23.その代償

「そう言うこと。昔の夢は外から来るモノで、人を超越した存在からのメッセージだった。それを受け取るのは公的で政治的なモノだったんだ。だから古来の夢解きは、神仏と人を媒介するプロが行っていたってわけ。でも、そこで悪夢を見たら大変だ。何しろ国の一大事だからな。だから陰陽師や巫女が夢祭を行って、悪夢が現実にならないように祈祷を行ったんだ。でも一五世紀後半から『夢は逆夢』と言うだけで悪夢を転じられるようになった。そして、さっきの獏の登場となる。さて、ここまで話せば、悪夢が何故存在し、どうやって人々が解決しようとしていたのかが分かって来るだろう?」

「悪夢も語ることによって作られる。と、言うことは、俺が患者と一緒に化け物を生み出してしまったということか?」


俺の顔がさらに青ざめていくのを見ていた則田は、真剣な表情で首を左右に振った。


「ぼんぼんは想像力が乏しいな。患者の立場に立って考えてみろよ」


テーブルの上で頭を抱えた俺は、患者たちのことを考えた。患者たちは俺の所に来た時、口をそろえて自分から「化け物」という単語を発していた。つまり、俺が一緒に「生み出した」というのは、間違っている。もしも俺が、意味のない悪夢を毎晩見るようになったら? 俺は答えを見つけて、顔を上げた。


「調べる!」

「そう。普通、夢で病院に行くなんて発想は最初はないからな。自分で調べようとする。そして、必然的に、獏の絵を見る。そして本当の獏の姿はさっきお前が言った通り、キメラのような化け物だ」


過度なストレスによる不眠に加え、獏の絵を見ていることが、「悪夢病」発症の条件になる。だが、何故五人なのか。何故絵で治るのかはまだ謎のままだ。俺がそう考えていると、則田は確認するようにたずねる。


「俺を除いた四人は、市内在住か、通いだったんだよな?」

「ああ。田沼さんは市内に昔から住んでいて、廉君と雫ちゃんは、それぞれ中学校と幼稚園があった。そしてお前と面識のない黒森さんは、市内に勤務先がある」

「ああ。やっぱりだ」


則田はスマホの地図アプリを起動させ、俺に見るように促した。


「田沼さんの住所、廉の中学、雫ちゃんの幼稚園、そして黒森さんの勤務先は、全てある場所の近くに点在している。駅やバスじゃないぞ」


俺は則田のスマートフォンを手にして、地図を拡大したり、縮小したりを繰り返した。そしてあることに気付いて「あ!」と思わず声をあげていた。


悠創館ゆうそうかん。文化施設か。確かにここなら誰もが利用する」

「悠創館の中には、県立図書館が入っている」


俺はスマホから則田に顔を向ける。インターネットやスマホなど、情報過多な現代だが、デマや拡張された、裏付けのないもので溢れかえっている。だから今でも図書館の利用がなくならないのだ。人は何かを本気で調べたい時、本を探して、調べる。つまりこの四人は、この県立図書館で、同じ本を見た可能性があるのだ。しかしどの本を見て獏について、いや、悪夢について調べ、獏に出会ってしまったのか。確か県立図書館の蔵書数は、十三万冊で、蔵書検索で「夢」をキーワードに入れて検索してみても、それほど絞れない。しかも絞れた本が、本当に四人とも開いてみた本なのかは、確証は得られない。


「そこで、ぼんぼん。取引しないか?」


則田が飲み干したジョッキをテーブルに、ドンと置く。そこには意地悪そうな笑みが浮かんでいた。


「取引? 一体何の?」


俺は急に現実味を帯びてきた不穏な響きに、戸惑っていた。すると則田は当然のように言った。


「情報交換に決まっているだろ?」

「だから、何の?」


俺は腐っても医者だ。俺の持っている情報で他人が得たい情報と言えば、患者の個人情報しか思い当たらなかった。カルテにはあらゆる患者の情報が載っている。病歴だけではなく、薬の処方や家族関係など、闇業者にとっては垂涎の情報だろう。則田が闇業者だと思っているわけではないが、則田からどのように漏れてしまうかも分からない世の中なのだ。


「俺は県立図書館の司書と仲がいい。裏で情報をやり取りできる。図書館利用者の利用履歴も、しかり」

「つまり、借りた本の履歴が、データとして残っている?」


なるほど、と俺は唸る。四人が通っているとみられる県立図書館の、貸出履歴が分かれば、それらを見比べることで、四人が共通して借りた本が絞り込めるだろう。そして、借りてまで読みたい本ならば、おそらくその本を四人とも開いている可能性が高い。


