第18話◇前ってなに? 後ろってなんだ?


【感覚の作り直し、再構築というところに触れたのでそこも軽く話しておくかの】

「セキ、あんまり難しくしないで解りやすくしてね」

【これは解るというよりは、思い出すというところなのだが。ミルはいつから立って歩いた?】

「何時っていわれても、ちっちゃい頃?」

「ミルちゃんは今もちっちゃ可愛いわよ?」

「これでも、もう14歳だい!」

【ミルが可愛い子好きな性癖の吸血鬼の、人気マスコットのようになってきてはいるが】

「私、そんな扱い? フェスがお客扱いしろって言ったからじゃ無かったの?」

「九十九層の吸血鬼は全員、同性愛好だからねー。その中で年下好きにはミルちゃん人気あるわよ」

「おおう、そりゃ珍しい来訪者だろけど物好きな」

【モテ期到来だの】

「同性の上に血を吸われる危険があるモテ期って何事? 話を戻そうよ」


【今の話も感覚の違いには繋がるが、ミルが何時から立って、何時から歩いたか、という話であったよな】

「それそれ、ちっちゃい頃で憶えて無いんだけど」

【だが、産まれてすぐに立ち上がった訳ではあるまい】

「誰でもそうなんじゃないかな?」

【どうやったら二本の足で立てるか、どうすれば二本の足で歩けるか、それを悩み何度も転んで泣いて、練習し苦労して身につけたはずだ】

「そうなのかな? 憶えてないからワカンナイけど」

【そう、その苦労を憶えていない。歩くという技術を身に付けるための、努力と苦悩を憶えているものは少ない。そして1度それを身につけたなら、それを壊してもう一度作り直そうとはしなくなる。作り方を忘れてしまったから】


「街を歩く分には不都合も無いし、また歩き方を勉強しようなんて……、あ、フェスの歩み?」


 歩き方の練習、私、やってたよ。


【そうだ。幼児の頃に作った幼児の感覚の立ち方、歩き方。成長しても使っているのは、幼児の頃の感覚で作ったものの延長。フェスが『あれを歩くとは呼びたく無い』というもの。これを一度壊す。改めて作り直す。より繊細に、より効率よく、今の身体にあったものへと。それを何度も何度も繰り返した先に、フェスの言う優雅な歩みがある】


 感覚を、作り直す。


「そんなことできるの?」

【何故、できないと思う? ミルは幼児の頃に、言葉も解らぬ幼い頃に自力で行ったはずだぞ? それが今になって何故、できない?】

「そっか、ゼンゼン憶えてないけど、それができなきゃ、今、立って歩けないもんね」

【さっきミルが言ったように、普通に暮らす分にはそんなことをする必要は無い。しなくとも立てるし歩けるからの。今ある使えるものを捨てさって、新しく作るというのは面倒だし。そして必要の無いものは忘れられ、消えていくのだろうよ】


 なんだか寂しそうにセキが言う。なんで、そんな言い方するの? 必要の無いものなんて。その言い方は、なんかイヤだ。セキがそんなこと言うのはイヤだ。


「必要は、ある」

【ミル?】

「必要あるよ、セキ」


 フェスの歩み、ただ前に進むだけで目を奪われる、動作のひとつひとつが綺麗に優雅に、私の目を惹き付けた。誰にも止められずに歩む、吸血鬼の女王。

 セキの刀術。

 カオスドラゴンのモーロック、あんなに大きくて光の槍とか雷とかメチャクチャするドラゴンを相手に、私の身体で舞うようにからかうように、信じられないような動きであのモーロックの相手をして、頭の上に駆け上がったセキ。魔王の愛刀、魅刀赤姫、セキ。

 そのふたりが、そのふたりの姿が、そのふたりの身につけたものが、必要の無いもの? そんなの嘘だ。絶対嘘だ。


「必要だよ、だって素敵だもん。メッチャ凄いもん。私には必要だよ、セキ。だって」


 心の底から素直にこう思う。


「私、あれが、欲しい」


 静かになる。セキも、マティアも、青い髪のメイドさんも何も言わない。変な沈黙。私、変なこといっちゃった?


「だって、ほら、私がセキの刀術を身につけて強くならないと、地上には帰れないから。私にはセキの刀術が必要だってこと!」


 お茶をグイッと飲む。なんで静かになっちゃうの? マティアもいつもと違うような目で見てるし。カップを青い髪のメイドさんに突き出して。


「お代わりください」

「あ、ハイ、ただいま」


【くく、欲しい、くくく、欲しい、とはな】

「セキがまた変な笑い方してるー」

【憧れる、でも無く、なりたい、でも無く、欲しい、ときたか。しかも言うたときの目の光ときたら、くくくくく】

「そんな変な顔になってた?」

【いや、なかなかの面構えだったのよ。では、ミルの気が変わらぬうちにいろいろ教えねばならんの】


 私、どんな顔してたんだろ? 


