らませている。思いっきり息を吸い込んでいる。


「モーロックのブレスは熱量も高く盾も鎧も溶かす。後ろは壁で、逃げるのも少し難しい。だからここに誘導したのだろう」


 言いながら微笑みながら、セキは刀を振りかぶる。切っ先が天を衝くように。

 ドラゴンさんが頭を下げてこっちを見る。


「これぞワシのブレス!『黒禍の炎舞』!」


 大きく開けたドラゴンさんの口からは、赤と黒の炎の津波が押し寄せて来る。

 次から次へともう、セキ、これはどうするの?


「我が一閃に、斬れぬもの――無し●●――」


 押し寄せる黒炎の津浪に、セキが刀を振り下ろす。それは不思議な感覚。セキの見ているものを、そのとき私も見た。見たけど見えない。見えないものが見えた。

 そこには何も無かった。刀を遠くに放り投げるようなセキの一振りに、力みも無ければ手応えも無かった。斬るものが無くて、斬られるものが無かった。斬る意思も無かった。斬る願いも斬ろうとする思いも無かった。ただ、何も、無い。

 いろんなものがある世界の中で、セキの振り下ろした刀の軌跡だけが、そこに無い。何も無いから線として浮かんで見える。

 天から地に落ちる真っ直ぐな一線。そこに何も無いからこそ、線と見える一閃の軌跡。見えるけどそこに何も無い。何も無いからこそ、そこに見える。

 その天地を貫く一線が、黒炎の暴流を真っ二つに切り裂いていた。


「――ブレス斬り、これができればドラゴンを恐れることは無い」


 そりゃそうでしょうね!


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