「そう言うことだ」

「じゃあ、その代償は?」


恐る恐る、俺は質問してしまっていた。もう、則田が俺には得体のしれない化け物に見えてきていた。目の前の男のような女は、則田の皮を被った化け物ではないのか。その化け物は、俺を強請って、食い殺すつもりではないのか。つまり、則田は本当はもう、死んでいるのではないのか。そして今度は俺の皮を被って、また別の獲物を探すのではないのか。そんな幻想を抱いた。人間の皮を次々に変えながら、人を喰う化け物。俺の目の前で薄く笑う則田は、本物なのかどうか怪しくなっている。


「現代の獏。つまり青年が書いたという絵だよ」


俺は生唾を飲み込んだ。則田がやろうとしているのは、個人情報の抜き取りだ。この情報社会にあって、プライバシーの侵害は間違いなく黒だ。そしてこちらの絵の方も、拡散しないようにと、釘を刺されている。これも著作権の面から言えば、限りなく黒に近いグレーだろう。しかし則田も患者の一人だ。現代版の獏を知れば、入手したい気持ちもよく分かる。そんな俺の迷いを察するかのように、則田は言った。


「次にこの病気が発生した場合、お前はどうしたいんだ?」


そう言われると、心が揺れた。まるで甘美な悪魔のささやきだった。そしてあの青年への敗北感を思い出す。自分にはどんなに努力しても完治できなかった患者を、すぐに病から救い出した青年。次もあんなへらへらした奴に頼るしかないのか? すぐそこに大きな手掛かりがあるのに、見ないふりができるのか? 人間として、医師として、他人の病を放っておくことなど、できない。しかし、これは法に関わる問題だ。俺一人の裁量で、決めてもいいのだろうか。せめて、あの優男にコピーの許可を得てからにした方が良いのではないか。きっと黒森映なら、何の疑いもなく俺にあの青年の電話番号を教えてくれるだろう。しかしそれではやはり、患者の信頼を利用していることになる。そんなことをして許されるわけがない。しかし、強く「拡散させないでほしい」と言っていたという青年のことだ。則田のために絵のコピーを取ることを、許してくれないのではないか。そうなれば、もう四人の本の貸し出し情報は得られない。


「目の前に死にそうな患者がいて、お前はどうするのが最善だと思ってるんだ?」


最終的に則田のこの言葉が、俺の背中を強く推した。俺は目を閉じて項垂れ、溜息と共に言葉を吐きだしていた。


「拡散しないことを条件に、その取引に乗るよ」

「ぼんぼんなら、きっとそう言ってくれると思ったよ。分かってる。絵は薬と同じだからな。自分に効くからと言って、他人に素人が勧めるのは良くない」


そう言いながら、則田はUSBメモリーを俺に渡した。その則田の笑顔は女性じみていて、馴染みのないものだった。


「まさか、もう?」


受け取りながら、俺は驚いていた。


「話の展開は読めてたんでな。こっちも拡散しないでくれよ」


則田には、今日の話の展開が初めから分かり切っていた。その事実に、愕然とする。では、俺のホルモンの話も、獏の話も、俺が辿り着く「図書館」という解答も、ずっと則田に操られていたというわけか。初めから則田は、話の主導権を握ったまま放さなかったのだ。俺は自分が対等に相手と話していたつもりだったが、やはり化け物の手の上で、踊らされていた道化だったのだ。しかも、最後の最後で、則田の手の内に落ちたのだ。情報提供者から、有益な情報を聞き出す能力に長けている則田には、最初から分があったということなのだろう。そこまで俺は考えていなかった。ただ単に話がしたいと、油断していた。もはやお手上げの状態だった。


「もちろんだ。ありがとう」


俺はバッグの中から、クリアファイルに挟んだ絵のコピーを取り出した。


「これは青年が黒森さんのために描いた絵だ。絵を描くにあったって、対象者と面談して、その人のためだけに描かれた絵なんだ。だからこれはコピーだし、お前のためだけに描かれた物でもないから、お前にとって薬になるかは分からない。それでもいいのか?」

「もちろん。コピーする前に見せてくれ」

「ああ。うん」


俺がファイルに入れたまま絵を則田に渡すと、則田は目を擦った。おそらく手前の翼だけにピントが合っていて、背景がぼやけるように描いてあるから、自分の目がおかしいと勘違いしたのだろう。この店の照明のせいもあるかもしれない。そのことを説明すると、則田は納得したような顔になる。そして小さく頷きながらつぶやく。


「まるで、錯視だな」

「錯視……」


その言葉に、俺は瞠目する。目から得られる情報は、必ずしも正確ではない。これまでの経験や常識に照らし合わせて判断しているのだ。それがある種の先入観となって、視覚情報に間違った解釈を与えることがある。本当は見えていないのに、脳が勝手に「見えている」と判断してしまうことを、「錯視」と呼ぶのだ。もしも、夢の中で見ていた獏を、錯視していたとしたら、「幻覚か夢か現実か分からない」という症状にも説明がつく。俺の鼓動は早鐘を打ち始めた。答えに近づいているという確信めいたものがあった。

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