第23話 にゃんこなんですけど!

 「ふわぁ」と大きく口を開いて欠伸を吐き出す。開いた口から鋭い牙が除くが、それは怖いというよりも愛らしく感じられる。


 凝り固まった体を床で伸ばすと日課である毛づくろいを始めた。



 守護聖獣アストロフィ。



 トラヴィス王国の守り神にして女神の眷属と言い伝えられている巨獣。その外見は巨大な獅子であり、白磁の様な真っ白な体毛と燃え盛る炎の様な鬣を持つ巨獣。建国以前よりこの地に住まい、その絶大で強力な能力で【獅子塚の森】に王者として君臨し続けてきた。魔物とは全く異なる存在であり、大地の守護者として知られている。建国王アルセーヌと盟約を結び、人が不用意に大地を荒らさない限りは不可侵不干渉を貫いてきた。いつから存在し何の目的で【獅子塚の森】に居続けるのか、其の真相を知る者は誰もいない。


 そんな絶対強者たる聖獣アストロフィなのだが、今はその威風堂々たる尊厳はどこにも感じられない。


 燃えるような鬣も、魔物どもが恐れおののく鋭い牙も、誰もが平伏す高潔たる巨躯も、アストロフィを象徴するすべてが見当たらない。


 今のアストロフィはどこからどう見ても可愛らしい猫の姿をしているからだ。


 

 そんな猫の姿のアストロフィは猫手で顔を擦りながら、誰もいないを見渡した。


『ナオはまだ戻っておらんのか?我の食事はどうなるのだ』


 アストロフィは今公爵家の別邸で暮らしている。

 先日突如【獅子塚の森】に現れたメイド服を着た銀髪の少女と故あって一緒に森から出てきた。

 何故そうなったのか、それはアストロフィの気まぐれでしかなかったのかもしれない。或いは変わらない生活に嫌気がさしていたのもあるだろう。だがメイド服の少女、ナオの内面にあるものを感じたアストロフィがナオと一緒に居たいと思ったのが一番の理由だ。


 そのナオが今朝早くに部屋を出ていったきり戻ってきていない。

 この屋敷に来てからのアストロフィの食事の世話は全てナオがしていたので、ナオがいないとアストロフィは食事にありつけない。


『上機嫌に「私の真価を発揮しくるぅ」と言って出ていったのだが、何をしに行ったのやら』


 それはともあれとアストロフィは考える。


『見つかると面倒だから出歩くなと言われたが、これでは我の腹が持たん。ナオには悪いが自分で食料を見つけに出るしかなさそうだな』


 アストロフィは器用に跳び上がりノブを回すと部屋の扉を開けた。


 そして廊下へと猫足で出る・・・・・・・・と、直後にそれは聞こえてきた。


「え・・・・・・・・にゃんこなのです?」


 不意に聞こえた子供の声。


「うにゃ?」


 びくっと毛を逆立てアストロフィは振り返った。


 そこに板のはナオよりも小柄なメイド服の少女。何故だか両手を上げている。


(うぬ、抜かったわ。最近のだらけた生活に気配を探るのを忘れていた)


 アストロフィは猫の狭い額に冷や汗を流す。まさか早速屋敷の者に発見されてしまうとは思ってもいなかった。森にいた時では考えられないことだ。たった数日ではあるがナオの所での食っちゃ寝のだらけた生活がアストロフィに少なくない影響を与えているようだ。


(どうする。逃げるか?いや、ここで下手に逃げればそれこそ騒ぎになってナオに文句を言われてしまうかもしれん)


「何処から来たのです?!ここは・・・・ナオちゃんの部屋なのです?」


 少女とアストロフィは互いに微妙な距離を開けたままにらみ合う。まるでお互い目を離したら負けとでも思っているように。


 ちらりと少女がアストロフィが出てきた部屋を見た。そこが誰のものか直ぐに少女は思い至る。メイドの少女の口にした名にアストロフィはギクリと可愛らしい前足をびくつかせた。


(何と言う事か、早くもナオのことがばれてしもうた。これは一層逃げればナオへ追及が行ってしまうだろう)


 どうするか、思い悩むアストロフィ。


「ナオちゃんの部屋からにゃんこ?むむむなのですよ」


 そして少女の自分に対する呼び名を聞きハッと閃く。


(そうか、我は今擬態しておったのだったわ。だとしたらナオ曰、知られると拙いのは我が聖獣としての姿・・・・・ならば・・・・・うぐっ、し、少々我のプライドが許さぬところではあるが、我がただの獣と思われた方が・・・・・・・ぐぅ、ぷ、プライドが・・・・だが、これも偏にナオの為)


 内心で壮絶な葛藤を繰り広げながらも、自らが選んだ道でナオに迷惑は駆けられないと断腸の思いで意を決する。

 アストロフィはメイド服の少女に多少ぎこちない動きですり寄った。


「な、なぁ~」


 自尊心が邪魔してか、猫の癖に鳴き声を噛んでしまう。


「はわわわ、何故だかにゃんこが急に懐いてきたのですよ・・・・・・・・・・・・・・でも可愛いのですぅ」


 突然の猫の歩み寄りに少女は慌てるが、真っ白な毛並の美しい猫にすり寄られ悪い気はしなかった。メイドの少女は直ぐに相貌を崩し、アストロフィを抱きかかえる。


 アストロフィは内心で「うまく行った」とほくそ笑む。王者の風格も威厳もどこへやら、もはやアストロフィに野生の二文字は失せてしまったように思える。聖獣の順応力は非常に高いらしい。


