第22話 あれはナオなんですけど!
「・・・・お嬢様、あれは一体なんでしょうか?」
「わたくしに訊かれても答えようがありませんわよ」
雲一つない晴れ渡る青空の下、公爵家王都別邸の広い庭で日除けのパラソルを広げゆったりとチェアに腰かけるお嬢様であるカティーナとその脇にたたずむメイドヘレナ。ガーデンテーブルに置かれたロンググラスから氷が溶けてカラリと涼やかな音が流れる。
状況的に優雅な午後のひと時・・・・・・・・・・・・だけどそこに優雅さなど微塵も無い。
一口大に切られた料理長ゲンドラが作った柔らかなシフォンケーキが、カティーナのフォークからポロリと地面に落ちる。
いつものヘレナであればすかさず注意を促すかフォローを行うのだが、今のヘレナはカティーナに意識を向ける余裕は無く、カティーナは楽しみにしていたケーキが落ちたことになど気が付いてすらいない。
「あの、私、あれが三つに見えるんですけども・・・・・」
「大丈夫よ、ヘレナ。わたくしにはあれが四つに見えてますから」
あんぐりと口を開けるヘレナ。こんなだらしの無い顔をさらすヘレナは、メイドとなってからは初めてかもしれない。
カティーナに至ってはまるで蝋人形のように美しく整った顔から表情が完全に消え去っている。
さて優雅な筈の空間で、この二人の何故このような状態になっているのか。
そんなものは決まっている。
この二人が困惑する事態を作るのはいつも一人しかいない。
「しゅたたたたたぁ」
まるで子供が忍者ごっこをするときの様に、舌を巻きながらリズミカルに擬音を声で発するのは、疾走する黒いゴスロリメイド服の少女。
お馴染みナオである。
ナオは少し屈み気味に両腕を真直ぐに後ろへと伸ばし、小刻みなステップで別邸の庭を駆けていた。
「え?え?ちょ、ちょっ、え?」
それを木剣を構えた男が、戸惑いながらぐるぐると頭を動かし必死にナオの姿を追いかける。右へ左へ忙しなく動かす男の視線はどう考えても人の動きを追っているとは到底思えないものだ。
「とぉう」
ひらひらとフリルがふんだんに知らわれたスカートを翻り、輝く銀糸をなびかせてナオが男へと突進する。その手には男同様木剣が持たれている。
「・・・・くっ」
迫りくるナオに男は木剣を振り下ろす。
飛び込んできたナオは男の木剣を防御することも出来ずにその身に受けてしまった・・・・・・・・・・・・と思いきや、そこにいた筈のナオはゆらりと揺らめいて消え去っていく。
「ぬふふふ、それは残像です」
「っ!」
言ってみたかったセリフベストテンに入るだろう決め文句を高らかに口にするナオの声は、男の背後から聞こえてきていた。
男は反射的に木剣を横薙ぎに振り抜いて、背後にいたナオの胴体を払った。
「なんでだよ!」
だがそのナオもまた当たったと思ったら陽炎の様に消えていってしまった。
「甘いです。甘々なのですよ。私の影分身にはもはや貴方の剣など通用しないのです。ぬははははは」
そしてまたしても現れる別のナオ。
それは木の上に、男の背後に、庭石の影に。
同時に三人のナオが公爵家別邸の庭でアホっぽい高笑いを上げている。
そんなナオを木剣を構えた男は悔し気に、ヘレナは気持ち悪そうに、カティーナは能面の様な無機質な表情で見るのだった。
そもそもこれは何をしているのか。
それはカティーナの一言から始まった。
「ナオが戦えるのかが知りたいわ」
第一学院から帰ってきたカティーナが夕食時に発した言葉だった。
ロバートから話を聞いたカティーナは実際にナオが戦えるのかどうか気になって仕方が無かった。
もしかしたら自分の隣で一緒に戦ってくれるかもしれない、そんな期待がどうしても胸いっぱいに広がって抑えきれなかった。
