私、メイドなんですけど! ~転生メイドは最強にして最凶。未来の魔王のお嬢様を今日も精一杯可愛がります~

シシオドシ

第一章 異世界転生編

第1話 落ちてしまったんですけど!

「あ゛ぁ゛、私もうじき死ぬかもしんない」


 真っ暗な部屋の中、ディスプレイから放たれる光に灯された女の顔は、宛ら幽霊を思わせるには十分な不健康さがにじみ出ていた。


 目の下の隈は彼女がどれ程寝ていないのか邪推してしまう程色濃く、こけた頬が生活の不摂生さを物語っている。


 瞳孔が開ききった眼は口からでた辞世の言葉とは裏腹に、嬉々とした様相にディスプレイの中をせわしなく動いていた。口が若干緩い笑みを浮かべているのは誰が見ても恐ろしくて気持ち悪いと思った事だろう。


 だが幸いにしてこの部屋には彼女以外誰もいない。いや、これは世間一般では不幸と呼べる人種なのだろうが、彼女にとっては最大の幸福の空間であるのは間違いないことだ。

 そもそも彼女はこの空間に人を立ち入らせることを何よりも嫌っているのだから、その幸福感に議論をする余地など無い。


 彼女、蒔田奈緒は所謂ヲタクである。


 奈緒が生きているのは3次元の世界であるはずだが、実質活動している時間は3次元と2次元で半々と言えるかもしれない。

 ただ、否応なしに生きるしかない3次元と、嬉々として入り浸れる2次元とでは、その時間の大切さは大きく異なる事だろう。


 だから半死半生の状態で辞世の句を詠んだとしても、奈緒は今こうして幸福の笑みを浮かべているのだ。例えそれが他人から見たら気持ち悪い笑みであろうとも、である。


 さらに言うなれば奈緒がニヤっと笑ったシーンもまた問題だったかもしれない。


 いまディスプレー上に表示されているのはゲームの画面。しかも目指していたヒロインの服をが脱がされる、所謂濡れ場なのだから。


 これが思春期の男の子であればある分致し方ない生理現象として世間は受け入れるかもしれ無い。だが実際それを見て緩んだ笑みを浮かべているのは、もうじき三十を迎えようとしている、生物的にまぎれもない女だというのだから頭が痛い。人によっては世も末と嘆いていたかもしれない。


 奈緒は今ゲームをしていた。


 【ヒロインサーガ3】


 それは恋愛シミュレーションRPGと言われる分野で、普通の戦いのあるRPGで複数のヒーローとヒロインが恋愛模様を繰り広げる、日本人ならではの難解かつ繊細なセンスにより生み出されたゲームであり、一部のマニアに絶大な人気を誇るシリーズの三作目である。


 奈緒はその一部のマニアにどっぷりとはまっている人種であった。


「こ、これで残すはメインだけね。長かったわね、私にこれだけ睡眠を許さないなんてとんだサディスティックな作品だわ・・・グヒ」


 半分錯乱しているのかもしれない言動は、気味の悪い豚鼻で締めくくられる。


 こんな彼女だ、当然彼氏などできたことが無い。


 奈緒はコントローラー片手にちらりと時計に目をやった。


 正直時計を見たことに意味があったのかは怪しいところ。日付の感覚すらずれている奈緒に今が何時だろうが関係なくも思える。とはいえ習慣的に目にした時計は既に深夜の二時を過ぎていた。


「あれ?あと何日休みあったんだっけ?」


 朦朧とする意識で回らない脳をかき回すが今一回答が出てこない。


「え~と、リフレッシュ休暇が八日間だから・・・・・」


 指折り数えるが途中の計算があいまいなのか折った指を戻しては折を繰り返す。


「だ、駄目だ。血糖値が下がり過ぎて考えられない」


 そうしてはあっていそうで観点のずれた言い訳に思考を止める。


 奈緒は今の会社に大学を出て直ぐに就職をした。何てことの無い会社の何てことの無い事務の仕事だが、それでも奈緒は休むこともせず真面目に働いてきた。それも偏にゲームをやるために。


 奈緒は大学卒業と同時に親に見放されてしまった。


 いや、その言い方は語弊があるかもしれない。


 奈緒の両親は少しでも奈緒が真人間になれるようにと、何とか大学までは送り出してくれた。

 奈緒は幼少のころからゲームが大好きだった。しかも恋愛系ばっかりだ。

 その熱は完全に度を越えて、両親が何も言わなかったら学校を平然と休んでゲームをやり続ける程に。

 だから両親は一つ奈緒と約束を交わした。


「大学を出たら後は自分一人生きていきなさい」


 それは両親にとって苦肉の策だったのかもしれない。

 結果的に両親は奈緒が学生の間に真人間にすることを諦めた。その代わり最低限の学歴が付く程度には頑張ってきたのだ。


 だが成人を迎え、学生で無くなった奈緒をいつまでもそのままにしておくのは、流石に愛しの我が娘でも許容できなかった。逆に言えば愛しいからこそ許容してはいけないと思った。


