第26話 試験なんですけど!

「ちょっとナオ、大丈夫ですの?」


 陽の光に輝く金髪を優雅な仕草でかき上げた少女は、少し幼げを残しながらも大人でさえ魅了してしまいそうな美貌を憂いで潤ませる。空色の上質な生地のワンピースは彼女の髪色と良くマッチし、女性ならではの美しくい曲線を強烈な位に浮きだたせている。しかも前かがみになっている分、彼女の類まれな胸部が猶の事強調され、この場に異性が居れば嘸かし視線を集めた事だろう。


 そんな美貌の主、公爵家の娘であるカティーナは、眼前のまるで暗雲のごときどんよりとした陰気な存在へと心配の言葉をかけた。


「うっぷ・・・・・吐きそう、です」

「どうしてたかが試験でそんなに死にそうになっているのよ」


 陰気の主は手で口を押さえ噴出しそうになる不快感を体を波打たせながら必死に耐える。


 雪解けの清純なせせらぎの如き繊細な光沢を放つ銀糸の髪を風が嬉しそうに遊ばせる。何一つのくすみもない白磁の肌と整い過ぎた顔立ちは彼女が現実のものか疑わせるほどのもだ。愛らしくも美しい、幻想的であり神秘的。彼女が身に付けている黒を基調としたゴスロリタイプのメイド服もまた彼女の魅力を際立たせている。それはカティーナとはまた違う美を体現している。


 ただ残念な事に少女は見るも絶えない疲労困憊さに生気を失いかけているようだった。


 そんな編入試験の学科を終え次の実技の為に校庭に出てきた銀髪の少女ナオの余りの憔悴ぶりに、カティーナは盛大な呆れの声を上げていた。


「・・・・テスト、嫌だ・・・・・・受験、怖い」


 ハイライトの消えた瞳が何よりも彼女の試験の結果を物語っているのだろう。


 ナオの元は日本人である。

 それなりの大学を出ているナオは、それなりに受験の厳しさや辛さを味わっている。基本楽観的な性格をしているが、流石のナオも当時を思い出してそのプレッシャーに大分のまれてしまっていた。

 その所為で筆記試験は思うようにいかなかったのである。


 この編入試験は年齢的に中学生レベルだろうとナオは舐めてかかっていた。だが、その考えが如何に甘かったのか試験が始まって早々に思い知る羽目となった。

 静寂の中で紙に向かってカリカリと一心不乱に筆を動かしていると自然と強迫観念に襲われてくる。次第に焦りや苛立ちが募りはじめ思うように問題が解けなくなってくるのだ。分かっているのに上手く答えが出せない。簡単な所でミスをしてしまう。終いには答案用紙に名前を書き忘れ、時間ぎりぎりで気付くなんてのもあった。


 受験は魔物。その事をナオは改めて痛感させられた。


 カティーナに促されベンチに座ると付き添いで着いてきたヘレナがポットから温かなお茶を注ぎナオに渡す。


「これでも飲んで少し落ち着きなさい」

「・・・・はい」


 顔はお茶に向けられていないのに、インプットされたロボットの様に口元にコップを持っていきクイっと一口飲む。温かなお茶が喉から体の内部をほんのりと癒していくと、蒼褪めていた顔から僅かな火照りももどってくる。


「がふっ」

「ちょ、汚いですわよ!」

「・・・・ナオ、あなた・・・・はぁ今は大目に見ましょう」


 そしてとても可愛いとは言えないげっぷを吐き出すと、カティーナもヘレナもあまりなナオの行いに眉を顰め心配したのが馬鹿らしいとげんなりとする。


「あ、すいません。ちょっと言葉通り気が抜けてしまっちゃいました。あははははは」

「・・・・・・・・まぁいいですわ。いつものナオに戻ったと思えば」

「ちょっ、その言い方何だかすごく馬鹿にされてる気が」

「で、どうだったのかしら?試験の方は・・・・・・・・・その様子だと察しは尽きますが」

「うっ、歴史や教養はまぁそれなりだったんですけど・・・・・・楽勝だと思っていた算術が、ちょっと・・・・・」


 ナオは胸の前で指を回しなっがらばつの悪い顔で項垂れる。


 試験の内容としてはカティーナが予測してくれたことが見事に的中していた為、苦手だった歴史や教養についてはペンが止まらないくらいには出来ていた。しかし日本の記憶をもとに中学生レベルと考えていた算術が思いの外できなかった。


