第3話 ファンタジーなんですけど!

 ナオは頭頂部をさすりながら走ってきた廊下を戻るように歩いていた。


「あんな堅物に話すんじゃなかったよ。うぅ頭が禿げそう・・・・・何もぶつこと無いじゃん」


 朝方の転生報告はヘレナから拳骨を貰う結果だけを残して終了した。


『いつも以上に意味が分かりません。それより廊下を走らない。扉を静かに開ける。それと、朝から騒わがない!!』


 きっと考えるのも億劫だったのかもしれない。電光石火の如く振り落とされたヘレナの拳骨は、身長の低いナオの頭頂部に突き刺さり、日が昇ったばかりの時間帯に星をちりばめていたのだった。


 そんな朝の一幕を終えて、ナオは決められたお仕事を熟すべく目的の場所へと向かう。


 ナオの仕事はその恰好が全て物語っている。


 そうナオはこの屋敷のメイドだ。


 何か思案気にテクテクと歩いていたナオがふと足を止め、腕を組み瞼を閉じる。廊下の真ん中で佇むナオは傍からすれば邪魔でしょうがないことだろう。ここにヘレナが居れば違いなく二発目の拳骨が降ってきたかもしれないが、幸いにも誰かが通る気配はない。


「うん、大丈夫覚えている。生まれてから一五年の記憶はちゃんとある」


 今年で一五歳を迎えたナオであるが、その記憶が確りと脳内に残っていることに安堵の表情を浮かべ大きく頷く。


 自分が転生したことで興奮していたナオだったが、ヘレナに言われたことで先程まで不安に襲われていた。


『いつも変だけど、今日の貴方は特に変ね』


 些細な貶し文句にも聞こえるが、今日は違うという言葉がナオには物凄く引っかかった。


「前世を思い出したからと言って、私が私じゃなくなるのも嫌だし・・・・・うん、大丈夫。じゃなくてのままだ」


 自分の内面を確かめるようにそっと膨らみの少ない胸に手を当てて、これまでの一五年間のナオを思い浮かべる。


 前世の記憶がよみがえったことで、過去の自分というものも思い出した。それは今のナオとはまるっきり性格も生き様も違う言うなれば別人の様なもので話し方だって今とは全然違う。それは記憶というには余りにも生々しいもの。甚だ荒唐無稽な事柄なのに、その生々しさが現実に存在していた自分であるとはっきりと理解はしてしまう。なにしろマンホールに落ちて死んだのが昨日の事の様な感覚なのだ。


 だがそれでも今のナオはナオなのだ。

 彼女に染みついた一五年の人生が今の彼女のを形成している。

 その事にナオは安堵している。


 ただちょっとだけ人生を達観した感があるだけ。


 何しろ前世の二九年分の人生を思い出したのだ。延べ換算すれば精神年齢は四四歳となってしまう。実際は赤ん坊から始めているし、今日まで記憶が無かったから今のナオは普通の・・・・・とはちょっとかけ離れているが、それでも年相応の精神年齢をしている。だけど前世の記憶で諸々の知識を得てしまった今はと言うと、ちょっとだけ考え方が異なってきているのもまた事実。それは本人も気付かない性格の変革をもたらしているのかもしれない。現に言動の端々に前世の言葉が混ざっている。


「しかしこれは・・・・・・異世界ってやつですかね?」


 そっと窓の外へ目をやりつぶやいた言葉がそれを物語っている。


 ナオの前世、奈緒が暮らしていたのは日本だった。そして今いる世界と前世の日本とでは随分とかけ離れた文化と進化を遂げている。

 風景的なものや服装や習慣と言ったものは、どちらかと言えば地球の中世ヨーロッパに近いかもしれないが、其の実、地球の中世とは大きくかけ離れたものが存在する。


 その一つが大きなニュアンスで区切るとすれば近代科学も入り混じっていること。だがこの世界のそれを化学と呼んでいいのかどうか、ナオとしては迷ってしまうところではある。


 ナオの中で科学の発展と言えば蒸気機関に始まり、内燃機関や電気の発明、そして電子機器とAIとなるのだが、ここの近代科学は所謂【魔法】がおりなす魔道科学が主流だからだ。


 燃料となるのは【魔素】と呼ばれる未知のエネルギー。そしてシステムの代わりに魔法陣が使われている。

 明らかに前世で暮らしてきた地球とは全く別物であると確信が持てる相違だ。そもそも魔法があること自体、前世の記憶からしたらとんでもない出来事である。


「ふふ、まさにファンタジーです!」


 二十九年慣れ親しんだ地球とは全く異なる世界にやって来てしまったのだが、だからと言ってナオが感傷に浸ることは無い。


 既に奈緒の人生はナオとして始まっているのだから、それはあくまでも過去の前世であって今の自分とは関係の無い事だど、ある意味割り切った考えが持てていた。


 そもそもこのナオと言う異常なまでの美少女は良くも悪くも様々な事に無頓着で楽観主義なのだ。


 だから前世を思い出した当初は、そのあまりな死にざまに落胆はしたものの、今ではけろりとした表情をしている。その後怒られたことだってもう頭の片隅にも残っていない。今はこうして人格も影響は少ないと判断すればもう悩みはなくなっている。


 そして今現在のナオにとって、大切なのは環境や生き方などでは無く、一人に人物に集中しており、自分がどうだとかには非常い興味が薄かった。


「おっと、そろそろ起こしに行かなければ」


 だから前世がどうとかの些事はさて置いてそちらを優先すべく、怒られたばかりの全力疾走で廊下を走っていくのも当然の事だったのだ。

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