 両親は身を切る思いで奈緒を突き放した。


 依存するものが無ければ頑張れるのではないかと期待をして、そう踏み切ったのは両親は奈緒ならばできるという確信あってのこと。


 奈緒は頭の回転だけは速かった。それこそ一流の国立大学に行けるのではと幼少のころは思われたほどだ。

 だがそれは現実にはならなかった。彼女は努力する時間が圧倒的に不足していたからだ。勉強するくらいならゲームをやる、それが奈緒のアイデンティティであったのだから。


 結果それなりの大学へと進学することとなったのだが、奈緒の頭が良い事には変わりはない。環境さえ変わってしまえば、この子はきっと何でも出来る筈、そう両親は妄信する。もうそう思うしかなかった。だから両親は奈緒を卒業と同時に家から奈緒を出した。親の脛から無理矢理引き剥がしたのだ。


 ある意味これは両親が思っていた通りの結果を残す事となる。


 奈緒は社会人になり、極々当たり前の生活を送れるようになった。



 ・・・・・・・・少なくとも両親にはそう見えていた。



 毎日仕事に勤しみ、入った会社を辞めることも無く一人暮らしを続けている奈緒は、もう大丈夫だと両親は勘違いをしていた。


 確かに外面上はそう見えていたのだから仕方が無い。


 両親はミスを犯した。


 娘を更生させるため、極力の過度な接触を持たないようにした。それは娘の部屋に入らないという、よくわからない不文律みたいなものを作り出していた。


 だから娘が会社から帰ってからの生活を目にすることが無かった。


 そんな事過去の奈緒を見ていれば直ぐに分かるはずなのだが、それだけの奈緒が両親からすれば完璧だったのだろう。


 で、話が戻るのだが、結局奈緒のゲーム好きは治るどころか悪化の一途をたどっている。現にこうして勤勉に努めてきた甲斐に手にしたリフレッシュ休暇という長期の休みを、ひたすらゲームするという愚行に費やしてしまうほどに。しかもゲームに集中し過ぎてほとんど睡眠も食事もしていない事態に陥るほどに。


 奈緒の悪化は何れ両親も気付くことだろう。こうして彼氏も作らず歳をとって行けば、自ずと両親は不安になるというのもだ。


「あ、空腹すぎて立ち上がれない」


 こうして廃人と化しつつある妙齢の女性は、生まれたばかりの小鹿の様に、全身を震わせて何とか壁に寄りかかり立ち上がる。


 流石に拙いと思った奈緒は救命活動に取り組むことにした。


 まるでフルマラソンでもしてきたように息を荒げて台所へと足を這わせる。一歩一歩の動きがゾンビのそれとよく似ている。


 ガチャ。


 小さな2ドアの冷蔵庫の扉を開けた。ひんやりとした冷気と一緒に霜の臭いが鼻腔をくすぐる。久しぶりにパソコンの冷却ファンから流れる匂いとは別な匂いに触発された奈緒のお腹は、「ぐう」という久しぶりの主張を訴えかけてきた。

 奈緒は自分が冷蔵庫に入りそうなくらい顔を庫内へと近づける。


 そして直ぐに表情がくぐもった悲しいものへと変化した。


「・・・・何にもない」


 それもそうだろう。奈緒はここ一週間買い物に出ていない。


 そもそも冷蔵庫に入れておいたのは調理無しでも直ぐに食べられるものだけ、つまりはゲームの合間に抓める様なものだけしか入れておらず、そのような食べ物は当の昔に奈緒の胃腸が消化してしまっている。


 おさまりが付かない腹がぐうぐうと激しく主張してくる。


 流石の奈緒もここまで来ると諦めて外へと出るしかない。


「あと一人でフルコンだけど・・・・・・くっ、仕方が無い」


 こんなことで断腸するなと両親が居たら奈緒の頭を小突いたことだろう。それぐらいの覚悟を持った表情で奈緒は財布を片手に、覚束ない足取りで家から出ていった。




 コンビニの店内の灯りがやけに目に沁みながらも、何とか食料を調達することが出来た奈緒は、幾分足取りが軽くなっていた。


 帰り道肌寒い風が吹き抜けて、今更ながら着の身着のまま出てきてしまった事に気が付いた奈緒は、少々の恥ずかしさを覚える。それは久しぶりの人間らしい感覚だったかもしれない。


 奈緒は徐に空を見上げた。


 星は見えない。


 深夜の時間帯と言えどもそれなりに電飾が明かるいこの辺りでは、それこそ一等星くらいしか見えることはない。


 そんな星の無い空を見上げていたら急に奈緒は寂しさを覚えた。どうしてそんな事を感じたのか奈緒自体良く分からなかったが、無性に誰かに触れたい気持ちになっていた。


 それは肌寒さの所為なのか、或いは久しぶりに外界に出た為か。


 何にしても寂しいと思ったのは事実だった。


「明日、お母さんに電話してみよっかな」


 随分と感傷的な声色だった。存分に寂しさと嬉しさを感じさせる声だった。


 休みが後何日残っているか分からないが、一日でもあるのであれば会いに行くのもいいかなどと思いをはせていた。


 空を見上げ歩く。


 そんな事をしていると少し童心に戻ったような気になる。




 でもそれが良くなかった。




 普通に歩いていればそんな事が起こることは無かっただろう。



 奈緒の姿が一瞬で消え去った。


 まるで神隠しにあったかのように瞬く間に消え去った。


 そしてその場に残ったのは買ってきた弁当と、蓋が開いたままのマンホールの穴。



 奈緒はマンホールに落ちてしまったのだ。



 周囲を赤いポールが囲んだ工事中のマンホールにものの見事にカップインしていたのだ。



 そして何とも運の無い事か、奈緒の人生はマンホールの穴の中で無惨に終わりを告げたのだった。

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