第38話 帰ろうと思ってたんですけど!

「何だか騒がしいわね。今日はイベントでも催しているのかしら」


 ゴージャスな金髪を揺らし細い顎に白魚のような指を添え小首を傾げたのは、公爵家の令嬢であるカティーナである。

 カティーナは侍女のヘレナを伴い買い物を楽しんでいたのだが、その折後方で人が集まり騒がしくなったことに訝し気にそう疑問の声をこぼした。


「ホールにそう言った掲示はされておりませんでしたが、もしかしたらサプライズバーゲンとかゲリライベントあたりでも始まったのかもしれませんね」


 年若い主人と同じように小首を傾げていた赤髪のメイドヘレナは、自らの記憶を覗き込むように視線を上げ思い浮かぶ可能性を告げたのだが、最後になって何故だか眉根を寄せた。


「・・・・それか」


 そして何とも歯切れの悪い繋ぎの言葉を口にする。


「ヘレナ?」


 普段完璧に近い侍女のあまり見せない言い淀みにカティーナは彼女の名を呼ぶ。名を呼ばれたヘレナが主人へと眼を向けるも、その表情は言うか言うまいか迷っている、そんな感じに見えた。


「・・・・それか、なに?」


 カティーナは見ることの無い馴染みの侍女の様子に嫌な予感が掻き立てられながらも、繋いだ言葉の先がどうしても気になってしまう。カティーナは恐る恐る続きを促す。


 ヘレナの唇がもにゅもにゅと動く。

 言霊とはよく言ったものだ。口にした瞬間あり得ない事でも本当に起こってしまいそうな気になってくる。

 それでも主人から催促されたとなればだんまりは出来ない。

 ヘレナは重々しくもその口を開く。


「あまり、その・・・・考えたくない、と言いますか、無い事を祈りたいのですが」


 その出だしは何とも歯切れが悪く聞き耳を立てていたカティーナの綺麗な柳眉が逆さへの字に曲がり寄っていく。カティーナはその語り口に不穏な空気を感じる。そしてそれが確かな前兆であったと、ヘレナの次に出た固有名によって証明された。


「ナオが・・・・・・」


 絞り出す声音。

 ヘレナが心底苦汁を飲んで吐き出した言葉は、カティーナが良く知る人物の名前であり、何となく今出てきそうだとカティーナが予感していた名でもあった。ただ出来る事であれば今聞きたくない名でもあった。


 だからカティーナにヘレナがその名を口にした時の驚きの色は一切無い。あるのは諦念に近い困惑と嫌だなぁと言う拒否感。ただそれがあまりにも強かったため淑女としては決して見せてはいけないような表情を浮かべている。


 ヘレナは名前を口にしただけだが、カティーナにとってそれだけで十分だった。

 思い起こせばあのメイドはとんでもない事ばかりを引き起こしている。

 入ってはいけない神聖な森に無断で入り、それだけでは飽き足らず王家の近衛兵団が相手にしなければいけないような存在を倒して来たと言う。帰ってこないかと思えば衛兵に掴まっていて身元引受に行かされるし、つい先日に至っては名高い軍人と互角の死闘を繰り広げるありさま。


