37.やられたよ。

「おそらく本に載っていた獏を、化け物と認識させた時点で、森崎の計画は始まっていたんだ。そして君の絵や治療でリラックスしてホルモンバランスが回復する。俺はこの時点で患者が治ったと思ったが、それが森崎の狙いだった。やられたよ。脳は危険なことがあると、その危機的状況を記憶し、次に似た状況になった時に備える。だが睡眠時にこの状態を認識し、実際に行動し、攻撃してしまう。この治ったと一度見せかけるために、絵は利用され、副作用として睡眠遊行を引き起こしたんだ」

「森崎は、殺したい相手がいたんじゃないですか?」

「何故、そう思う?」


 清川は興味をそそられたように、俺の方を見た。


「悪夢病のふりをすれば、人を殺しても罪に問えない……ん?」


 俺は自分で口走って、混乱していた。映は警察に捕まっている。清川は苦笑いを浮かべた。


「当たりだよ。もし睡眠遊行が本当だったと立証できれば、殺人罪の適用は難しいだろう」

「じゃあ、森崎にはターゲットがいて、睡眠遊行を真似て殺そうとしているということですか?」

「それは十分あり得る。もしかしたら、最終的な目的は、そこかもしれない」

「多くの人を巻き込んだ、完全犯罪ということですか?」

「そうなる。森崎にしらを切られれば、立証は難しいだろうから」


 木は森の中へ隠せばいいし、水は海に流してしまえばいい。もう、他の木々に紛れて特定の木を見つけることはできない。そして、海に水を加えたら、もう元のコップの中の水は分からなくなる。だが、その一本の木に特徴があれば、森の中でも特定の木を見つけることができる。同じように、コップの水も水質の違いが分かれば、どこで流しこまれた水なのかを区別できるかもしれない。しかし、夢という、口に出さなければ存在すらしないものではどうか。木の特徴がなかった場合よりも、水質検査ができなかった場合よりも、夢の中の夢を捜すのは困難だろう。森崎は夢の中に夢を隠すことで、誰も考えつかない完全犯罪を成立させたのだ。それは卑怯で狡猾としか言えないものだ。


「こんな不条理、許せない!」


 俺は拳でベッドの柵を殴っていた。


「あまり感情的になるな。傷口が開いても知らないぞ」


 清川は飄々と言ってのけるが、毎日会っていれば分かる。清川は俺と同じように、いや、それ以上に、怒っているということだ。それを表に出すまいと、あえて飄々とした態度を取っている。


「とりあえず、他の三人は再入院させて経過観察中だ。一度退院したのに、三人にとっては酷だろうが、我慢してもらうしかない」


 三人はやっとの思いで悪夢から解放されて、安眠を手に入れた。それなのに、今度は自分が殺人を犯してしまうことに怯えて過ごさなければならない。老人や子供を巻き込む手口は、絶対に許されるべきではない。


「そう、ですね」


 俺はうなだれた。映のことがあったから、三人もその家族も、また入院することを了承したのだろう。映のことがなかったら、三人の内、誰かが殺人犯になっていただろう。どれも納得できないことばかりだ。


「則田さんとは?」


 清川は両手を上げて首を振る。まだ、連絡がつかないということだろう。果たして、則田は無事なのだろうか。土壇場で則田を人質にでも取られたら、清川はどうするのだろう。


「いずれにせよ、森崎に明日会って、この件に片を付ける。今回のことで、誰も死なせないし、殺させない」


 そう言うと清川は去って行った。その声には決意がにじんでいた。





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