「しかし困ったのですよ」


 メイドの少女は真ん丸の瞳を僅かに細める。


「可愛いのですがお嬢様に報告しない訳にはいかないのですよ・・・・・あぁでも報告して追い出されてしまってはにゃんこが可哀そうですし、そうなるとナオちゃんが・・・・・」


 歯を食いしばって「うぬぬ」と唸りを上げる。

 アストロフィは少女の成り行きを黙って見上げる。


 アストロフィとしては騒ぎにさえならなければ別にどうでもいい事だ。問題なのは屋敷の中で騒がれてナオに迷惑がかかる事。そうでなければ別にここで屋敷から追い出されてもまたそっと戻ればいいし場合によっては屋敷の外でも構わない。アストロフィとしてはナオの近くに居たいだけで屋敷に住みたい訳では無いのだから。元々野生に生きてきたのだ。多少の不便など気にするものでもない。ただ、出来れば惰眠を貪れて暖かくおいしい食事が取れる屋敷が良いな、と思っているだけだ。


「分かんないのです。これは判断をゆだねるのがいいのです」


 少女は考え疲れたのか頭を振るうとあっさりと丸投げするとこを決め込んだ。そのままアストロフィを抱えて廊下を歩きだし少し進んだところで立ち止まった。

 振り返ったメイドの少女はナオの部屋を見て「まったくいっつも面倒ごとばっかりなのです」とため息交じりの声を上げるのだった。




「おいおい、お前こいつどこで拾ってきたんだよ」


 少々白髪が混じった髪をガシガシと掻き回し、呆れた声でそう問いかけたのは料理長のゲンドラである。


「違うのですよ。カルアが拾ってきたわけではないのです。屋敷の中にいたのです。それをカルアが拾って・・・・て、あれ?これはカルアが拾ったことになるです?」


 ゲンドラの問いにメイド服を着た少女カルアは手と首を大げさなほど振っては否定する。しかし途中でわからなくなったのか首を傾げてしまうのはご愛敬だ。


 このカルアという少女、それは先程アストロフィを捕まえたメイドの少女である。


「屋敷にだぁ?じゃぁこいつは迷って入り込んだのか?」


 首を傾げるカルアをしり目にゲンドラは視線を足もとへと下ろす。それにつられるようにカルアも同じく視線を下へとうつした。


 そこには一匹の真っ白な猫、擬態中のアストロフィが器に入れられたミルクを勢いよく舌を使って飲んでいる。その姿は聖獣とは思えないとても愛らしいものだ。


「どうしたらいいのです」

「如何したもこうしたも追い出すしかねぇだろが」


 ここは公爵家別邸の中にある厨房スペース。カルアはアストロフィを抱えて一目散にここへとやってきていた。


「それは可哀想なのですよ、父さん」


 カルアはゲンドラを見上げて悲し気な表情を浮かべ父さんと呼びかける。


 あまりに似ていないがこの可愛らしい少女と少々厳つい料理長をつとめるゲンドラは親子である。


「いや、でもなぁ・・・・・・・あぁ、分かったからそんな顔するな、な、ほら泣くなって」


 そしてゲンドラはどうしようもないほど娘が可愛くて仕方の無い父親でもある。


 そんな娘ラブの父親の前で当の娘が悲し気に表情を歪ませれば主張した内容など簡単に覆せる。発言の撤回など娘の涙に比べたら何の苦もない事だ。


「うぅ、そ、それにこのにゃんこはきっとナオちゃんのなのです。にゃんこを勝手に追い出してしまったらナオちゃんが悲しむのです」

「あぁ?これ嬢ちゃんのだと!」


 だがそれが自分の娘の為ならば、とつくのは当然の理。


 ゲンドラはカルアからナオの名を聞くと途端に眉を顰める。その顔には「またか」と言った感じがありありと出ている。


 ゲンドラは頭を掻く。


「かぁ、本ん~等に面倒ごとばっかり呼び込んでくる嬢ちゃんだな。あいつ厄病神かなんかじゃないのか?」

「え、厄病神なのです?そそそそんな恐ろしいものだったなんてカルアは知らなかったのです・・・・・・・・・・でもナオちゃんは可愛いのですよ」


 まだ人を疑うことを知らない無垢な少女は父の適当なやっかみに慌てふためき、最後には首を傾げながら当人を擁護する。そんな娘にゲンドラは可愛いすぎて口元をへにゃりと緩ませる。だが丸みのあるあどけない顔に大きな瞳のカルアは、小動物のようで誰が見ても庇護欲を掻き立てる魅力がある。


「まぁ何にせよお嬢様に言った方が良いだろうな。確かに知らない間に放り出すのも嬢ちゃんが可哀そうだしな」


 溜息交じりのゲンドラの言葉にカルアが頷く。ゲンドラはカルアとアストロフィを交互に見ながら再度溜息をこぼした。


 アストロフィはそんな親子の会話を聞き、これは拙いだろうかと思いつつも、おいしいミルクで空かせたお腹を満たしていくのだった。

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