26.故意か無自覚か

 自分で言っておいて、また鳥肌が立つ。人が殺されるなんて出来事は、自分の周りでは関係ないことだと思っていた。テレビのニュースや新聞の事件欄を見て、物騒だとは思うし被害者に同情はしても、対岸の火事だった。そんな事件の当事者になるということは、全く思いもしなかった。まさか、ただの「不眠」がこんなに大きな事件につながるとは、誰が予想できたというのだ。


「一体、森崎の狙いは?」

「分からない」


 ため息をつくように、清川は言った。


「まだ故意か無自覚かも分からないからな。森崎が故意だった場合、最悪の結果になりかねない」


 最悪の結果。それはもう既に、則田が森崎に殺されているかもしれないということだ。清川は言葉こそ冷静を装っているが、内心穏やかではないのだろう。今にも病院を飛び出していきたいという衝動を抑えているのが伝わってくる。心なしか、徐々に清川の口調が早口になっていくような気がした。何かにせかされているのだろうか。


「心当たりは?」


 森崎の居場所。則田が森崎と落ち合いそうな場所。もしくは、何故今になってこんな深刻な状況になっているのかということ。


「ない。それに森崎を止めなければ『悪夢病』は広がり続けるだろう。おそらく則田は森崎のことを知っていて、君の絵を拡散させたんだと思う」

「俺の絵を、どうして則田さんに渡したんですか?」


 この時点で、俺の怒りはおさまっていた。どちらかと言うと、疑問の方が多かった。


「本当にすまない。則田にも約束はさせたんだが、コピーを渡してしまった。則田も黒森さんと同じように苦しんでいた患者の一人だったから、許してしまった。それに、この病の元凶である本にたどり着けたのは、則田との交換条件を飲んだからだ。言い訳に聞こえることは分かっている。申し訳ない」


 俺は清川に「もういいですよ」と言ってから、もう一度状況を整理しようと確認を取った。


「俺の絵を拡散させたのは、本当に則田さんなんですか?」

「間違いない。俺からも質問がある。黒森さんは……」


 清川が映に何か質問をしたいと切り出した時、コンコンと硬く冷たいノックの音が聞こえた。次にトイレの水が流れる音が聞こえたのと同時に、ぷつりと電話が切れた。患者には優しい清川のことだ。則田と言う友人よりも、多くの患者を優先し、それでも俺に伝えたいことがあって、トイレの個室にこもって電話をかけてきたのだろう。しかしそれに気付いた病院関係者に、叩き出された。俺は清川の話から、頭に引っかかるものを感じた。


「まさか、逆?」


 俺は独り言を言って、パソコンの前に座った。眠りの質が低下したら、人はまず、早めに布団に入ったり、ブルーライトを見ないようにしたり、自分の生活を見直す。それでも安眠できなければ、寝具を変えたり、新しくしたりする。風が吹いて桶屋が儲かるように、今なら寝具店が儲かるだろう。つまり、「悪夢病」で恩恵を受けるのは、寝具店やそのメーカー、そして、薬屋だ。しかしSNS社会の今、もはや「薬」は、画像データとして、スマホで持ち歩けるようになった。つまり、「悪夢病」の「薬」は絵なのだ。


 しかし、これが逆だったらどうだろう。「悪夢病」があって絵が求められたのではなく、本来の目的が、「薬」の拡散だったらどうだろう。そう思いながら俺はインターネットで「森崎楓」を検索にかけた。すると、例の本がヒットした。大手のネット販売会社だけではなく、フリマや古書店からの出品もあり、本は全国的に広がっている。ただし、購入者のレヴューはけして、高評価ではなかった。どちらかと言えば、否定的なレヴューが多い。それでも、これほど売りに出されていれば、買う人はいる。これではもはや、俺個人の力ではどうすることもできない。


 昔、あるホラー映画がヒットして、「呪いのビデオ」なるものが流行したことがあったと聞いたことがある。それに、お化け屋敷は怖いほど繁盛するということも聞いた気がする。人は誰でも「怖いもの見たさ」を持っているということだろう。そして半端な虚構よりも、実際に自分の身で体感できる虚構の方が好まれるのだ。もしも、森崎の本が、「呪いのビデオ」のような扱いをされたらどうだろうか。事実ではなくフィクションとして広がり、人々の「怖いもの見たさ」を刺激したら、さらに本の拡散に拍車がかかる。そして、これがフィクションではなく本当に病を発症したとなった場合、もうそれは手遅れだ。ホラーには怪奇現象を解決する術があるかもしれないが、拡散されている「薬」は効力を持たない。このまま病が広がれば、病院の許容範囲を超える危険性もある。俺は映のように苦しむ人を、もう見たくなかった。


 俺がこうしている間にも、本は売買されたり、貸し出されたりして、絵と同様に拡散されていく。今まで五人しか目にすることがなかった本が、ここまで売りに出されているということは、森崎は故意に本を広めているとしか考えられない。それは故意と言うより、悪意と言う質感に近く、俺は憤りを通り越して恐怖を覚えた。「森崎楓」は、SNSを使わない人物だったようで、本の著者ということしか分からなかった。しかし何故か、大手寝具メーカーの広告が出てくる。その寝具メーカーは、イルカのロゴを使っている高級寝具メーカーだった。俺と映が眠っているベッドも、ここの物だ。


 イルカは脳を左脳と右脳を交互に休ませられるという。つまりイルカは、脳を交互に眠らせることができるのだ。哺乳類であるイルカは海で生活するために、この術を身に付けたという。肺呼吸であるがために、全ての脳を休ませると海の中で溺れてしてしまうからだ。これまで気に留めていなかったロゴだが、そんな器用な眠りをするイルカのロゴは、熟睡を求める人間には不釣り合いだと、今は思う。

 





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