37.やられたよ。

聞き慣れない言葉だ。医学用語だろうか。俺の戸惑いを察した清川は、すぐに言い直した。


「夢遊病と言われる方が、一般的かもしれない」

「ああ、それなら聞いたことがあります」


俺も首肯したが、清川は俺の方を向いていなかった。夢遊病ならば、俺も幼い頃に患っていたと母から聞いたことがある。母と共に眠っていた頃だと言うから、自分では覚えていない。いや、夢遊病が無意識の内に行動を起こさせるから、本人が自覚していないのは当然かもしれない。俺の場合は成長するにしたがって、夢遊病がなくなっていったから、両親もそれほど気に留めていなかったようだ。今では笑い話になるくらいの出来事だ。しかし映の場合は、笑い話では済まされない。しかも、夢遊病を「狙う」とはどういうことだろう。やはり森崎は夢を操れるのだろうか。


「黒森さんたちは、実験台にされたのかもしれない」

「夢遊病の?」


苦虫を噛み潰したような顔で、清川はうなずく。実験台と言う言葉は、俺にも衝撃的な言葉だった。それと同時に、何故映がその対象となったのか、という疑問がわき、理不尽さに腹も立つ。


「一体、どうしてあの五人が? それに本は三年前に出版されているのに、どうして今になってこんなことに?」

「おそらく三年前の時点では、自分で本当に夢がコントロールできるか自信がなかったんだろう。今になって、背に腹は代えられないくらいに追い詰められた、と言うことかもしれない」

「そんな……。実験台だなんて……!」


俺は拳を握りしめて、怒りで体を震わせていた。映が悪夢で苦しむ姿を、間近で見てきた。映は最終的に、自殺を考えるまで追い詰められていた。そして今度は眠っている間に殺人を犯すように仕向けられた。他の四人だって、現実で苦しんだあげく、悪夢に悩まされていた。そして、やっと悪夢から解放されたにもかかわらず、今度は森崎のいいように操られている。何の罪もない人々が、こんな悲惨な状況に追い込まれるなんて、理不尽としか言いようがない。森崎は一体何がしたいんだ。自分の手を汚さず、殺人を犯す人々を、見ていたいのか。人が苦しみ、悲しみ、嘆くことを楽しむなんて、悪趣味を通り越して悪魔の所業だ。


「夢で人を殺させるなんて、本当に出来るんですか? その仕組みが分かれば、森崎の計画を止められるんじゃ……?」


清川は投げやりな様子でうなずく。


「おそらく本に載っていた獏を、化け物と認識させた時点で、森崎の計画は始まっていたんだ。そして君の絵や治療でリラックスしてホルモンバランスが回復する。俺はこの時点で患者が治ったと思ったが、それが森崎の狙いだった。やられたよ。脳は危険なことがあると、その危機的状況を記憶し、次に似た状況になった時に備える。だが睡眠時にこの状態を認識し、実際に行動し、攻撃してしまう。この治ったと一度見せかけるために、絵は利用され、副作用として睡眠遊行を引き起こしたんだ」

「森崎は、殺したい相手がいたんじゃないですか?」

「何故、そう思う?」


清川は興味をそそられたように、俺の方を見た。


「悪夢病のふりをすれば、人を殺しても罪に問えない……ん?」


俺は自分で口走って、混乱していた。映は警察に捕まっている。清川は苦笑いを浮かべた。


「当たりだよ。もし睡眠遊行が本当だったと立証できれば、殺人罪の適用は難しいだろう」

「じゃあ、森崎にはターゲットがいて、睡眠遊行を真似て殺そうとしているということですか?」

「それは十分あり得る。もしかしたら、最終的な目的は、そこかもしれない」

「多くの人を巻き込んだ、完全犯罪ということですか?」

「そうなる。森崎にしらを切られれば、立証は難しいだろうから」


木は森の中へ隠せばいいし、水は海に流してしまえばいい。もう、他の木々に紛れて特定の木を見つけることはできない。そして、海に水を加えたら、もう元のコップの中の水は分からなくなる。これと同様に、夢の中に夢を隠すこともできたというわけだ。


「こんな不条理、許せない!」


俺は拳でベッドの柵を殴っていた。


「あまり感情的になるな。傷口が開いても知らないぞ」


清川は飄々と言ってのけるが、毎日会っていれば分かる。清川は俺と同じように、いや、それ以上に、怒っているということだ。それを表に出すまいと、あえて飄々とした態度を取っている。


「とりあえず、他の三人は再入院させて経過観察中だ。一度退院したのに、三人にとっては酷だろうが、我慢してもらうしかない」

「そう、ですね」


俺はうなだれた。映のことがあったから、三人もその家族も、また入院することを了承したのだろう。映のことがなかったら、三人の内、誰かが殺人犯になっていただろう。どれも納得できないことばかりだ。


「則田さんとは?」


清川は両手を上げて首を振る。まだ、連絡がつかないということだろう。果たして、則田は無事なのだろうか。土壇場で則田を人質にでも取られたら、清川はどうするのだろう。


「いずれにせよ、森崎に明日会って、この件に片を付ける。今回のことで、誰も死なせないし、殺させない」


そう言うと清川は去って行った。その声には決意がにじんでいた。

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