私はアルバイトとパートを中心に閲覧する。パソコンを借り、求人票を見る。社名よりも業務内容を重視し、さらに同じ職場で何人くらいが同時に働くのかを確認する。この際、あまり知られている大きな企業か無名の小さな企業家は関係ない。むしろ、業務内容が出来るかできないかが肝心だ。他人の目を極度にを恐れるようになった私は、もう接客は出来ないし、数字が苦手だから事務作業もできない。あまり大勢の中で働くことも、難しいだろう。年齢の制限にはまだ届かないとはいえ、時が経つのは早い。求人票の一覧をスクロールして、短時間で人が少ない、軽作業を探す。当然、正社員は見込めない。だから、時給も最低賃金ぎりぎりの職ばかりが候補に残っていく。自分に合っていそうな職はなかなか見つからない。私はまだ、清川先生の診察を受けていて、障害者手帳を取るように勧められている。私のPTSDは、完全には治らなかったらしい。いきなり正社員として働くのは、やめた方が良いと清川先生も幸も言っている。私は気になった求人票をクリックして、パソコンの横にあるプリンターで印刷して、受付で番号札を貰う。


 ソファーで待っていると、やがて障害者担当の職員が、私の番号を呼んだ。正直、私はまだ自分が障害者であることに違和感があり、自覚も出来ていなかった。だから、実感もない。しかし私は確実にストレスに弱くなった。元気だった過去にはもう戻れない。私をこんなふうにした則田と言う人は、絶対に許せない。だが、だからと言って恨んだり憎んだりはしないようにしている。ハローワークの職員は、今日も渋い顔で求人票と私の顔を見比べる。きっと今日も何も決まらずに終わるのだろう。そんな予感がする。


「このパートは事務だけど、時間が遅いし、すごく疲れると思うよ。こっちは終業時間が五時間以上働ける人って募集だから、いきなりは厳しいんじゃない? A型とかは興味ないんだっけ?」


 担当者はさりげなく、障害者求人を勧めてくる。しかし私の狙いはあくまで一般求人だ。企業や役所などに、障害者の採用を義務付ける制度があることは知っている。だがその会社の業務に、障害者がついて行けるのかという不安はぬぐえない。特に精神障害は目に見えにくいことから、敬遠されるのではないかと思う。


「あれ? そう言えば、ドラッグストアのバイトの件はどうなりました?」


 ハローワークの求人に、アルバイトの情報は乗らない。ただ、ハローワークの建物の中のファイルに、アルバイトの募集をまとめた物が置いてあり、コピーしてもらうことができた。


「それが、電話をかけたらダメだって言われて」

「レジができないから? でも、品出しの仕事だったよね?」

「はい。以前、精神障害の方を雇った時に、シフト通りに入れなかったんだそうです。だから、精神障害者はもう二度と雇わないって、言われました」


 私が俯くと、担当の人は顔を歪めた。


「薬を扱ってる割に、ひどいな。その言い方も」


 私は力なく頷いたが、アルバイトでは他にも痛い目にあっている。書類と面接を受けたが、合否の連絡を全くしてくれなかった企業に、私から合否の問い合わせをしたところ、「察してよ。取るわけないでしょう?」と怒鳴りつけられたこともある。やっとアルバイトを見つけても、「何もできないなら、周りの迷惑考えろ」と言われたり、「もうあなたに任せられる仕事はないから、来なくていい」と言われたりしていた。そんな風に言われるたびに凹んで体調を崩し、求職活動を休む。体調が戻ると、また求人やアルバイトを探す。この繰り返しで、今日までやって来ていた。


「事務もチェッカーも、普通の人だって務まらない人はいるよ?」


 私はその言葉に俯き、ぽつりと言葉を落とした。ある言葉が、頭の中で引っ掛かった。


「普通って、何でしょうね? 誰が、決めるんですかね?」


 今にも泣き出しそうな私を見て、担当職員が慌てて言葉を補う。


「一般的に、と言う意味ですよ。黒森さんを普通じゃないとは言っていませんよ」

「分かっています。今日はもういいです」


 私はそう言って一礼すると、ハローワークを後にした。


 そして、ふと、もしかしたら、と私は思ってしまう。則田という人が変えたかったのは、こういう世界だったのではないか、と。普通の人なんてある意味ではどこにもいないのに、「普通」の人がマジョリティを気取っている世界。一般的と言う曖昧な概念しかないのに、それを認めようとせず、切り捨てていく世界。日本ならば、障害者雇用枠がある分、まだまともなのかもしれない。でも、世界規模で見たらきっと、日本よりもひどい状況にある国は沢山あるのだろう。則田という人は、こんな世界を変えたいと思っていたと、考えてしまう。そしてそれゆえに、道を間違えてしまったのではないだろうか。優しさ故に孤独を選び、気付いた時には本来目指していた所とは全く別の所に立っていた。それが則田という人であるならば、私はもちろん、誰しもが、第二、第三の則田になりえるのではないだろうか。そんな気がしてならなかった。


 私は退院日に、清川先生と幸から、同じ質問を受けた。


『則田のことを、どう思う?』


 清川先生は悲しげで、困っているような顔で言った。幸は怒りをにじませながら言った。私は二人にそれぞれ違う答えを返した。清川先生には「許せないけど、恨まない」と約束した。すると清川先生は「ありがとう」と私に頭を下げた。その時の清川先生の顔は、まるで自分の罪を許されたかのようで、抱きしめたくなった。その顔が、今にも泣き出しそうな幼い男の子に見えたからだ。


 幸には「分からない」と返した。幸は「そっか」と微笑んだ。心底安心しきったかのような、疲労感が滲む表情だった。私と共に、本気で病気に向き合ってくれていたのだと確信できた瞬間で、感謝の気持ちで胸が熱くなった。


 二人に違う答えを出したということは、少しずるい様な気がしたが、どちらも私の本心であったことには変わりない。則田という人がしたことや、させたことを、許せるはずはない。だが、彼女一人に責任を押し付けるのは違う気がしたし、恨むという行為は卑怯だと思った。それらを踏まえて彼女をどう思うか聞かれても、分からなかった。許せないからと言って、処罰感情があるわけではない。ただ望むなら、則田と言う一人の女性が見た地獄のような世界が、少しでも優しいモノになってほしいと思うだけだ。そしてその先には、獏がもう悪夢を食べずにいられる世界があるのなら、


 私は救われる気がする。


 どうか獏の見る夢が、心地良い夢でありますように。


 空は抜けるような青空で、桜は満開だった。深呼吸すると、春の香が体中に満ちていく気がした。まだまだ、これからだ、と自分に言い聞かせた。



<了>

                               

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