22.キメラ

 その則田の質問に、俺は胸を撫で下ろす。あまりにスムーズに話が進むため、則田がもう既に病の全貌を知っていて、俺が躍らされているのではないかという疑心暗鬼を払拭できたからだ。則田の質問はこの病の患者なら当然ききたくなる質問と言えた。いくら化け物の夢を見ても、その化け物を怖いと思わなければ、恐怖することはないだろうというのが、則田の考えだった。


「それは海馬と隣り合っている扁桃体で、怖いという判断をするからだ。怖いと言うのは、危険の認知だからな。ここまでは俺も考えたよ。でも、化け物って何だ? しかも五人同時に、ある一定の地域で発生している。そこに、あの青年の絵、だよ」


 珍しく腹を立てている俺に、則田は声を立てて笑った。


「例の獏みたいな絵、か?」

「獏ってあの白いパンツはいたような、黒い哺乳類? 何であんな動物に、夢を喰うなんて迷信があるんだ?」


 これについては則田の方が詳しいのではないかと感じ、俺も率直にきいてみた。しかしそれを聞いた則田は爆笑した。


「白いパンツってお前!」


 則田のツボに入ったのか、則田は腹を抱えて笑い始めた。そしてその笑いをかみ殺すように、獏の説明をした。


「夢を喰う獏ってのは、現実にいるバクとは違うんだよ。空想上の生き物だ。元は中国の想像上の生き物で、形は熊、鼻は象、尾は牛、脚は虎、毛は黒と白の斑で、頭が小さく、人の悪夢を喰うと伝えられていて、その皮を敷いて寝ると、邪気避けになる、ありがたい生き物だ」

「まるで、キメラだな」


 俺は以前に書籍で見たウズラとひよこのキメラの白黒写真を思い出し、吐き気を覚えた。虚構でイラスト化されたキメラを見る分にはいいだろうが、実際に見るキメラは相当グロテスクだった。しかも則田の言う「獏」という生き物も、想像するだけで気持ち悪いではないか。何故そんな気味の悪い動物が、縁起がいいとされるのか理解できない。そう思った時、則田が大学の時、アフリカにおけるアルビノの扱いについて語ってくれた内容を思い出す。もしかしたら、人は自分の理解できないもの対して恐怖だけではなく、何らかの力の源泉のようなものを感じるのかもしれない。だから、排除して無害化してから、その一部を持ちかえってお守りにするのではないだろうか。俺の顔が青ざめている事にも気づかず、則田は続けた。やはり自分の畑だと、話すことが楽しいらしい。


「まあ、形だけ見ればそうだな。日本で獏の絵を描いた札を枕の下に敷いて眠れば『夢違え』、つまり悪夢を転じさせられるという信仰が人々の間で広がったのは、一七世紀前半から一八世紀末だとされている」

「そんなに前から?」


 俺は驚愕していた。フロイトの『夢判断』が刊行されたのは、一九〇〇年。レム睡眠と夢の関連を発見したアセリンスキーとクライトマンが、「睡眠科学の幕開け」を宣言したのは一九五三年だ。つまり文系では、獏と言う悪夢の対処法が、それらの三世紀前には確立していたことになる。こうしてみると、夢が自分の脳の産物と考えるようになったのは、つい最近のことだと言える。則田はにやけながら続けた。


「夢は人類にとって普遍的な経験だが、その捉え方は人によって、また、文化、環境によって異なる。なあ、ぼんぼん。何故夢は存在すると思う?」

「さっき説明した通りだよ。記憶から夢が生まれて……」


 先ほどと同じ説明を繰り返そうとした俺を、則田は「違う」と首を振って制した。その則田の表情が残念そうで、俺の方が申し訳なくなる。


「違うよ。夢は見た本人だけのもののはずだ。そうだろ?」

「確かに、夢は自己完結した物語……、あれ?」


 自分の夢は、他人には分からない。何故なら、全員が同じ夢を見るという現象は、本来珍しいからだ。情報の交換がなければ、自分の夢は忘れ去られ、なかったものと同じになる。俺は頭の中で引っ掛かるものを感じ、首を傾げた。そこに、則田の笑い声がした。


「そうだよ。そこだよ。夢判断とか夢占いが何故あるのか。それは、話すからだ。夢を見た本人が他者に話さなければ、その夢を他者は全く知ることはできない。知ったところで、何の役にも立たない。でも夢は語られることによって初めて、共有され、社会性を獲得する。つまり夢について語ることは、とても社会的な行為なんだ」

「語ることで、夢は作られる?」


 俺の背筋がぞくりといった。共有され、社会性を獲得する夢。語られることによって、社会性を帯びる悪夢。則田の言葉を反芻し、悪寒がした。この悪夢も、社会性を獲得し、世間に広がっていくのではないかという想いが、首をもたげた。則田はそんな俺の様子に気付かないまま、続けた。


「そう言うこと。昔の夢は外から来るモノで、人を超越した存在からのメッセージだった。それを受け取るのは公的で政治的なモノだったんだ。だから古来の夢解きは、神仏と人を媒介するプロが行っていたってわけ。でも、そこで悪夢を見たら大変だ。何しろ国の一大事だからな。だから陰陽師や巫女が夢祭を行って、悪夢が現実にならないように祈祷を行ったんだ。でも一五世紀後半から『夢は逆夢』と言うだけで悪夢を転じられるようになった。そして、さっきの獏の登場となる。さて、ここまで話せば、悪夢が何故存在し、どうやって人々が解決しようとしていたのかが分かって来るだろう?」

「悪夢も語ることによって作られる。と、言うことは、俺が患者と一緒に化け物を生み出してしまったということか?」


 俺の顔がさらに青ざめていくのを見ていた則田は、真剣な表情で首を左右に振った。


「ぼんぼんは想像力が乏しいな。患者の立場に立って考えてみろよ」


 テーブルの上で頭を抱えた俺は、患者たちのことを考えた。患者たちは俺の所に来た時、口をそろえて自分から「化け物」という単語を発していた。つまり、俺が一緒に「生み出した」というのは、間違っている。もしも俺が、意味のない悪夢を毎晩見るようになったら? 俺は答えを見つけて、顔を上げた。


「調べる!」

「そう。普通、夢で病院に行くなんて発想は最初はないからな。まずは自分で調べようとする。最近は分からないことがあると、どこでも誰でもすぐにググったりタグったりするからな。そして、必然的に、獏の絵を見る。そして本当の獏の姿はさっきお前が言った通り、キメラのような化け物だ」


 過度なストレスによる不眠に加え、獏の絵を見ていることが、「悪夢病」発症の条件になる。だが、何故五人なのか。何故絵で治るのかはまだ謎のままだ。俺がそう考えていると、則田は確認するようにたずねる。


「俺を除いた四人は、市内在住か、通いだったんだよな?」

「ああ。田沼さんは市内に昔から住んでいて、廉君と雫ちゃんは、それぞれ中学校と幼稚園があった。そしてお前と面識のない黒森さんは、市内に勤務先がある」

「ああ。やっぱりだ」


 則田はスマホの地図アプリを起動させ、俺に見るように促した。


「田沼さんの住所、廉の中学、雫ちゃんの幼稚園、そして黒森さんの勤務先は、全てある場所の近くに点在している。駅やバスじゃないぞ」


 俺は則田のスマートフォンを手にして、地図を拡大したり、縮小したりを繰り返した。そしてあることに気付いて「あ!」と思わず声をあげていた。


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