【感覚の作り直し、などと言ってもそれほど難しいことでは無い。実は誰もが少しはやってはいることだ】

「なにそれー、大袈裟に聞こえたんだけど。誰でもやってるなんて」

【何度も繰り返して少しずつ変化するもので、本人に自覚が無いことが多い。これを意識的に急激に変化させることが難しい。そのための気付きを起こすのに形があるのだが、その前に違う素振りをしてみるか】

「今まで縦に振ってたから、次は横に振るの?」

【後ろに振る。まずは構えてみよ】

「後ろ?」


 右足前で両手を伸ばして刀を構える。


【これも踵は地面に着けずに、今度は左手は柄尻を握ったまま離さずに行う。左の膝を開きながら両手を頭の上に。刃は上を向く】

「膝を開いて、こう?」

【もっともっと。踵が互いに向き合うまで。左の足の爪先が右の足の爪先の反対に向くまで】

「おおおおお、倒れる、倒れる」


 足の爪先が180度反対を向く。踵は着けずに膝は直角に曲げたまま。最初の構えから左側に身体の正面が向く。両足の形が◇こんな形の菱形になってるんじゃないかな? 右膝が右に、左の膝が左に向いてる。踵と踵がくっつきそう。


【そのまま顔だけで左の肩を見る。次はそちらが正面だ。右の膝を内側に入れながら刀を振り下ろす】

「最初の構えから真後ろに振るんだね」

【切り返しも同じように。右の膝を外に開く、刀を振り上げながら。このときはさっきと違い腕が重なるので少しやりづらいか】

「んーと、それより足をパッカーと開いたときに倒れそうになるよ」


 踵と踵は近いけど大股開き。


【以後、繰り返し】

「またちょっと慣れたとこで難しいこと言うんだよね?」

【そんなに早く身につけたいのか? では慣れる前にこの前後振りの要点を説明】

「ししょー! 私に時間を下さい!」


 自分の身体を中心に刀が半円を上に画く軌道で刀を振る。上手くできたら綺麗な半円になるんじゃないかな?

 まえ、うしろ、まえ、うしろ。


【この前後振りも刀の軌道を確かめるためにはゆっくりとする。だが、今回は身体の感覚を掴む為にもう少し速度を出してやってみよ】

「もうちょい早く? ほい、ほい、ほい」

【振り返る、という動作を消すのだが、そうよの。ミル、身体を開くのよ】

「身体を開く?」

【頭から股間まで線を引き、そこから開く。己の身体を一冊の本だと想像してみよ。本を開くように、身体を開いて、そして閉じる。開いて、閉じる】

 本? 本。私は本。表紙をパカッと開いて、背表紙を閉じる。次は背表紙をパカッと開いて、表紙を閉じる。


【もっと腰を開け。腹も胸も左右に開け】

「ふのおおお、破れちゃうー」

【それで良い。身体を右と左に割ってしまえ】


 左を開いて、右を閉じる。右を開いて、左を閉じる。ほい、ほい、本、ほい。


【右足が地を踏むところ、左足が地を踏むところ。そこを繋げる真っ直ぐな線を地面に思い描け】

「地面に線ね。前と後ろにニューっと」

【上から見下ろしたときに、刀がその線からはみ出ない軌道で刀を振る】

「上から見たら私の身体はどーなってるのかなー?」


 セキの説明を聞きながら、前、後ろ、前、後ろ。刀を振り上げる。刀を振り下ろす。


【ミル、続けながら聞くのよ。今のミルの前は何処だ?】

「前は、前だよ。顔の向いてる方」

【では、左は?】

「左は、左は? あれ?」

【止めずに続けよ。右は? どちらだ?】


 刀を振り下ろす。前は前で左は左。身体を開くと左が前になって、後ろが左になって。で、身体を閉じて刀を振り下ろすと、右だったとこが左になって、後ろが前に? 前が後ろ? 右が前に? えーと、身体を開いたら前が右で後ろが左で、身体を閉じたら後ろが前になって、前が後ろで、えええええ?


【方向を見ようと回るでない。ただ、開いて閉じる。開いて、閉じる】


 そうだった。私は本、開いて閉じる。開いて閉じる。だけど、前は前で、右肩の向いてる方が私の右なんだけど、でもこの右が右なんだけど前でもあって後ろににもなって?


【くくく、足の爪先が向いてる方が前、と言ったら?】


 前に進むときは爪先が前を向いてるから前は前で、今、身体を開いたら右と左の爪先が真反対を向いて、前が逆方向にふたつになって?


【肩を回すな、腰を回すな。ふたつに割った右の半身と左の半身をスライドさせるように】

「うなー?! 右が後ろで左は前で前はどこー?」


 前後って何? 左右ってなんだっけ? 右手は右にあるけど右手がある方が前で、あ、もう後ろになったけど、このときは前が左なんだよね。あれ? 左は左だからでもだけど前がこっちに左はあっちのあっちは後ろに後ろのこっちが前にあるからそこに右が来ていやもう右はあっちに向いて?


「あにゃーーー!?」


【この前後振りを続けていくと、前と後ろを同時に斬る、という感覚が分かってくる】


 開く、閉じる、1本の線の上を、刀を振り上げ、振り下ろす。


「1本の刀で前後を同時にって無理だと思うけどもー。これを続けた先にそれがあるっていうのは分かる気がする」

【ほう?】


 ぷー、ちょっと休憩。足が、足がもう限界。


「だって前も後ろも同じものだもんね」


 ん? マティアが近づいて来る。


「あ、お水? ありがとー」


 マティアのもって来た水をごくごく飲む。なんだか頭の中がポヤヤーンとしてる。気がついたらマティアが私の額に手を当てて、心配そうな顔で覗き込んでる。


「何? マティア?」

「ミルちゃん、大丈夫? 熱でもある?」

「急にどしたの? 私は元気だよ」

「身体は元気だけど、その、頭は?」

「どーゆー意味だぁっ!」

【くっくっくっくっく】



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