2.天才

 私の家族は、私の絵をほめてくれたものの、漫画家を目指すことには消極的だった。つまり、将来の夢であってもいいが、将来の目標としては不適切という雰囲気だった。だから私は、家族にも絵を描くことを秘密にした。

 

 中学校では美術部。高校では漫画研究会に在籍していた。周りの活発な女子たちからは、いよいよ「オタク」と分類されるようになった。しかし、そこには本当の「オタク女子」が沢山いて、私は彼女たちに守られ、差別化することで、何とか自分を支えていた。つまり、周りから見れば「オタク」だが、「オタク女子」のように遊びで絵は描いていないと、自分のことを位置づけていた。表向きは、単に楽しそうだから入っていたということになっていた。だが私は、まだ漫画家になりたかったのだ。しかし、表と裏、本音と建前を使い分けている内に、自分の限界が見えてくる。漫画には、ストーリーがあり、それを生かすコマ割りが必要だった。絵が巧くても、他の要素が私には決定的に欠けていた。そしていつしか私の夢は、漫画家からイラストレーターに変わっていた。本は子供の頃から好きだったし、挿絵にも興味があった。ストーリーは文章で書いてあるし、コマ割りの必要性もない。漫画家は駄目でも、イラストレーターならいけるのではないか。そんな軽い考えが、頭の中を過るようになっていったのだ。要するに私は、自分の逃げ道を探し始めていたのだ。そろそろ進路の話しになる頃でもあったから、家族や学校の言う「現実的な」将来像を、私は必要としていたのかもしれない。結局、私はイラストレーターを目標として、美大を目指すことになった。推薦入試もあったが、絵の審査があったので、辞退した。成績はそこそこ良かったから、普通に試験だけを受ける一般入試で合格することができた。


 私の妄想は膨らんだ。きっと美大には、私と同じ境遇の子が沢山いる。そんな人たちの中に入ったら、すぐに友達になれるだろう。漫画家やイラストレーターの卵たちの中にいられることが、私にとって理想だった。初めての一人暮らしというのも、魅力的だ。私は妄想で胸が弾んだ。

 

 同じ県内の実家と美大だったが、距離があり、一番の電車で大学についても、一時限目の授業に間に合わないことが分かった。家族と話し合った結果、大学の近くでアパートを借りて、一人暮らしをすることになった。一人なら家族の目を気にせず絵を描いていられる。何て幸せなのだろう。

 

 しかし私の妄想は、大学に入学して間もなく崩れ去ることとなる。そこは天才の集まりのような場所だった。とにかく、特出した個性とずば抜けた感性が、みなぎっていた。若くて、強くて、何より自分の作品のコンセプトをしっかり表現できることに長けた人々が、一心不乱に才能をぶつけ合っていた。私のように浮足立っている人は、いなかった。皆既に目標があり、地に足がついていた。授業すら難しく、私はついて行くのに必死だった。一日で多くの課題がいっぺんに出る。スケッチブックや下書き用のクロッキーを、常に持ち歩いている状態だった。それでも周りの人に追いつくどころか、徐々に置いて行かれるような感覚で、毎日挫折しそうになった。

 

 そんな中、学内展覧会のイベントポスターを、私が所属するコースの一年生が作ることになった。このイベントポスターは、毎年一年生が作り、学内外に日頃の成果を見てもらう機会でもあった。このポスターに選ばれる人は、本当に才能がある人だとされていた。そんなポスターに、私が所属するコースの一年生全員が提出する。もちろん、その中から採用されるのは、一名のみだ。私はこのポスター展を耳にしたとき、ここは弱肉強食の世界なのだと、改めて思った。入学前に思い描いていた同類や仲間はおらず、皆がライバルだった。脆くも崩れ去った幻想に、鉛筆が止まり、また一枚クロッキーを破り捨てた。自分に才能がないから、余計な事ばかり考えてしまう。そして大学にごまを擦るようなデザインばかりが浮かび、再びクロッキーを破った。同じコースの人ならどう描くかを考え、コンセプトを考え、結局落ち着くのは自己嫌悪。大学に提出する期限が迫り、私が提出したのは、小学生の年長が描くような、単純で短絡的な、どこかで見たようなポスターだった。この絵が、同じコースの人々の絵と同じまな板の上で調理されるのが、たまらなく恥ずかしかった。

 

 当然、私のポスターは採用されなかった。採用されたのは、私には思いつかないような、奇抜な色遣いと構図の作品だった。もはや同じ歳の人が描いたとは思えず、悔しささえ湧いてこなかった。私が審査員だったとしても、これを選ぶだろうという、圧倒的な絵だった。一度イカ墨でカンバスに描いた絵を、わざと破壊し、雑に元通りに戻した後、パソコンで読み込んで文字を浮き立たせたポスターだった。これだけ手間をかけたのに、製作時間はたったの一日で、下書きすらしていなかったと、審査員を務めた先生が解説する。それを私はただ、他人事のように聞いていた。自分がこの絵と比べられていたことなど、頭からすっかり抜け落ちていた。

 

 不採用となった他のポスターは、十把一絡げにされてパネル展示されることになった。一方、採用された一作だけが、印刷に回され、市内の文化施設や店の軒先に貼り出されることになった。大学の構内に入った直後出迎える、巨大なポスターを見て、私は立ち止まった。学内のライバルや、しのぎを削るような選別や評価など、まるでなかったかのように、その巨大ポスターは堂々と人々を出迎えていた。学生だけでなく、一般の人も多く訪れる作品展。きっと学生だけでなく、一般の人もこの絵に圧倒されるだろう。純粋で好奇心の塊のように見えたそのポスターから、目が離せなかった。私の絵に対する姿勢は、いつの頃から他人の評価だけを気にするようになったのか。絵を純粋に楽しんでいた頃の私の姿は、もうどこにもなかった。それなのに、このポスターからは打算的なものは、全く伝わってこなかった。ただ、本当に絵が好きで、描くことを考えるよりも先に手が動いているという雰囲気が、真正面から伝わってくる。天才だ、と私は思った。絵のレベルが軒並み高い美大において、頭一つ分飛び出た人が、私と同じコースに在籍している。こういう人でない限り、絵でお金を得ていくことはできない。私はポスターの下に小さく印字された作者名を目でなぞった。「中島幸」という漢字に、さらに小さい文字で「なかじまこう」とルビがふってあった。男女の区別がつかない名前だと思った。

 

 私は自分がちっぽけで、価値のない人間のように思えてきた。同じ一年生で、同じコースで、こんなにも遠くにいる人がいる。嫉妬なんて入り込む余地もないくらい、私はその絵が好きだった。小学生の頃を思い出して、涙が出た。私は「イタイ女」のままだ。漫画家なんて大風呂敷を広げておいて、結局イラストレーターにすぐに鞍替えして、甘い考えのまま、絵で食べていこうとしていた。才能もないくせに、努力もしない。そんな自分が嫌だった。私は入り口の巨大ポスターに背を向けてトイレに入り、声を殺して泣いた。

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