(侮っていた。内容的に同じだから楽勝だと思っていたけど・・・・・・かなり忘れている事が多かった)


 ナオが奈緒として中学に通っていたのはなんだかんだで25年程前になる。転生の記憶を取り戻す前、つまりは奈緒だけの記憶だけでも10年は昔だ。しかも中学で習う数学なんて正直社会人になってから使う機会など全く無い。人間誰しも使わなければ忘れるもの。いくら中学生レベルと言えど覚えていなければ難問に等しい。


「おかしいわね。確認したときは出来てると思いましたのに」


 確かにカティーナに確認の為と出題され問題は出来ていた。いや実際はそれ以上に難しい問題だって解いていた。ただやはり本番とそうじゃないのとでは違うということなのだろう。焦りから上手く考えることが出来ずに苦戦してしまった。


「私ももう少し出来ると思ってました。なんですかねぇ。歳を取ると物忘れが激しくなるって本当なんですね」


 ナオの隣に座るカティーナは、スラリとした両足を綺麗に揃えその片方の膝に両手を軽く載せ、如何にも上品なお嬢様を醸し出しているが、その目は所謂ジト目である。

 真横からの呆れの視線に気付きもしないナオは、歳を取るのは嫌だと自らの肩を叩いては年寄りじみた愚痴をこぼす。


「年を取るって、ナオ、あなたまだ十五でしょ・・・・・・・て、それ私への充てつけですか!?」

「ち、違いますよぉ。そんな事思っていもいませんよ・・・・・(恐いから)。それに先輩まだまだ若いじゃないですか。先輩まだにじゅうごぁだぁぁぁ!」


 余計なことを口走るナオにヘレナはムキーと眉を吊り上げ物理的な制裁を加える。


「まぁ仕方ないわね。終わったのだから筆記試験は成る様にしか成らないわ。それよりも次の実技を頑張りなさいな。第一学院はどちらかと言えば実技を重んじるから、こちらをいい成績で終わらせられれば問題ありませんわ。ナオもこちらの方が得意でしょ」


 ナオとヘレナの掛け合いをいつもの事だとカティーナはさらりと流し、次の試験の内容に思いを巡らせた。


 第一学院の編入試験は筆記試験と身体能力測定、所謂実技試験と大きく分けると2つに分かれる。この学院の主な役目を考えればどちらを重視しているかは瞭然としている。ここは騎士を魔法士を育成する場である。試験の重点は実技に偏っているのは致し方のない事だ。


 だからこそナオが筆記試験で思うようにできなかったとしてもカティーナは然程問題視はしてはいない。庭で私兵と模擬戦をするナオを見て、その常識外な身体能力の高さに合格はほぼ確定的だろうと考えているからだ。


 ただ一つ懸念があるとすれば身体能力のもう一つの試験である【魔力測定】だろうか。


 これだけは事前に確認する術が無かったので判断が難しい。如何に才能があろうとも習っていなければ魔法は使え無い。また魔力を図るのは特殊な器具を必要とするため、いくら公爵家と言えど使用頻度の低い測定器など持っていない。当然の事ながらナオがこれまでに魔法らしきものを使用したところなど見ていないカティーナはナオに魔力があるかどうかの判断が出来ない。


(まぁそれでもナオは従者としてだから身体能力の結果が良ければ問題ないでしょう)


 だがそんなカティーナの思惑とは打って変わり、実際に試験を受けるナオは先程と同じように絶望に打ちひしがれていた。


(え、あれ、何で落ち込んでいますの、この娘?)


