四章 夢の正体

20.こんな事例

 俺は子供の頃、神童と呼ばれていた。何不自由ない家庭環境で育ち、私立の小中高の一貫校出身で、医学部にも現役で合格した。大学でも、教授に気に入られていた。いわゆる人生の勝ち組で、俺の人生設計は完璧だった。あいつに出会うまでは。

 確か、臓器移植に関する授業を受けていた俺が、あいつに出会ったのは、その講義がそろそろ終わる頃だった。あいつは、教壇に向かって叫んだのだ。


「日本や先進国ってやつらは、野蛮な奴らだ。人を腹から喰いやがる。カニバリズム先進国ってわけだ!」


何を言っているのかよく分からなかったが、「人を腹から喰う」という部分を反芻してみて、分かった。あいつが言いたかったのは、臓器移植は、腹から人間を食べていると同じだ、と言いたかったのだ。そしてそんなことにも気づかずに、こうして受け身に授業を聞いている学生たちを遠回しに批判していたのだ。大学には過激な思想を持ったサークルも存在しており、大学に対する批判を繰り返していた。多くの学生が無視している中、何も知らない新入生がそのサークルの表向きの顔である「反戦」という言葉に引き寄せられることもあるらしい。そして、そのサークルで半ば洗脳されてから、コマとして使われるというわけだ。俺も他の受講生も、初めはそういったサークルの差し金が、授業に乱入していたと思った。


「君はどこの学生だ?」


怒りの表情を隠しきれない教授に、おちょくるような顔をしたあいつは、少しも悪びれることなく、言った。おそらく先生も俺たちと同じように、目障りなサークルの一員が、大学の講義を邪魔しに来たと思い込んでいたのだろう。


「医療人類学の専門。テーマは臓器移植の則田透のりたとおるです」


医療人類学、ということは文系の学生だ。どうやら自分のテーマに近い講義名にひかれて、医学部の講義に潜りこんだらしい。つまり、反大学のサークルのメンバーではないのだ。それなのに、この堂々とした態度は何なのだろう。俺は人生で初めてある種の衝撃を受けていた。たった一人で、他の学部の棟に行くだけでもアウェイ感で緊張するのに、その授業に乱入し、自分の身分まで明かしてしまう。そんなことが平然とできる生徒がいる。その事実は、何となくぬるま湯的な人間関係を築いてきた俺にとって、理解できないことだった。


「出て行け! 二度と私の講義に顔を出すな!」


もはや茹で蛸のように真っ赤になった教授に、則田はさらに火に油を注ぐ。


「さすが、自文化中心主義者」

「文系に人が救えるとでも言うのか?」


わずかに怒りを抑え込んで、教授は言った。しかしその先生の優しさを則田は無視した。


「個人を救うだなんて、おこがましい。文系には人々を救う可能性があるのです」

「早く出て行け!」


最後は絶叫だった。


「へいへい」


そう言い残して、則田は講義室を出て行った。もちろん授業に則田が来ることはなかったが、俺は則田のことが気になっていた。則田個人と言うより、人類学に医療人類学と言う分野があること自体、俺の知らない領域だったからだ。医学を扱う文系分野に、わずかに興味をそそられ、則田をそれとなく探して見たものの見つからなかった。

 俺が諦めかけた頃、大学の中央図書館でついに則田を発見した。則田は医学系の書籍と、文系の書籍を交互に見ながら、ノートに書いていた。器用なことをする奴がいたものだと、俺は初めて他の奴に舌を巻いた。則田は俺を見つけて、あからさまに嫌そうな顔をした。


「何の用だよ? 医学部のぼんぼん」


俺のことを覚えていたことに驚くと共に、嬉しさもあった。それは奇妙な感覚だった。他人に顔や名前を覚えてもらっていて当然だった俺が、何故則田にだけ顔を覚えられていたことに嬉しくなったのか。普通、変人に顔を覚えられていても、嬉しいと感じないはずだ。俺はここに来て、則田に自分が好意を持っていることに気付いた。しかし、あの授業の教室は狭かったとはいえ、ずっと講義を聞いていた則田は、どうやって俺の顔を覚えていたのだろう。則田は教室の前の方に座っていたから、後ろに座っていた俺の顔は振り向かなければ、見えなかったはずだ。則田が振り返ったのは、教授を攻めたてた一回から二回くらいだ。まさかたったそれだけで、あの授業に出席していた人物の顔を把握したとでも言うのだろうか。もしそうなら、凄まじい記憶力だ。いや、顔は何となく覚えていたかもしれない。俺は背が高いから、目立っていた可能性もある。そして、則田が言った「ぼんぼん」と言うのは、もしかしたら、則田以外の多くの学生に当てはまる呼称なのかもしれない。つまり則田は、貧困家庭の出身者かもしれないということだ。だから、誰にあっても「ぼんぼん」なのだ。しかし俺は、則田と対等でいたかった。


