第15話 遭難したんですけど!

「思っていた以上に、うっぷ・・・・気持ち悪い」


 ナオは倒れたサイクロプスをチラチラわき目で見ながら言葉と吐き気を漏らす。


「これは・・・・・ゲーム感覚でやるのは無理です」


 魔物退治=レベルアップ。ナオの中にあったそんな方程式は脆くも崩れ去っていた。


 そして改めて思う。


「ここってやっぱり現実なんだ・・・・・・」


 簡単に考えていた自分を呪いつつ、またしても目にしてしまったサイクロプスの死骸に胃の中がかき回され、口から出てこないよう必死にこらえる。


「・・・・帰ろう」


 生まれたての小鹿のようにプルプルと脚を震わせやっとのこと立ち上がる。深緑の瞳は陰鬱に淀み一段低くなっている声がテンションの駄々下がり具合を表している。


 落とした剣を拾ってズルズルと地面に線を引きながらとぼとぼと森を引き返し始めた。


 深い森の中、姿の見えない鳥の鳴き声があちこちから聞こえてくる。来るときは感じなかった不気味さに肩をすくませ、怯えにナオの手は固く握られていた。


「・・・・・・・」


 どれくらい歩いたのだろうか。ナオの時間の感覚が麻痺してきたころ、何時まで経っても出口が見えてこない事が気になりだした。


 来るときに草を刈りながら進んできた道。それをたどれば迷うことは無いと思っていたのだが、進めど進めど見えるのはずっと奥まで連なる木々だけ。

 ナオはクルクルと周りを見渡すが、どこを見ても同じ景色にしか見えない。いつの間にか足元に生い茂っていた草も無くなっている。目印にしていたはずの刈り取って進んできた道が、どこにも見当たらなかった。


 そうなって初めてナオは気が付いた。


「どどどどどどどうしよう。迷子になってるぅぅぅ」


 ゴスロリメイド服をひらひらとはためかせ、ナオはあたふたと周りに森への出口が無いかと走り回る。

 だがどこを見ても、どこへ行っても同じ景色が続く。結果ナオは完全に方角を見失ってしまった。


 ナオが前世で山登りとか経験していればまた違う結果だったのだろうが、残念ながら奈緒は超インドア派。森や山歩きの知識など微塵も持っていなかった。


「・・・・・最悪じゃない。これってもしかして遭難。どうしよう、どうしたらいいの?」


 だから当然遭難した場合の対処法など知らない。


 そもそもこの様な緊急事態に対処できる装備を持っていない。なにしろメイド服に刃の潰れた剣しか持ってきていないのだから。

 食料はポケットに入っているお菓子が少々、飲み物など無い。


 ナオは愕然と木に凭れ掛かる。


「馬鹿、私の馬鹿」


 剣が使えるようになったからと調子に乗ってしまった自分を罵った。


 本来であれば遭難した場合、無暗に動かず体力を温存させ救助を待たないといけないのだが、今回はその方法は壊滅的愚策となってしまう。


 そもそもこの森に人が来ることはまずない。軍や騎士団が訓練に訪れたり、魔物が森からあふれてきたら討伐体が組まれることもあるが、今はその予定はない。それに待っているにもここは魔物が現れる。じっとしていても何れ魔物に襲われてしまうし、ナオがここにきていることは誰にも言っていないから捜索隊が来ることだってない。もしかしたら「魔物と戦いたい」発言から推測してくるかもしれないが、そうなるまでに何日かかるか分かったものではない。何の装備も持っていないナオにそれだけの日数を凌げるかは甚だ疑問だ。


