22.キメラ

五人の患者の内、則田をのぞく四人が、市内の同じ内科に罹患したことはすぐに分かった。だから則田は別として、他の四人には何かの共通点が存在し、それが原因で「悪夢病」を発症した可能性が高い。そこにストレスが重なり、重症化したのではないか。いや、逆かもしれない。ストレス過多の人間が、市内のある物をきっかけに重症化したと言った方が、正しいように思われる。何を見たのか。何を聞いたのか。それとも嗅いだのか。触ったのか。ほぼ同じ時期に、年齢も性別も関係なく体験できるものとは、一体何だろうか。おそらくそれが分かれば、何故夢の中で同じ化け物を見たのかが、分かるだろう。今俺の手の中にある一枚のコピー用紙が、「薬」になった理由も。


「あいつに頼りたくはなかったんだけどな」


俺はスマホで則田に話しがしたいと率直に申し出た。則田が指定してきたのは、駅前の居酒屋だった。声を隠すなら雑音の中がいいと、あっけらかんと則田は言った。確かに紙とインクの匂いと埃っぽい中にいて、カルテやネットを見ながら言い争うより、酒でも飲みながら会話を楽しみたい気分だった。自分でも、自分自身を追い込んでいるという自覚があった。そして何より、あの絵によって、焦っている自分にも気づく。このままの生活を続ければ、俺が鬱になりかねない。ここで俺が倒れえるわけにはいかない。俺には待っている患者がいるのだから。則田の提案は、渡りに船だった。

 翌日、俺は勤務を終えると、車を走らせて駅の立体駐車場に車を停めた。駅から徒歩一分で、則田が指定した居酒屋につく。俺が店に入るなり、則田がつい立から顔をのぞかせ、俺に向かって手を振った。店には大学生の集団や、俺のように仕事終わりのサラリーマンなどで混んでいた。掘りごたつ式のテーブルには、大人二人が座ってちょうどの空間だった。他の客との間に、障子のようなつい立があるのも心地良かった。早めに着た則田が、この席を確保してくれていたらしい。照明は間接照明で、隣の席の人々の顔がぼんやりするほど仄暗い。店内はざわめいていて、そのざわめきは、人間一人一人が発しているというよりも、店の壁からにじみ出ているように感じられた。確かに、この中でどんな話しをしていようとも、他人に聞耳を立てられることはなさそうだ。


「いい店だな」

「ぼんぼんには、こういう場所は珍しいだろう?」


則田がくっくっと、喉を鳴らす。バカにされていることに気付いた俺は、「居酒屋くらい知っている」と強がった。俺は生ビールと枝豆を頼み、則田も同じものを注文した。注文した物が届くと、ちびりちびりとビールを飲みながら、「夢」について話した。こうしていると、男二人がただ酒を飲んでいるようにしか、見えないだろう。


「で、俺をわざわざ呼び出して、夢についてききたいとは珍しいな。自分の専門一筋だったお前がさ」


則田は枝豆をかじりながら言った。


「お前以外の患者が、多大なストレスを感じていたのは確かだ。ストレスによってメラトニン、つまり眠気をもたらすホルモンが減少する。そのメラトニンの材料であるセロトニンは、聞いたことがあるだろう?」

「確か、幸せホルモン、だっけ?」


自分が不眠症になった時にでも調べたのか、則田は専門外であるはずのホルモンの俗称を、すぐに言い当てて見せた。話が早くてこちらとしてはありがたいが、少し寒気を感じる。


「そうだ。セロトニンが不足すると、苛々や鬱の原因になる。そしてメラトニンが減って眠れないから、負のスパイラルに陥る」

「でも、お前の見立てでは鬱じゃない、ってことだな?」


則田はにやにやしながら俺の顔を指さした。そしてジョッキに入ったビールを豪快にあおった。酒の飲み方まで男のようだ。俺は真剣な表情のままうなずいた。


「ああ。ストレスがかかると、コルチゾールっていうストレスホルモンが出る。このホルモンは、さっきのメラトニンと反比例の関係にあって、血圧や血糖値を下げて、ストレスに強くしてくれる」

「何だ。そのコルチゾールが出てれば、ストレス耐性がついて負のスパイラルから抜け出せるじゃん」


良い考えが浮かんだといった表情で、則田はパチンと指を鳴らした。しかし俺は苦虫を噛み潰したかのように首を振った。


「いや。コルチゾールは、胃潰瘍や海馬の委縮を引き起こすんだ」

「海馬って、短期記憶に関係する脳の一部だよな?」


やはり話しが早くて助かる、と思う一方で、臓器移植に文系でメスを入れていると、他の医学知識も必要なのかという疑問も浮かぶ。


「そう。記憶から夢は生まれると言えるから、このコルチゾールによる海馬の委縮が関係しているんだと思ってた。でも、検査結果を見る限り、お前を含め五人とも、海馬の委縮は見られなかった」


