第43話 無視するのは良くないと思うんですけど!

「・・・・・・・・・・」


 困惑と言う言葉を男は今ほど意識した事は無い。

 自分の少女に対する心情もさることながら、突然四つん這いになった少女に関してはもっと酷いだろう。

 何しろ目の前で何の前触れも無く崩れ落ちたのだ。そのときは別な刺客が現れたのかと男は警戒したくらいだ。


 これはどうしたものかと男は思案する。少女が現れた理由が解らないだけに対処に苦心する。

 自分の背後を易々と取るような相手だ。これだけ無防備を晒していても油断は出来ない・・・・・・・・・くも無いような気もする。

 「ちくしょぉ。課金か。課金なのかぁ!」と嘆きの叫びを上げながら地面を叩く姿にどうしても警戒感が緩んでしまう。

 もしかしたらその行為自体が少女の策謀なのかもしれないが、もしこれが演技なのであればそれはそれで少女に対して脱帽するしかないだろう。

 四つん這いになり項垂れる少女の背中では白い子猫が欠伸をしていた。そんな白猫の姿も相まって、どうにも強襲してきた少女がコミカルな人物に思えてならない。


 こいつは何のだろうか?


 もう何度目か分からない自問に男は眉を潜めた。


 既に男には少女に対する敵意が薄れていた。

 どうにも少女から自分に対する企みが感じられない。だがだからと言って放置も出来ないのだが、その板挟みに男は苦慮していた。


「・・・・・・・は・・・・ですか」


 そんな折に聞こえた少女の呟き。

 男は逸れかけていた意識を少女へと向ける。その際重心を移動させて如何様にでも対応できるよう体勢を整える。


「あなたは、なんですか!?」


 伏せていた顔を上げギロリと少女が男を睨んだ。

 薄っすらと貯めた涙で瞳を揺らし、攻め立てる様な言葉でありながらも、桜色の唇は少し震えているのか声音に力がない。


「・・・・・・あぁ、すまないが、何を言っているのか解らな・・・・」


 躊躇いがちに男が言う。その言葉の通り少女が言っている事の意味が全く解らないのか、困ったように目じりを細めている。


「えぇそうです。それしかありません。だってコンプリートを果たしたこの私が見逃す事などあり得ないんですから、これはきっと私があの深淵の魔窟マンホールの穴誘われた落ちた後に創世の神域ゲーム制作会社による人類救済ユーザー満足度向上を目的とした、そうこれは正にラグナロクテコ入れが行われたのですね!だから私は気づけなかった、知らなかった、知ることが出来なかったのです。おぉ運営よ、それは何と無慈悲な行いか」


 が、そんな男の事など無視するように納得したようにうんうんと頷く少女は、問い返そうとした男の言葉を遮り饒舌に語りだす。


 言っている事はとても崇高なものに聞こえたが、どうにも聞いていてとても薄っぺらく感じるのは何故だろうか。というか言っている事が支離滅裂で理解に苦しむ。


 少女を放置するのは危険だ。だがだからと言って少女にこれ以上絡むのはもっと危険な様な気もしてきた。

 周囲に人が居ないところを選んだのは間違いだったかもしれない。

 男は一人憤りだした少女にため息をついた。


 ふと男の目にあるものが映った。


 少女に意識を割き場がらも目的をおろそかにするほど男は短慮では無い。

 こうしている間でも男は確りとカティーナを注視していた。そしてそのカティーナに何やら不穏な影が差している。


 背後からする男が付いてきている。


 一見すればただの一通行人にしか見えない。だがその動きの端々に男は違和感を覚えていた。

 カティーナたちとは一定の距離を保ちつつも、位置取が常にカティーナを視界に捉えられるように動いているようだ。しかもその動きに不自然さを感じさせない。通行人は誰一人としてその者を気にしていない。

 しかしそれが男からすると返って不自然だった。

 余りにも意識の逸らし方がうますぎるのだ。

 言うなればそれは熟練した尾行技術を持ち合わせた者の気配。男にはそう見えたのだ。


(俺以外にも尾行が・・・・どこが動かした?の手のものか・・・・・・・・・いや別な可能性の方が高い、か)


 男は遮蔽物に身を寄せた。不審な男に気とられない様に意識を殺して視線を向ける。

 その手慣れた感じは男も同様の技術を持ち合わせているのが判る。


「・・・・全くこれだから最近の課金至上主義には嫌気がさして・・・・・・・て、無視するのは良くないと思うんですけど」


 だがその男の行動を無邪気に邪魔する手練れがここに居る。

 いつの間にか自分から離れていた男に気付いた少女が頬を膨らませ抗議を口にする。

 男が離れてからもずっと一人で語っていた少女。それを聞いてもらえなかったことにご立腹らしい。

 しかし抗議をしても男は振り向きもしない。少女は更に不機嫌さを募らせズンズンと男に詰め寄る。


 男からするともう少女は敵ではなくなっている。警戒はすべきだが害は無いと判断していた。ただだからと言ってここで騒がれるのは非常に困る。

 男は静かにするよう少女を促そう・・・・・として予想外の事態に目を見開いた。


「えっ?!・・・・・あれってさっきの変質者さんじゃないですか」


 少女が男の脇の下から顔を出してきたのだ。


 男の背に隠れるようにぴったりと張り付き、その身長差からか表通りを見るために男の腕と体の隙間に自分の頭を潜り込ませて覗く。その際倒れないようにするため男の脇と肩に腕を回している。下手したらヘッドロックでも掛けられているようにも見える体勢だが、味方によっては親密な男女のそれだろう。