 あれにはが多すぎる。


 だからある種の逆な信頼がある。



 あぁ、あの娘にあり得ないがあり得ない。


 とてもとてもありそうだ、と。



 直後、カティーナは頭を抱えた。

 想像したくない出来事ばかりが想像できてしまう。

 あってはいけないのにありそうだ。

 あれならばやる。そんないらない確信が湧いてくる。


「・・・・まさか、ねぇ」

「・・・・・えぇ、まさかとは思うのですが・・・・」

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」


 だからこそ敢えて否定を口にする。

 そして言霊だと信じてヘレナも否定を口にする。

 だが直ぐに二人は沈黙した。

 あまりに蛮行に実績がありすぎるメイドに否定の言葉も頗る弱い。


 そこから二人の切り替えは早かった。


「さ、さぁヘレナ、まだ買うものがあるわ。さっさと行くわよ!」

「はい、お嬢様。すぐここから離れて買い物をいたしましょう。えぇさっさとここから離れましょう!」


 全力で聞かなかったことにしたカティーナ。

 そして大事な事だから二回言ったヘレナ。


 どちらも心境は同じ。


 面倒臭い事には巻き込まれたくない、だ。


 多くの人々が集まる一角を背中にし、カティーナとヘレナはスタスタと足早に歩む逃げるのだった。






「ふへぇ、マジもんの変態に遭遇とは思いませんでした。ここのショッピングセンターはどれほど魔窟と化しているんですか!?」


 憔悴とも憤慨ともつかない、青白い顔で奥歯をぎりりと噛みしめる泥棒スタイルのゴスロリメイドである彼女、ナオは、今通路の展示されている衣装の物陰に身を隠していた。


 女子トイレへの乱入者もとい変質者から逃げてきたナオは、身を隠す最強の武装ほっかむりを再び確りと装着し、特徴的なよく目立つ銀髪は完全にその中に収納している。


『あの程度、ナオなら叩き潰すのも簡単だったろうに』


 白猫姿の聖獣アストロフィが顔の毛づくろいをしながら、老若男女が入り混じった不思議な念波で呆れをこぼす。


「えぇ!!嫌よ。気持ち悪い」


 その言い分にナオは猛烈な抗議の声を上げた。隠れている事など全く考慮していないかのように。だがやはり誰もナオを認識しようとしない不思議。


 ナオは変質者との遭遇を思いだしたのか寒そうに上腕をすすり撫でつけ、邪念を追い払う様に顔をブルブルと振った。


「女子のトイレに入ってくるようなマジもんの変態なんて、下手に触れただけで私の貞操の危機ですよ。まったく、乙女として断固拒否です、拒否!」


 プンプンと頬を膨らませ判りやすい抗議を示す。

 アストロフィとしては「乙女がほっかむりをするのは良いのか」と言いたいところではあるが、本気で怖がっていたのを知っている事もあり、あえてその言葉は呑み込んだ。

 それにこれ以上ナオに突っ込みを入れて良い事など無い。それをアストロフィはこの短い期間に随分と学んでいる。


「そ、それよりもお嬢様よ・・・・・・・あぁ完全に見失っちゃったよぉ」


 ナオは些か強引に思考を切り替える。嫌な事は早々に切り捨てる、それがナオのモットーだ。


 だがそちらはそちらで大きな問題がある。


 逃げていたものだからカティーナたちの行方が分からない。

 しかもこれだけ広い商業施設、更に人の出も今日は多い。この中から人一人見つけるのは流石のナオとて至難の業だ。


「あきらめるしかないかな・・・・・それに何か今日はもう疲れたし」


 ナオは眼下で蠢く客を眺めながらため息をこぼした。


 ナオが居るのは二階の吹き抜け部分、その物陰。

 そこからは一階のエントランスが丁度見渡せる。

 四方に流れる人波は絶えることなく流れ続けている。

 それを呆然と見ながら本日の主目的が達成困難であることに肩を落す。

 それにナオとしても今日この場は早く離れたいという意思もあった。


「でも・・・・あれだけは何とかしたいかも」


 唯一つ気がかりなのはカティーナをつけ狙っていた変質者の存在である。


 トイレであった変態の方が危険度としては上だが、通路上であったのは明らかにカティーナを狙っていた様子だった。


 直接的な被害がありそうな相手を放置するのは出来ない。


「うん、やっぱり探そ・・・・・ん?」


 考えを帰結させたナオはカティーナをやはり探そうとそn重い腰を上げた・・・・その時、眼下のエントランスに見覚えのある煌びやかな金髪と鮮やかな赤髪が目に入った。


 何の思し召しか、出入り口付近にカティーナとヘレナの姿を見つけたのだった。

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