4.今日はお祝い

両手を広げた幸の腕に、私は抱きついた。幸の腕の中は、絵の具の匂いがした。私は今日が人生で一番幸せな日だと思った。


「今日はお祝いだな」


 そういって幸は、自慢の料理をテーブルの上に並べた。それは本当にクリスマスと正月が一緒に来たみたいな、品ぞろえだった。鶏肉のソテーに、レタスと海藻のサラダ。赤ワインにカルボナーラのパスタ。コーンポタージュスープにデザートのケーキまでそろっていた。


「こんなに、いつの間に?」

「実は作り置きして冷凍してあったんだ。今日と言う日が、いつでも良いように」


 ケーキだけは、お土産のつもりで買ってきたと、幸は舌を出した。


「幸、ありがとう」


 私は就職活動と言う重圧から解放されたという喜びと、これでつつがなく卒業できるという安堵で、泣きそうになった。幸がそんな私の髪をくしゃくしゃにして撫でる。


「食べよう」

「うん!」


 私と幸は、向かい合って夕食を共にした。食べながら、会社の話をする。


「で、内定はどこの会社?」

「文具店。駅の近くよ」


 正直、内定は出たが、出たら出たで気が重かった。老舗の文具店だけあって、敷居が高く、仕事に厳しそうな会社だった。面接の時、一度事務室に入ったが、その時すでに私は気おされていた。


「ああ。あそこ。結構うちの大学も世話になってるよ」

「うん。事務用品も扱ってるから」

「それに、紙の品ぞろえが良いし、指定したサイズに裁断もしてくれるよな」

「うん。私も一回だけお願いしたことがある」

「じゃあ、良かったね。全く知らない会社じゃないし、大学ともつながっているし」

「まあ、そうだね」


 私は頑張って笑っていた。接客が主な仕事だと聞いていたから、これからは毎日笑っていなければならない。そう思うだけで、気が滅入る。

私は大学に内定届を提出し、卒業制作に本腰を入れた。大学の進路課の人からも、大学の先生からも、「就職できないと思ったけど、できて良かったね」と言われた。ここまでぎりぎりで内定を取る人は、この大学では珍しかったらしい。幸は早々に卒業制作を完成させて、試験を受けた。学内でも奇才、天才と騒がれていた幸だから、心配はしていなかった。当然の如く、幸は学内の推薦入試で合格した。春にはそれぞれの道に進むのだ。幸に合格通知が来た日には、今度は私が腕を振るって夕食を作った。幸と私は同じアパートで暮らし始め、私は大学と駅を結ぶバスで通勤した。幸は朝から晩まで大学にいるようになることから、元々大学の近くに私が借りていたアパートに、幸が越してきたということになる。




そしてこの頃から、私は幸に秘密を持つことになった。



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