第16話 ライオンぽいんですけど!
『いや、我は何も失敗などしておらん・・・・・』
ライオンの男女混成の声に戸惑いを感じる。もしライオンに表情があるのだとしたら、きっと眉根を寄せていたことだろう。このライオン擬き見た目はともかく優しい性格なのかもしれない。
ナオは唯々茫然とだらしなく口を開きっぱなしにライオン擬きを見上げてる。疲れ切ってしまった心が恐怖を忘れさせているのか、あるいは言葉を発するライオン擬きに驚きのあまり意識が飛んでしまったのか、どちらにしてもこの如何にも化け物な巨大ライオン擬きにナオの反応は今一鈍かった。
『そもそも我はらいおんなどというものではないのだが』
お座り状態の巨大ライオン擬きは、縦に裂けた金の瞳をナオに向けた。ナオがハッと我に返る。
「・・・・ライオンじゃなかったら貴方は何?」
あれだけ森の中で臆病だったナオなのに、目の前の巨大ライオン擬きを怖がる気配も物怖じも感じさせず、まるで普通の人と話す様に質問を投げかける。
それどころか不思議とライオン擬きと面と向かってから、どちらかと言えば落ち着いてきているようにすら思える。その事にナオ自身は気が付いていない。こうして普通に会話を試みていること自体が異常なのだと本人は全く自覚していない。
ライオン擬きもそんなナオに興味がわいたのか、鼻をひくつかせ口角を僅かに持ち上げ、然も笑ったような表情を作る。
『威勢良きかな人の娘よ。我はアストロフィ。彼の御方の願いに従い古よりこの地を見てきた万有の守護者なり』
威厳か尊厳か。アストロフィは逞しくもふわふわな胸を膨らませそらしては、銀髪が舞い上がるほど荒い鼻息をナオに吹きかけた。
それは覇気に近い不可視のオーラ。前に立つものは首を垂れずにはいられない絶対の畏怖をアストロフィはその身からはなっていた。
「・・・・・言っている意味が良く分からないんですが」
しかし残念ながらナオにはその真意が色々な意味で伝わらなかったようだ。ナオは威圧を放つアストロフィに敬いも怯えも無く、ただただ胡乱気な目を向けるだけ。
ナオの反応にアストロフィは「グル」と喉を鳴らしは逸らした胸を徐々に丸めると。
『ま、まぁ良い。我の役目がどうかなど、其の方の様なただの人の娘には関係の無い事よ。らいおんなどと言う訳の分からぬものではなく、我がアストロフィだと解してくれればよい』
多少頬筋を引きつらせるも平静を保ちつつ、若干悔しかったのか言い訳がましい嫌味を含ませるあたり、体は大きくても器量は小さい。
ナオはそれに対して「うん、分かった」と素直に返事を返したものだから、ますますアストロフィは不満気に喉を鳴らし、話の成り立たなさに会話が途絶える。
そうして巨大な燃えるライオンと銀髪の美少女は沈黙のお見合いをする、奇妙な光景が森の中で暫しの間続いた。
『と、ところで人の娘よ。其の方は何故ここにいる?』
沈黙を破ったのはアストロフィだった。
金の縦裂けの瞳をギラリと光らせ、ナオがこの場に立ち入った理由を男女混成の声で問いてきた。ナオはその問いに眉を寄せると渋面を作り。
「何でって・・・・・・迷子です」
と涙目になりながら、視線をアストロフィから逸らす。
迷子だと答えるナオに、アストロフィは縦裂きの金の瞳を僅かに丸くして、まるで仔犬の様に炎の鬣を纏った頭をこてりと傾けた。
『そのような理由でここに立ち入れる訳無かろうが。ここは【守護の塚】ぞ。どうやって其の方はこの場所へ来たのだ』
「そんなの迷ったんだから分かる訳無いじゃない」
巨大ライオン擬きのアストロフィは、眼下で不貞腐れ半分キレ気味に答えるナオに困惑しっぱなしだ。
そして内心思う。
(何だこやつは)
と。
美しい銀髪の少女は守護聖獣である自分に全くと言っていいほど物怖じをしない。それどころか何て太々しい事か。自分を目の前にして胡坐をかいている腕組みしている。
久しぶりに見た人間は何と不可思議な者か。
思えばアストロフィが人間と会話をしたのも何時ぶりだっただろうか。
(アルセーヌと言ったかな、あの人間)
長きに生きるアストロフィにとっては刹那の時間。だが今も色濃く残る遠い過去の記憶。
(我の代わりにこの土地を守るとか抜かしておったが、なかなか面白い人間であったな。あれ以降、我の地が荒らされることが無くなったんもまた事実か)
人間の世で言えばあれは英雄なのだろう、アストロフィは思いだしては過去にあった人間に少なからずの感慨を抱いた。
しかし、とアストロフィは人間の娘を瞳に映す。
(それ以来初めてとなる来訪者は何とも珍妙なことか。迷ったと言ってこの地に訪れるなど理解に苦しむぞ。しかもあの男の様な風格も覇気も持たぬのに、何故だか我はこの人間の娘に強く出ることが出来ぬでいる。これは一体どういうことなのか、我はなぜこうも落ち着かぬ・・・・・ん、待てよ)
得てして不思議な自分の感情、それはもはや魂にこびり付いた呪いに近い感覚に、アストロフィはもやりとした苛立ちとも不安とも違う落ち着かなさを感じていた。
アストロフィにとって人間など自然の中にある命の一つにしかすぎない。それは森に生えている草と同じ、風に棚引く木と等しい。無下に散らす気は無いが気にする程の重要さは無い。ただ無駄に知性があるだけに度が過ぎた場合は、盟約に従い刈り取ることも辞さない。アストロフィにとって人間とはそんな存在でしかなかった。
過去に訪れたアルセーヌはその中では特別なものにアストロフィは思えた。魂が他の人間とは違っていた。大きく広い澄んだ魂は守護聖獣のアストロフィに面白いと思わせた。
だがこの銀髪の娘はどうなのだろうか。
正直アストロフィにはナオの魂がつかみ切れていなかった。
ある意味それも特別だと言えなくも無いのだが、どうにもそれはアストロフィを落ち着かない気持にさせる何かを含んでいるような気がした。
その事に深慮の皺を刻んだていたとき、アストロフィの鼻腔が確信的な根幹の一部と思わしきものを感じ取る。
だがそれは決して単純な匂いなどでは無い。聖獣ならではの感覚がつかみ取る魂の一部。
『・・・・・其の方、匂うな』
やっとつかんだ不可解な人間の魂に、アストロフィは奇しくも浅はかな言葉で綴ってしまった。それによりナオは盛大に美しき顔を歪ませる。
「っな!?」
聖獣に女性に対してのエチケットなどと言う概念があるとは思えないが、だがこれは些か配慮が欠け過ぎた一言であり、それによりナオが驚愕と悲観と不快で表情を曇らせ固まったことは必然と言える。
胡坐をかいたまま体を硬直させるナオの身体を、アストロフィは「ふんふん」と嗅ぎまわる。これも大分失礼な行動。精神年齢アラフォーで迷子になるという情けない事態に傷ついていたナオのプライドにブスリと刃物を突き立てるようなもの。ナオの脳裏浮かんだ「加齢臭」の文字で地面にナオが崩れ落ちたのを誰が攻められようか。
「ひ、酷い、です」
打ちひしがれ絶望するナオを、言葉の暴力を放ったアストロフィは何が起こったのか分からず訝し気に見下ろしていた。
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