当初戦闘能力に関してはどうでもいいと言っていたが、いくら貴族の責務とは言え未だ十五歳の少女でしかないカティーナだ。その小さな・・・・いや豊満な胸とは言え心細さは多少なりとも持っている。
そこに芽生えたかすかな望み。それを期待するなと言う方が難しい。あの時有耶無耶に終わらせてしまったが、ナオの「魔物と戦ってきた」と言う荒唐無稽な言葉が妙にリアリティーを帯びてしまった。
そう言えば少し前からナオは剣を習い始めていた。その時はまたナオの気まぐれな遊びが始まったと思っていたのだが、もしかしたらナオは剣技の才能があるのかもしれない。
カティーナとしては是非ともその辺りを編入前に確かめておきたい。
そこでカティーナは一人の兵士を呼び出した。
男はこの公爵家別邸の警護を担当している私兵で、名は「ルビット」と言う。
彼は以前、ナオに剣の振り方を教えた兵士でもある。
カティーナがルビットに命じたのが「ナオと模擬戦をしなさい」というものだった。
その事にルビットは大いに困惑した。そもそもナオがまともに剣を振る事すらできないことは以前教えた時に知っている。
それなのに模擬戦をしろと主人が言う。これはどうしたものかと眉根を寄せるしかなかった。
かくして護衛兵であるルビットとナオがこうして庭で木剣を向けあっている。相も変わらずゴスロリメイド服のナオが木剣を構えるのには違和感しか感じない。
カティーナは期待半分にちょっとした娯楽的なつもりで思っていたのだが、自分の予想と違った展開にどうしていいかわからなくなってしまっている。
ちょっと戦えるかもしれない、そんな淡い期待感に行われた模擬戦だったが、始まっていきなり人外な怪奇現象を見せられるとは思ってもいなかった。
「お嬢様・・・・私の育て方が間違っていたのでしょうか?」
「・・・・・・・・・・メイドがどう間違ったらああなるのか知りたいわね」
四人に分裂してルビットを翻弄するナオ。
それは実体なのか幻影なのか全く持って見分けがつかない。
ルビットが近くのナオに切り込む、ナオが消える。ルビットが薙ぎ払う、ナオが消える。
何度試そうがどのナオを攻撃しようが結果は変わらない。
「お嬢様・・・・あれはナオなんでしょうか?」
「・・・・・・・・・・ナオかどうかの前に人であるか怪しいわ」
次第にルビットの動きが衰えていく。もう体力的に限界が来ていた。しかもほんの少し前まで木剣を振り下ろすと転んでしまう様なかよわい女の子であったナオに、ここまでこてんぱんに遊ばれてしまっては精神的にも限界だった。
「俺はプロの兵士だ。女の子に負けるわけにはいかん!」
だが気力だけは衰えていなかった。
意地がルビットから諦める選択肢を無くしていた。
ルビットは気合を入れる。絶対に負けるものかと。
メイドと兵士の模擬戦はまだまだ続く、そう思われた矢先・・・・・・意外な結末で突然の終わりを告げる事となってしまう。
ズシャァと砂がこすれる音がした。丁度ルビットの真後ろだ。そして次々と消えていくナオたち。
「・・・・・・え?」
ルビット今日何度目の狼狽であろうか。
折角気合を入れた矢先に戦う相手が消えてしまった。
「うきゅうぅぅぅぅ」
ルビットの背後から可愛らしい鳴き声が聞こえてくる。
ルビットが振り返ると、そこにはゴスロリメイド服の少女がうつぶせに倒れているではないか。
「うっぷ、早く動き過ぎて・・・・目がまわったですぅ」
そしてあげられたナオの情けない声。
どうやらナオは自らの激しく動きに目を回してしまって倒れているようだ。
「お嬢様・・・・あれはナオですね」
「・・・・・・・・・・そうね。残念だけど間違いないわ」
呆れるヘレナとカティーナの声。
ルビットはどことない遣る瀬無さに晴れ渡る青空をそっと仰ぐのだった。
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