第41話 忍びなんですけど!
背後から突如として声が掛かる。
男はそれなりに気配には敏感だと自負していた。だがそれは全く気付かれることなく背後にしかも間近へと現れた。
「っ!!」
男は驚愕に息を飲んだ。
こうも易々と背後を取られるなど思ってもみなかった。男は深い焦燥に全身が粟立つのを感じた。
だがそれも数舜の間のことだ。
男は即座にその場から飛び退くと、振り向きざまに背後の相手へと拳を振るう。
その反応速度と対応は歴戦の強者を思わせる。
だが振るった拳は軽快な風切り音を上げ空を切っていた。
しかし男は咄嗟に避けられたのだと察し、しかも状況下からしゃがんだものと判断していた。
自分の背後を取る相手に対し男は一切の油断も無かった。
男は右足を豪快にけり出した。
「ちょっと、危ないじゃないですか!」
「!!」
これである程度牽制は出来た、男がそう思った矢先まさかの事態が起きる。
またしても背後から声を掛けられたからだ。
蹴り上げた脚も唯空を切っただけで終わっていた。
「馬鹿な」と男は内心驚愕に打ち震えながらも前転して相手と距離を取った。
ゴロンゴロンと身を回し素早く立ち上がった男は臨戦態勢に身構える。
どうやら今度は相手を正面に捉える事が出来たようで、男は初めて自分を驚愕させた敵と対峙した。
だがそれがこれまでで一番の驚愕へとなるなど男は思いもしなかった。
「・・・・・・・・・・は?」
間の抜けた声が細い路地裏に抜けていく。
それは男が出した声だった。
ありありと困惑を乗せた疑問の声だった。
つい男は棒立ちになる。それだけ男が受けた衝撃は意外だったのだ。
一言で言うのならば珍妙だろう。
目の前にいたのは小柄な少女だった。
年のころは自分よりも三つから五つほどは下に見える。
ただその事自体はそれほど驚くことではなかった。幼いころから訓練され密偵として動く者たちだっている。実際男も幼いころから様々な教育を受けてきている。
だがこの相手はどうにも毛色が違い過ぎた。
相手はメイド服らしきものを着ていた。
状況に応じてはそういう服装もあるのかもしれないが、この相手が着ているものは普通のメイド服では無かった。
色こそは黒ではあるがそのデザインが実にゴテゴテのヒラヒラだ。凡そ動きやすさなど微塵も計算に入れた形跡はない。正直このような格好では動き的にはまだしも目立ってしょうがない筈だ。ましてや隠密行動など以ての外だろう。
しかし男が驚愕したのはそこでもなかった。
一番の問題は頭部、厳密には頭部の被り物。
この相手、なぜだかタオルのような布地を頭からすっぽりと被っている。それだけならいざ知らず、どういう意図かは知らないがその布地の結び目を鼻の下へと持ってきているのだ。
顔を隠す為かと言えば一番印象に残る目元と口元はそのままだ。幾分か押し上げられた鼻が形を変えてはいるものの、露出しているところがあまりに多過ぎる。
それに鼻を押さえてしまっては呼吸が苦しくなり動きに支障が出るうえ、呼吸音だって大きくなることだろう。
どう考えても非効率的だ。
それに・・・・・・この恰好、女性としてどうなのだろうか。
よく見ると少女は綺麗な顔をしているように思える。
鼻が上向いて少々目元も圧迫により歪んでしまっているが、そこを差し引いても、ましてやそんな格好をしてもこれだけの見た目であれのならば、元は相当整っているはずだ。
「お前は何だ?」
そんな相手に男がこう問いかけるのも無理はない。
しかも短いながらにその意味合いは深い。
「ふふ、私は忍びです!!」
だが返ってきた答えがまた難解だった。
見ると少女は何故か得意げに鼻を鳴らして無い胸を張っている。
その不可解な行動が更に男を困惑させていた。
これはどう反応したらよいのか。
(しのび・・・・・忍びと言ったのか?)
字面的に「忍び」とは耐えるや隠れると言ったところだろう。
だがこの少女はどうだろうか。何かに耐えている様子も隠れようとする気概も全く見て取れない。しかも堂々と現れて忍んでいると宣言するのはどうなのだろう。
順当に考えれば少女が男に対する刺客であるというのが一番ありそうなのだが、どうにもこの少女を見ていると敵意はあっても悪意や害意、ましてや殺気などは一切感じない。
(調子が狂う)
その様な相手に対して男は警戒に行動を躊躇う。
(何で子猫を乗せている?)
少女の肩には何故だか真っ白い子猫が乗っている。似合っているような馬鹿にされているような、不可解な少女の格好にどうにも対処に迷いが出てしまう。
だからと言って不審な人物に対して気を緩めるほど男は温い環境で育ってきた訳じゃない。いかなる相手であっても冷静に冷徹に対処していかなければ生きていけない世界、それが常に男が育ってきた場所なのだ。女子供であろうと障害となりえる者は容赦なく切り捨ててきた。
だがどうしてだろうか。
このおかしな少女を目にしてから、男は攻撃的な行動がどうしてもとれなかった。
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