他の病院から紹介状と共に送られてきたMRI画像を、何度も見返した。まるで犯人の足跡をさらう鑑識のように、画像を見た。比較、検討を繰り返したが、やはり全員に海馬の委縮は見られなかった。俺はビールを飲み干し、溜息をついた。ビールと枝豆をもう一度注文する。則田もそれに倣う。


「俺たちは夢の化け物が怖くて起きる、ということを繰り返していた。夢の中では五感を伴っていた。しかも、リアルに。なあ、ぼんぼん。人は何で怖いって思うんだ?」


その則田の質問に、俺は胸を撫で下ろす。あまりにスムーズに話が進むため、則田がもう既に病の全貌を知っていて、俺が躍らされているのではないかという疑心暗鬼を払拭できたからだ。則田の質問はこの病の患者なら当然ききたくなる質問と言えた。


「それは海馬と隣り合っている扁桃体で、怖いという判断をするからだ。怖いと言うのは、危険の認知だからな。ここまでは俺も考えたよ。でも、化け物って何だ? しかも五人同時に、ある一定の地域で発生している。そこに、あの青年の絵、だよ」


珍しく腹を立てている俺に、則田は声を立てて笑った。


「例の獏みたいな絵、か?」

「獏ってあの白いパンツはいたような、黒い哺乳類? 何であんな動物に、夢を喰うなんて迷信があるんだ?」


これについては則田の方が詳しいのではないかと感じ、俺も率直にきいてみた。しかしそれを聞いた則田は爆笑した。


「白いパンツってお前!」


則田のツボに入ったのか、則田は腹を抱えて笑い始めた。そしてその笑いをかみ殺すように、獏の説明をした。


「夢を喰う獏ってのは、現実にいる獏とは違うんだよ。空想上の生き物だ。元は中国の想像上の生き物で、形は熊、鼻は象、尾は牛、脚は虎、毛は黒と白の斑で、頭が小さく、人の悪夢を喰うと伝えられていて、その皮を敷いて寝ると、邪気避けになる、ありがたい生き物だ」

「まるで、キメラだな」


俺は以前に本で見たウズラとひよこのキメラの白黒写真を思い出し、吐き気を覚えた。虚構でイラスト化されたキメラを見る分にはいいだろうが、実際に見るキメラは相当グロテスクだった。しかも則田の言う「獏」という生き物も、想像するだけで気持ち悪いではないか。何故そんな気味の悪い動物が、縁起がいいとされるのか理解できない。そう思った時、則田が大学の時、アフリカにおけるアルビノの扱いについて語ってくれた内容を思い出す。もしかしたら、人は自分の理解できないもの対して恐怖だけではなく、何らかの力の源泉のようなものを感じるのかもしれない。だから、排除して無害化してから、その一部を持ちかえってお守りにするのではないだろうか。俺の顔が青ざめている事にも気づかず、則田は続けた。やはり自分の畑だと、話すことが楽しいらしい。


「まあ、形だけ見ればそうだな。日本で獏の絵を描いた札を枕の下に敷いて眠れば『夢違え』、つまり悪夢を転じさせられるという信仰が人々の間で広がったのは、一七世紀前半から一八世紀末だとされている」

「そんなに前から?」


俺は驚愕していた。フロイトの『夢判断』が刊行されたのは、一九〇〇年。レム睡眠と夢の関連を発見したアセリンスキーとクライトマンが、「睡眠科学の幕開け」を宣言したのは一九五三年だ。つまり文系では、獏と言う悪夢の対処法が、それらの三世紀前には確立していたことになる。夢が自分の脳の産物と考えるようになったのは、つい最近のことだと言える。則田はにやけながら続けた。


「夢は人類にとって普遍的な経験だが、その捉え方は人によって、また、文化、環境によって異なる。なあ、ぼんぼん。何故夢は存在すると思う?」

「さっき説明した通りだよ。記憶から夢が生まれて……」


先ほどと同じ説明を繰り返そうとした俺を、則田は「違う」と首を振って制した。その則田の表情が残念そうで、俺の方が申し訳なくなる。


「違うよ。夢は見た本人だけのもののはずだ。そうだろ?」

「確かに、夢は自己完結した物語……、あれ?」

「そうだよ。そこだよ。夢判断とか夢占いが何故あるのか。それは、話すからだ。夢を見た本人が話さなければ、その夢は他者は全く内容を知ることはできない。知ったところで、何の役にも立たない。でも夢は語られることによって初めて、共有され、社会性を獲得する」

「語ることで、夢は作られる?」

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