 これ以上は肩が抜けてしまうのではないかと心配になるほど肩を落とし、吐き出された溜息は肺の中の空気を全て使い切ったの如く長く重い。


「・・・・・実技試験。くっ、終わった・・・・終わってしまいました。筆記で点を稼げないとなると私の学園編は始まる前に終わってしまいました。チートと思っていた私の力などこの世界ではゴブリン以下でしかないんです。調子に乗っていた私をどうぞ笑ってください。所詮はモブにも成れないモブモブです。どうせ私はクッコロさんにもなれないんです。ノークッコロです、ノッコロです」

「・・・・・・何を言っているのか全く分からないわ」

「お嬢様、私もです」


 模擬戦で私兵に手も足も出ずに負けたと勘違いしているナオは実技試験に絶望していた。

 理解しがたい言葉を羅列しながら自分を罵るナオにカティーナとヘレナは訳も分からずただ困惑の表情を浮かべるしかなかった。





 第一学院の入試は年に二回実施される。

 それは時期に左右されずより能力の高いものが挑め趣旨のもとだ。


 今回、ナオ以外に受験しているのは九名だけだった。大半は春の一回目を受験する。秋に行う追加を受験するのはその時どうして都合がつかなかった者たちだ。講義が半年分不足すると考えれば当然の選択であろう。


 今回はナオを入れた十名は全て従者枠での受験である。

 試験内容には騎士候補と従者とで違いは無い。筆記試験は全員が同じ内容で行う。違いが有るのは身体能力等の実技の方だ。

 騎士候補生は魔力測定が重要視され、実技も魔法が選択される。それは王国の素たる始まりの騎士たちが魔法士であったことに所以する。王国は魔法士に作られ魔法士に守られてきた。それ故に騎士として一番必要な要素は魔法が如何に使えるかと言う部分にある。


 だが従者は違う。


 従者の主な役割は騎士の補助と護衛にある。魔法士が魔法を行使する際、近づく敵を排除することに意義を持っている。その為求められる能力は魔法よりも体術や剣術といった部分だ。だからと言って魔法が使えるのが考慮されないかと言えばそれは違う。当然の事ながら魔法が使えればそれだけ優秀と見られ合格率は上がる。魔力により身体能力も上がるのだからその判定基準は重要になる。ただ騎士と違い、魔法が全く使えなくても近接戦闘において優秀と認められれば十分に合格できる可能性はある。結局のところは実力次第なのだ。


 それと従者には平民も多い。


 騎士の大藩は貴族である。これは魔力が血により受け継がれ、過去の魔法士たちはその功績で貴族となっていることに起因している。

 だが従者は魔力を持たなくともその腕だけでなることは可能だ。だからこそカティーナはナオを従者として第一学院に入れようと思ったのだ。



「な、何か見られてませんか」


 ナオが不安げに辺りを見渡す。


 実技試験会場へと脚を踏み入れた3人。すると既に集まっていた受験者やその関係者から集まる視線にナオが怯えヘレナの背後に隠れる。


「気にするだけ損ですわ」


 カティーナは気にはなっているが慣れの為か臆することなく悠然と歩みを進める。ヘレナも澄ましたままカティーナに付き従っている。


「お嬢様の御家柄故に仕方がありません。ナオも慣れなさい」


 縮こまるナオにヘレナが堂々とするよう促すが、あまり注目されることに慣れていないナオとしてはそんなこと言われてもと言った気分だ。


 カティーナは王家筋に繋がる公爵家の次女。さらに言えば幼少の頃よりその能力の高さから多くの者たちから注目を集める存在となっている。更に類まれた美貌を備えているのだから嫁の貰い手として注目度は非常に高い。