「・・・・・・おい」


 さすがの男もこの行動には躊躇い色を浮かべずにはいられない。あまりにも無防備が過ぎる。ほぼ密着と言って良い体勢だ。


 しかし当の少女――ナオは別な事に集中していたのでその事に全く気が付いていなかった。


 普段のナオであればこのような事は絶対にしない。現に屋敷に何人かいる男性陣と仲は良いが、一定の距離を保っているので手でさえ触れたことがある男性は皆無だ。ただ脳天に拳を落された事は何度かある。

 ナオは前世でも今世でも男に慣れていない所為か異常にガードが堅いのだ。

 しかもナオにとって美形男性とは崇めこそすれ触れていい存在だと思っていない。


 だがそれを忘れてしまう程ナオは切羽詰まっていた。


 そう大事なお嬢様に再び変質者の危機が迫っていたからだ。


「ま、拙いですよ。気づいてないっぽいじゃないですか。しかもジリジリ変質者さんが近づいてる。ほら、そこ後ろ」


 男の脇でシュッシュと拳を突き出し白熱しだすナオは、もう完全に自分が今どんな状態なのか意識から抜けている。

 だが仕方ない。それだけナオにとってカティーナは大事なのだ。そんな大好きなカティーナの危機に専属メイドが黙っていられる訳が無い。

 男のレザージャケットをクイクイ引っ張り興奮しだすナオ。


 それを見下ろす男の瞳は何かを探る様に細かく動いていた。


 男が一旦視線をカティーナたちへと向ける。

 不審な男はカティーナたちとの距離を徐々に詰めて来ている。だが護衛であるテルガーら三人はまだその存在に気付いていない様子。


(護衛が後ろを固めている。すぐに危険は無いか)


 しかしそれでもまだカティーナに危険は無いと男は判断する。


 テルガーら公爵家専属護衛は確りとカティーナの背後を固めている。確かに今はまだ気付いていないようだがこれ以上近付けばきっと気付くだろうし、仮に見つけるのが遅れ襲撃を受けたとしても護衛対象であるカティーナが傷つく事とは無いと考えている。

 男から見ても不審な男の隠密技能は高い。だがそれ以上にカティーナの護衛達の能力はずば抜けているように思えた。

 もし自分があのエントランスで出て行ったならばどうなっていたか、恐らくは取り押さえられてしまっていただろうと男は思っていた。一人一人であれば何とか出来る自身は男にあった。だが三人が集まるとその脅威度何倍にも膨れ上がる。実際彼らの護衛中の行動を見る限り連携の練度が高いのが判る。


 大柄の男はカティーナだけに集中しているように思える。きっと彼がカティーナに何かあれば身を挺して守る役割なのだろう。

 服を着崩した男が広範囲に意識を回しているようだ。彼の目がある為あの不審な男も慎重に動いているように思える。

 そして恐らくリーダーであろう男。かれは実に静かだ。

 他の二人のように役割は見て取れないが、いざという時彼が一番厄介であることは間違いない。


 だからカティーナは“光の娘”は大丈夫だと結論付ける。


 それよりも男としてはナオの言動の方が気にかかっていた。


(こいつもしかして・・・・・関係者か?)


 明らかにナオは男の目的とするカティーナの事を知っている。言動から推測すれば少女は護衛の内の誰かの名を口にしていた。現れたタイミングからみてもその可能性は大いにあった。だがあまりに奇怪な行動をする少女だった為に違うと考えていた所だ。


(益々謎だな)


 何一つ理解できない少女。今もアワアワと狼狽えながら男の袖を揺すっている。その仕草から本気で心配しているのが判る。

 隔絶とした隠密と身体能力を見せつけた相手が慌てる様は見た目の年相応に思えた。


 不思議そうにナオを見る男。


 その口元が僅かに弧を描く。


 それはじっくりと観察しなくては判らない程度の微小な変容。しかし醸し出す雰囲気は大きく違う。


 男の柔らかな眼差し。


 だが男のその笑みも柔らかな眼差しも、それを誰も気付く事は出来なかった。


 カティーナを心配するナオも、そして男自身も。


 何故ならば気付かせてもらえるほどの時間が与えて貰えなかったからだ。



「おのれ、お嬢様には指一本触れさせませんよ!」



 猪突猛進厄介メイドはゆとりなど与えない。

 


「は?」



 それは男の瞬きの瞬間だったのだろうか。


 背中に張りついていたはずのナオが気付けば随分と先に居た。


 ドップラー効果に崩れる声だけを残し、物凄いスピードで不審者へと駆けていた。


 男の間の抜けた声が路地裏に染みた。

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