 だからナオは自力で脱出するしか助かる方法が無いのだ。


 重い足取りで沈み込む腐葉土の上をひたすらに歩く。太陽がどの位置にあるのかすら分からない森の中、ナオの気力をどんどんと奪われていく。


「お腹すいたぁ。もうつかれたぁ。お嬢様に会いたいよぉ・・・・ん?」


 ついには泣き言が出てきたころ、先の方に開けた場所が目に飛び込んできた。


「あ、森の出口」


 ナオは先程までの疲れ切った様子がどこへ行ったのか、声と脚を弾ませて一気に駆け出し、木々の間をスルスルと滑らかな動きで抜けていく。

 森を抜けるとしばらくぶりの明るい光に目を細め、喜びに天高く両手を突き上げて「やったぁぁ」と声を上げた。


 が、しかし、目が光に慣れ始めると、ナオは自分が思っていた景色と違っていることに気が付き首を傾げた。


「・・・・あ、れ?」


 本来であれば王都まで続く平原がある筈なのだが、今ナオの目の前にはまるで小山の様な大きな岩。雨による風化なのか表面はささくれだつ凸凹で独特な形を作り出している。周囲が森に囲まれているのに不思議とここだけがすっぽりと木が無くなっている。全体の雰囲気がどことなく厳かな、まるでご神体が祀られているような気さえしてくる。重苦しい雰囲気はこの場所が普通の所でないと物語っている。


 だが今のナオにそんな事を気にしている余裕はなかった。


「・・・・そんなぁ」


 やっと抜け出たと喜べば、そこは森の中の空白地帯みたいな場所だった。落胆にナオはへなりと地べたへとお尻をつき、精も根も尽きたばかりに肩を抜けそうなくらい落とした。

 小ばかにするような鳥の囀りがやけに耳に付く。


 何だかもうどうでも良くなってきた。


 やっと見えた天を仰ぎながらナオは呆然とし悲観に暮れた。


「あぁ今回の生も短く哀れだった・・・」


 転生の記憶を宿してこれからという時に、まさかこんなあっさりと、しかも遭難して死ぬなどとは考えてもいなかった。


「こんな事ならお嬢様の胸、もっと揉んどくんだったなぁ」


 後悔の念を口にするが、出てきたのが恐ろしくくだらない。薄っぺらなナオの人生、もう少し何かあるだろうが、ナオは真剣にその事を悔やんでいるのだからどうしようもない。



 その時。



 カララララ。


 岩山から乾いた音が鳴る。


 ナオが陰鬱な目を上げれば、岩山の天辺に何やらこれまた大きな影が佇んでいた。


『ここに人が来るとは珍しいのぉ』


 それは不思議な感覚だった。


 耳から聞こえてきたのか、或いは頭に直接流れてきているのか、しわがれた老人と若い娘の声が合わさったような不思議な声が聞こえきた。


「え、誰?・・・・・・・あなた、なのです?」


 慌てて振り向いてもそこには森があるだけで誰もいない。あるとすればと岩山の黒い影を見る。


『ほぉ、我の声を聞くか其の方。これまた珍しきかな』


 すると影は岩山の上からひょいっと跳び上がると、大きな体である筈なのに音も無くしなやかにナオの前に降り立った。


 それは目の前に来ると更に大きく見えた。


 座り込んだナオが真上を見上げるほどに。


「・・・・ら、ライオン!」


 それはライオンだった。


「ら、ライオン?」


 いや、ライオンの様な何かだった。


 フォルム自体はライオンそのものだ。ただ大きさがおかしい。


 体高はナオよりも大きく二メートル程有りそうで、頭から尾の先まで入れれば体長は三メートルを超すだろう。

 ナオの目の前にそろえられた前足は、一本だけでもナオの胴体より太い。じゃれつかれでもしたら瞬く間に全身の骨が砕かれてしまう事だろう。変異体のアルビノなのか体毛はシルクの様につややかな白で、雄大な姿と相まって神々しく思える美しさがある。


 そして何より、ライオンの雄の象徴であるたてがみ


 ゆらゆらと立ち上るようにはためく鬣は蒼白く燃え盛る炎だった。


 だが不思議と熱は全く感じない。しかも鬣部分から延焼する様子も全く無いし、ライオンが熱がっている訳でもない。


 だがそれは燃えている。どう見ても炎そのものだ。



 ナオは唖然とライオンを見上げ・・・・・そして思った。





「火の輪くぐりに失敗したライオンだ!!」

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