 現在第一学院に在籍している中でもトラヴィス王国第二王子であるロバートと公爵家の娘カティーナは別格と言っていい存在となっている。もう一人別な公爵家の者が在籍しているが、その者は三男であり跡取りでないため、権力を欲する者たちからすれば然程重要ではない。


 だがカティーナは違う。

 次女とは言え力あるレヴァナンス公爵家の娘。それを嫁にもらえば家のつながりで自ずと力を得ることが出来るうえ本人の資質も高いときている。


 第一学院は入学できる年齢に幅がある。思慮深き貴族の者たちはこのロバートとカティーナに子息息女を近づけるために態々時期をずらした者もいるほどだ。


 だからこそこの場の視線はカティーナへと注がれる。従者を入学させようとするものは皆貴族だから、その繋がりを少しでも得ようとしているのだ。

 受験者やその関係者は皆、カティーナが自分の従者を今日編入試験を受けさせる事を知っていた。そのこと自体カティーナが情報を伏せていた訳でもないのでこうなることは予想できていた。公爵家の娘として堂々と振舞う事は彼女にとって当然の事なのだから。


 ただ唯一予想外なのはこんなにもナオが実技試験で落ち込んでいる事だろうか。


「・・・・はぁ」


 小さくため息を吐くカティーナは、普段の元気さが無い専属メイドに憂いの目を向ける。


「ほらナオ、いい加減シャキリとしなさいな。貴方は曲がりなりにもわたくしの推薦でわたくしの従者として受験しているのですから、そんな情けない姿では示しがつきませんわよ」

「・・・・・・ふぃ」


 カティーナが発破を掛けるが今一気の乗らない返事が戻ってきた。



 ナオたちが来た場所は学院内の屋外闘技場である。


 コロッセオの縮小版の様な闘技場は、周囲を円状に囲む簡易的な観客席が設けられており、その大きさも直径百メートルは超えそうなくらいはある。


 その観客席には関係者たち思い思いの場所に陣取っている。そして中央の闘技場には受験生たちが既にナオを残し全員集まっていた。


「今更何を臆しているのです。貴方の取り柄は馬鹿で元気な事でしょうが」


 バシンと背中を叩き、ヘレナがナオを叱咤する。その姿は実に漢らしい。


「・・・・酷いです」


 半泣きでヘレナに追い出されるように闘技場へと降りる。階段の一段一段が今のナオには処刑場へ続いているように思えた。闘技場の中心、他の受験生たちが集まる場所へと重い足取りで歩いていく。


「あれが公爵家の・・・・・・・・ちょっとじゃないか」

「筆記の時一番前にいた子じゃないか。あの髪色は間違いない・・・・・・・・・・あの時は見えなかったけど・・・・・・・な」

「あんな小さな体で従者だなんて・・・・・お遊びと思っているの?」

「あれがカティーナ様の・・・・・・・・何でメイド服なのよ?」


 受験生たちが驚き騒めく。

 ある者はナオのその容貌に、ある者は公爵家の姫に付く従者が小柄な少女であることに、そしてまたある者は実技もある試験に何故かメイド服を着ている事に。

 公爵家の従者を吟味するように視線をはわせる。

 ナオは身に受ける視線の気持悪さを感じつつ、他の受験生から少し離れた場所で立ち止まった。


 良し悪しは様々あれど皆がナオに興味を示すが直接声を掛けるものはいなかった。やはり公爵家所縁といのは非常に強く、更にはナオの神秘的で誰の目をも引く美貌もそれに拍車をかける。受験生たちは互いに牽制しあいながらナオとの間合いを図っていた。


「・・・・・・へぇ」


 ただ一人だけは違っていた。


 ナオに好奇心旺盛な目を向ける少年。その少年は誰にも聞こえない程度の感嘆の声を上げると、臆することもなくナオの元へと脚を向ける。


「やぁ、君。そんな端に居ないでこちらにおいでよ」


 そしてまるで自然に吹くそよ風の様に然も自然と声を掛けるのだった。

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