4.今日はお祝い

 人間性でも、私は幸より劣っているような気がした。私は初対面の人とこんなふうに仲良くなれるほど、コミュニケーション力が高くないという自覚はあった。

 

 美大のイメージとして、単に絵を描いている部分しか持っていない人も多い。私も入学するまではそうだった。しかし日本画なら日本画の、西洋画だったら西洋の歴史も学ばなければならない。時には大学を飛び出して、市のイベントの中心メンバーとして参加することもあり、目が本当に回るくらいの忙しさだった。昼食をそっちのけで課題をこなしていることも多い。幸と私は西洋美術コースだから、一緒に授業を受け、一緒に課題をこなし、一緒に絵を描いて、共に時間を過ごした。出会った時から勘付いてはいたが、幸は推薦入試で入学しており、私とはスタート位置が違っていた。それでも幸は私見放したり、下に見たりしなかった。常に私を助けてくれる幸を、私は友達以上に大切に思うようになっていた。


 その一方で、幸が何かの賞を取るたびに、それに比例して私の小さな夢は削がれていった。就職活動を始める頃には、イラストレーターのイの字も口に出すことはなくなった。私の夢は、幸を応援することに変わっていたのだ。幸は先生や先輩からの誘いもあり、大学院に進学することを決めていた。ただそれだけのことが、私にとっても誇らしかったし、嬉しかった。

 

 一方で、私の就職活動は難航していた。送ったエントリーシートの数は百社を越えていた。会社説明会や就職セミナーにも、何度も足を運んだ。しかしどれも一次面接が関の山だった。面接まで行けた方が珍しく、ほとんど書類の段階で落ちていた。他の同期が、美術館や博物館を中心に、次々と内定をもらっていく中、私は明らかに取り残されていた。私は顔つきがあまり穏やかとは言えず、その割に極端な人見知りだった。人前では極度に緊張し、何も話せない。その性格的な不器用さもあるにもかかわらず、手先も不器用だった。内定が貰えないということは、私が社会にとって必要とされていないという思いにとらわれていた。そんな私を支えてくれたのは、やはり幸だった。内定が得られず、泣いている私に、そっと温かい飲み物を出してくれたり、私が面接の時は家事を全てやってくれたりした。そして「頑張り過ぎだよ。もう少し力を抜いてみたら?」とか、「映の真面目さや一生懸命さは、きっと伝わるよ」とか、いつも私を励ましてくれた。売り手優位言われる今どきの就職活動にあっても、優秀な人は早く内定をもらい、何社から内定が貰えたか分からないくらいに内定を得る中、いまだに内定を一社からももらえていない私は、ついに卒業制作と就職活動を並行しなければならなくなった。皆、四年の前半で内定をもらっていて、一社にも受からないのは私だけだった。


 私は自分に何の価値も見いだせなくなった頃、アパートのポストに一通の手紙を見つけた。以前に面接まで行ったことのある文房具店のマークがついていた。私は期待と不安を感じながら、その封を切った。短い文章の中に、しっかりと「内定」の文字があった。いつも目にして落ち込んでいた「残念ながら」とか、「見送り」とかという言葉は、なかった。私はポストの前で叫びそうになるのをこらえ、小さく拳を握りしめた。それは待ちに待った、内定通知書だった。私は走ってアパートの部屋に向かい、ドアをノックもせずに開けた。幸は鍵もチェーンもかけていなかった。


「幸っ! 幸、やったよ! 内定貰ったよ!」


私は幸と半同棲生活となっていた部屋に、飛び込んでいた。


「おめでとう! 映」


両手を広げた幸の腕に、私は抱きついた。幸の腕の中は、絵の具の匂いがした。私は今日が人生で一番幸せな日だと思った。


「今日はお祝いだな」


そういって幸は、自慢の料理をテーブルの上に並べた。それは本当にクリスマスと正月が一緒に来たみたいな、品ぞろえだった。鶏肉のソテーに、レタスと海藻のサラダ。赤ワインにカルボナーラのパスタ。コーンポタージュスープにデザートのケーキまでそろっていた。


「こんなに、いつの間に?」

「実は作り置きして冷凍してあったんだ。今日と言う日が、いつでも良いように」


ケーキだけは、お土産のつもりで買ってきたと、幸は舌を出した。


「幸、ありがとう」


私は就職活動と言う重圧から解放されたという喜びと、これでつつがなく卒業できるという安堵で、泣きそうになった。幸がそんな私の髪をくしゃくしゃにして撫でる。


「食べよう」

「うん!」


私と幸は、向かい合って夕食を共にした。食べながら、会社の話をする。


「で、内定はどこの会社?」

「文具店。駅の近くよ」


正直、内定は出たが、出たら出たで気が重かった。老舗の文具店だけあって、敷居が高く、仕事に厳しそうな会社だった。面接の時、一度事務室に入ったが、その時すでに私は気おされていた。


「ああ。あそこ。結構うちの大学も世話になってるよ」

「うん。事務用品も扱ってるから」

「それに、紙の品ぞろえが良いし、指定したサイズに裁断もしてくれるよな」

「うん。私も一回だけお願いしたことがある」

「じゃあ、良かったね。全く知らない会社じゃないし、大学ともつながっているし」

「まあ、そうだね」


私は頑張って笑っていた。接客が主な仕事だと聞いていたから、これからは毎日笑っていなければならない。そう思うだけで、気が滅入る。

私は大学に内定届を提出し、卒業制作に本腰を入れた。大学の進路課の人からも、大学の先生からも、「就職できないと思ったけど、できて良かったね」と言われた。ここまでぎりぎりで内定を取る人は、この大学では珍しいらしい。幸は早々に卒業制作を完成させて、試験を受けた。学内でも奇才、天才と騒がれていた幸だから、心配はしていなかった。当然の如く、幸は学内の推薦入試で合格した。春にはそれぞれの道に進むのだ。幸に合格通知が来た日には、今度は私が腕を振るって夕食を作った。幸と私は同じアパートで暮らし始め、私は大学と駅を結ぶバスで通勤した。幸は朝から晩まで大学にいるようになることから、元々大学の近くに私が借りていたアパートに、幸が越してきたということになる。


そしてこの頃から、私は幸に秘密を持つことになった。

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