「ぼんぼん、って言いうのは、さすがに失礼だろ?」


則田は溜息を吐いて、英語の文献を目で追っていた。あきれ返っている。きっと心の中では「だから金持ちは」などと、思っているのだろう。


「もしかして、片親世代とか?」

「そうだけど、珍しくもないだろ。今の時代」


則田はぶっきらぼうに言った。


「大卒で働くのか?」


俺は則田に光る物を感じていて、このまま大学に残って研究を続けてほしいと思っていた。他の学部は四年で、医学部は六年だ。則田が修士課程まで進んでくれれば、俺と同時に大学を卒業できる。そんな打算的な気持ちもあった。


「俺は他の奴なんか最初から気にしてないんだよ。今はもう、学部の授業だけじゃなく、院のゼミに出てるんだ」

「院のゼミ? 則田さんは今何年生ですか?」

「一年だよ。お前もだろ? 敬語やめろ。気持ち悪い」


大学に入ってまだ数か月しか経っていないのに、もう院のゼミに混じっている。それを教授が許可しているのだから、院生にも教授にも、則田は認められている逸材と言える。


「じゃあ、将来は院に?」

「そうだよ。俺は常識を変えるために大学に入ったんだ。だから、他の奴に興味がないんだよ。もう邪魔するなよ」


俺は一瞬、言葉に詰まった。今、則田は何と言ったのか。「常識を変える」と、言ったのだ。確かに、「今の常識、昔の非常識」などと言われるくらい「常識」は常に流動体だ。その流動性を保っているのが、研究の積み重ねであることも、分かっている。しかし、一人の人間が、「常識を変える」と大真面目に言うのを、俺は初めて聞いたし、俺の考える学問の最終目標とは次元が違うと感じざるを得なかった。


「分かった」


そう頷いた俺は、則田の向かい側に座って、レポートを書き始めた。則田は苛立った様子で「おい」と言ったが、俺は動じなかった。すると則田はそのままペンを走らせ続けけた。なかなか一筋縄ではいかない強烈なキャラクターだと思っていたが、あれは科学偏重主義に対する、パフォーマンスだったのかもしれない。しかし臓器移植をテーマにして常識を変えたいというのなら、どうして医学部に来なかったのだろうか。


「そんなに臓器移植にこだわるなら、編入してこないのか?」


この大学には一年の内だけ、他学部に編入する制度がある。もちろん、編入先の試験を受けて合格しなければならない。しかし則田なら、それが可能な気がした。


「臓器移植そのものには、興味がない」

「どういうことだ?」

「医者は患者を治して命を助ける。それで終わり。でも患者の人生はそこで終わるわけではない。俺は臓器移植と言う現象に学術的価値があり、常識を変えるヒントがあると考えている」


そこで則田は初めて俺の顔を正面からとらえた。澄んだ瞳に、決意がにじんでいた。それは他の誰よりも強い光だった。おそらく、則田は夢物語としてでも、抽象的なものとしてでもなく、実際的に「常識」を見つめているのだろう。それが俺の体にも伝わるような瞳だった。そんな則田は、俺のノートを一瞥した。


「精神医学か。まあまあだな」

「何だよ、まあまあって」

「需要が見込まれる分野で、学問としても面白い」

「則田は、あ、悪い。名乗るの忘れてた。俺は清川傑だ。それで、則田はどうして医療人類学に目を付けたんだ?」


則田はうんざりした顔で、再び溜息をついた。


「アルビノ、って知っているな」


疑問形ではなく、確認だった。


「もちろん」

「アフリカのある地域における事例で、こんなのがあった。村にアルビノの赤ん坊が生まれると、村人は不吉だと言ってそのアルビノの赤ん坊を殺す。だが、殺した後、その赤ん坊の遺体の一部を持ち帰ると、御利益があると信じて本当に持ち去ってしまう。さて、医学部のぼんぼん。お前はこの赤ん坊をどうやって助ける? 救えるのか?」

「それは、迷信を迷信だと教えて、正しい医学的知識や科学的根拠を示せば、そんな事例はなくなるはずだ」




「どうやって?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます