第25話 ナオとアスニャン、勘違いなんですけど!

「酷いです、酷いですぅ!!」


 清らかで涼し気な瀑布ばくふの滝の如く、潤いと艶に満ちた美しき青銀の髪の頭頂部を押さえ、目に涙を貯めて恨めし気に訴えているのはお馴染みゴスロリメイド服のナオである。


「アスニャンの所為で先輩にぶたれたじゃないですか」


 頬を膨らませ憤りをあらわに捲し立てるが、どこかコミカルで可愛らしく思えてしまうのは、ナオの類まれな整った容姿の所為だろうか。


 そしてナオが怒りをぶつける相手、床にちょこんと可愛らしくお座りをした真っ白な猫は、この国の守護獣として名高い聖獣アストロフィの仮の姿だ。


 アストロフィは猫の狭い額を寄せては困ったといった顔を猫なりにしている。


『いや、悪かった、と思ってはおる。だが我とて腹が空いていたのでな、いたしかたなかったのだ』

「うぅ、確かにご飯あげるのを忘れていたけど・・・・・・むぅ」


 アストロフィの反論に速攻で傍目を悪くしてしまうナオ。自分に原因があると自覚しているのだろう。


『多少の犠牲はあったが結果的には良かったではないか。我がここに居るのも許してもらえたしな。ナオもきつい仕置きはもらったようだがそれでお咎め無しなのだろう。ならばもう問題あるまいて』

「とっても痛いの。多少じゃないの。とっても痛かったの・・・・・・・でも、確かに許してもらえたから良かったですけど」


 ことはアストロフィが料理長の娘であるカルアに見つかったことから始まる。

 カルアは迷い猫と思ったアストロフィを父のゲンドラの所へ連れていき、ゲンドラと一緒に屋敷の主であるカティーナに報告した。

 カティーナは最初に「何で猫?」と驚きを露わにし、ゲンドラの話を聞いているうちにどんどんと首が傾いて行く。

 同室にはメイド長であるヘレナもいて一緒に話を聞いていた。ヘレナは眉間を指で摘まんでぐりぐりと回し始め、「あの子はどうして次から次へと・・・・・」との呟きは震えていた。別にナオが連れ込んだという証拠は無かったのだが、どうやらヘレナの中ではナオが連れてきたことが確定していたようだ。まぁ日ごろの行いゆえだろう。

 すぐさまナオが呼び出された。

 ナオは部屋に入ってすぐカティーナに抱かれたアストロフィを見た瞬間に「げ!」と、少女にあるまじき驚きの声を上げる。その時点でその場にいた全員が「あ、こいつ犯人だ」と確信した。

 そして長い長い説教の後、ヘレナからのきつい一撃を貰う羽目となった。ただ以外にもカティーナがアストロフィを気に入ったみたく、アストロフィは追い出される事無くここで飼っても構わないと言われたのだ。


 その事を思い出しながらナオはギリリと奥歯を噛み締めていた。


『過ぎた事だ。いつまでもうじうじとしても仕方が無かろう』

「・・・・・そうですけど、アスニャンからそれ言われると何だかムカつきます」


 アストロフィの正論に納得いかないとばかりにナオは頬を膨らませる。そんな飼い主にやれやれと肩を竦める器用な猫は「それはそうと」と話を切り替えた。


『明日はとやらの試験があるのだろう?準備はもう大丈夫なのか?》


 アストロフィの試験という言葉にナオは「うっ」と頬をひくつかせる。


 第一学院に従者として編入させるとカティーナが宣言してからずっと、ヘレナが付きっきりでナオの勉強を見てきている。そもそも第一学院は誰でも彼でも入れるところではない事は発案者のカティーナが一番良く知っている。当然の事ながら入学に値する素質が問われる。

 ナオは頭が悪い訳では無くどちらかと言えばいい方だとカティーナは知っている。ただ普段の行動が突拍子無く常識が著しくかけているだけだと。仮にナオが言っていた「サイクロプスを倒した」が本当なのであれば、第一学院に編入するのはそれほど難しい事ではないだろうとカティーナは思っていた。ただ不安もある。


 それは学力面。


 ナオは日本で生きていたころの知識も持っているから、数学や化学などの分野で考えればこの世界の誰よりも良いのかもしれない。だが全分野において問題ない訳では無い。先程も述べたようにこの世界での一般的な常識が無いのが問題なのだ。つまりはナオはこの世界の歴史や文化や法律など、本来生まれ育ち身に付くはずのそう言った知識が極端に欠如しているのだ。


 それはナオのにも関係しているのだが、なまじ日本人としての記憶があるため、日本とこことが変に混同してしまい誤った認識を持ってしまっている。

 この事をヘレナやカティーナが知った際、あまりにも偏ったナオの知識のばらつきに、二人は何とも言えない表情を浮かべた。

 結局ナオには一般常識と編入試験に必要な歴史学をヘレナが徹底的に教えることとなった、のだが。


 ナオはアストロフィからそうっと視線を外し「うん、まぁ大丈夫・・・・・」と微妙な返事をした。どうみても大丈夫ではなさそうだ。


『とてもそう見えんのだがな・・・・・・我は人間世界の事が良く分からんのだが、その「しけん」とやらで一定の評価を得られなければその「がくいん」とやらには入れぬのだったな。そもそもその「しけん」とやらは何をするのだ?』

「それは・・・・・数学と語学、歴史学、あとは教養、この四科目の筆記試験と身体能力と魔力の測定をすららしいですね。そうお嬢様が言ってました。筆記は五十点満点中平均で三十五点が必要だって・・・・・・はぁまさかここで試験勉強させられるとは思っていませんでしたよ」


 気落ちの具合が肩の落ち方で良く分かる。落ちた肩からどこか悲し気にさらさらと銀髪が流れていく。


「数学とかは良いんですよ。こっちの数学なんて簡単なものですから。語学もそう難しいものでもないですし・・・・・・でも歴史学が・・・・・・・何なの馬鹿じゃないの、このなんのためにここまで作り込んだのか分からない細かな設定は何!?」


 忌々しそうに曲がった口から漏れ出してくる呪詛のようなボヤキはどんどんと大きくなる。途中から理解しがたい言葉の羅列にアストロフィの首が可愛らしく折れ曲がる中、ナオのボヤキは更に続く。


「しかも微妙にズレているから覚え難いし分かり辛いんですよ。自由解放の聖者ジャンム・ダルクンって誰ですか。しかも男になってるじゃないですか。オラ・ノブナーガってもう駄洒落もいいとこですよね。どこの田舎者の殿様だよって感じですよ。それを真面目に語る先輩に笑っちゃったじゃないですか。怒られましたよ。でもオラ・ノブナーガですよオラ・ノブナーガ。真面目に聞けってのが無理ですよ!!連呼されたら笑いますよ!!名前の前に「おっす」って入れろよってんですよ」


 プンプンと怒るナオ。もう言っていることが意味不明だ。


 ナオにとってここはゲームの世界。夢なのかうつつなのか定かじゃない世界。ナオからしてみればこの世界の背景はゲームクリエーターたちの設定したもの。しかもどう考えても洒落で設定しているだろと文句を言いたい物ばかりだ。そんな世界の常識を真面目に勉強しろと言われても気合が今一はいらない。


 アストロフィからしたら何をそんなに怒っているのか全く理解できない。


『まぁなんだ・・・・・頑張れ』


 だからかける言葉が適当になるのも仕方の無い事。


 だがそれが面白くなかったのか、ナオは益々ほっぺを膨らませ顔を真っ赤に染め上げる。如何にも「私、不満です」と言わんばかりに。


 アストロフィはこれ以上この話は面倒そうだと、早々に次の話を振ることにする。


『それ以外には身体能力だったか?それは純粋な力比べみたいなものなのだろう?そっちはナオは得意なのではないか』


 不得意分野より得意分野の話だなと、身体能力に優れているナオならば気分を直してくれるだろうと試験を行う他の項目へと話を移した。だが、アストロフィの予想とは裏腹にナオは薄い胸を押さえ「ごふっ」と演技じみた動作で床に崩れ落ちた。アストロフィは驚き一歩後ろに飛びのく。


『ななっ、どうした。もしかしてこれもさっきと同じで「ひっきしけん」なる物なのか?』

「・・・・・・いえ、違いますよ。それは実技です」

『ん?じつぎ?それはやはり力試しみたいなものでよいのか。ならばナオの得意な事では無いのか。それなのにどうしてそのように落ち込んでいる?』

「・・・・・・確かに身体能力の試験は体を使った実戦形式なもので、私の場合は剣術を希望したから模擬戦になるってお嬢様が言ってました・・・・・・・・・相手は学院の講師が担当するんだそうです」

『ん?戦闘であるならば問題あるまいて、ナオ程の能力をもってすれば勝てる人間などそうそういるものでは無いだろう。何せ我に痛みを与えたのだからな』


 項垂れたままのナオをアストロフィは不思議そうに見上げる。

 アストロフィはナオの身体能力の高さを我が身で文字通り痛感させられている。何しろ初めてナオを会った時に石をぶつけられ痛い思いをしているのだから。

 今は愛らしい猫の姿のアストロフィだが本来は巨大な獅子型の聖獣である。大地の守護者とも呼ばれる存在は遥か昔からこの大陸における生物の頂点に君臨していた。そんな力の頂点たるアストロフィにナオは小石を投げつけて甚振ったのだ。


 それは尋常な事ではない。


『そう言えば朝模擬戦をするために行ったのではなかったのか?「真価を発揮する」とかで張り切っていったと思ったのだが』


 その所為でアストロフィは食事にありつけなかった。だから部屋を出ていったら見つかってしまいナオが呼び出されて説教を受けるに至っている。


 その時自信満々に出ていったナオであるが、アストロフィの問いかけに苦虫を噛み潰したような顔で「うぅ~」と唸り声を上げた。

 その様子に明らかにうまくいかなかった事が分かってしまったアストロフィは、軽く息を吐いてから『何かあたのか?』と念話を送った。


「・・・・・負け・・・・た」

「ん?何と?」

「・・けました」

「ん?」

「負けました。模擬戦して負けたんです。私にはチートは無かったんですよ、畜生ぉぉぉぉぉぉ!!」


 ナオは床を手で何度も叩きつけては声を荒げて悔しさを爆発させた。


「・・・・・・に゛ゃ『はっ?』」


 アストロフィは数舜の沈黙の後間抜けな声を出していた。


 聞き間違いだろうか、アストロフィは数度瞬きを繰り返すし、恐らく聞き取ったであろう言葉を繰り返した。


『・・・・・・はて?今しがた負けた、と聞こえてきたのだが・・・・・』

「そうですよ!悪いか」


 ナオが逆切れを起こすがアストロフィはそのこと自体目についていない。ナオの肯定の返しに我が耳を疑い呆けている。


『ナオが・・・・・・人間如きに負けたとな?』

「人間如きって、私も人間なんですけど・・・・・・・・まぁでも負けました。一撃も加える事も出来ずに、翻弄しているつもりが逆に翻弄されて気が付いたら倒れていました。いつの間にか倒されてしまいました」


 もう自棄だとばかりに手足を放り出す姿は淑女にあるまじきどこぞの不貞腐れた子供みたいだ。


 ナオが話しているのは今朝がた私兵の男と行った模擬戦。

 そこで自分の実力をカティーナに見せつけてあげようと思っていたのに、ナオは無様にも地面に転がされてしまった・・・・・・・実際には自分で転がったのだが。

 だがナオはこれが相手の戦術と剣技によるものと勘違いしている。


『・・・・・・馬鹿、な!?』


 アストロフィは雷に打たれたかのような衝撃を受けた。


『我を害せるほどのナオ相手に人間が勝だと?しかもその手法までも知られずに・・・・・・・・・・うぅむ、我が森にこもっている間に人間はどれ程までに進化してしまったというのだ?昔の、アルセーヌが居たころとは違うということか・・・・・我を傷つけうる存在など当時はアルセーヌくらいしかいなかったというのに・・・・・・今はそのような輩がたかが一貴族の私兵とな・・・・・・・くっ、これでは我も侮ってはおれぬかもしれん』


 アストロフィも苦虫を噛み潰したように牙を鳴らす。まさか格下だと侮っていた存在がそこまで力ある者に進化していようなど想像だにしていなかった。


「私も自分をチートなどと思っていたのに実はたいしたことが無かっただなんて・・・・・道理であの時お嬢様たちは驚きもしなかった訳です・・・・・恥ずぃ」


 ナオも一人剣の練習をしていた時には「俺TUEEEEE」だったのだが、それが誤りだったのだと顔を押さえて悶える。



 ・・・・・・だが実際は違う。



 ナオは私兵に負けた訳では無い。ただ単に目を回して自爆しただけだ。そしてカティーナとヘレナは余りの常識外れたナオの動きに驚きを通り越して感情が抜け落ちてしまっただけだ。


 だがその事にナオは気づかない。


 だってナオはアホな子だから。


 そしてアストロフィもその事に気が付かない。


 だって引きこもりだったから。


 その為ナオとアストロフィは、この世界の人間に対して深い誤解を抱くことになってしまった。

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