27.出版社
寝具メーカーの広告をクリックする。そして寝具メーカーのサイトのトップから、じっくり記事を呼んでいく。文字通り、目を皿のようにして、サイトの隅々までくまなく見る。過去の記事も同様にチェックする。すると、ちょうど三年前、寝具メーカーが、共同出版して、一冊の本を出版していることが分かった。たった一文だけの記事で、熟読していなかったら見逃していただろう。三年前は、森崎が本を出版した年でもある。偶然にしては話が出来過ぎている。俺は次に本の出版元を検索した。本の名前は出てきたが、寝具メーカーの名前は見つからず、森崎もこの一冊しか本を出版していなかった。仕方なく、俺は出版社に電話をかけることにした。
「お電話ありがとうございます。栄筆出版の佐川が承ります」
「あの、中島幸と申します」
電話口に出たのは女性だった。明らかにマニュアル通りといった感じがする声だった。俺は他人に嘘をつくのが苦手だ。調査のためとはいえ、出版社に迷惑をかけるのではないかと思うと、声が裏返りそうになる。ところが、そんな控えめな気持ちでは相手にされそうになかった。次の佐川の言葉に絶句する。
「自費出版をお考えでしょうか?」
二言目には、もう自費出版の誘い文句だった。これもマニュアル通りなのだろうか。ホームページを確認すると、いくつか電話番号がある。俺はホームにある会社の住所と連絡先が羅列されたところに、電話をかけたはずだ。そして、「出版をお考えの方へ」という別の連絡先もあることも、目で確認する。おそらくこの会社に「電話する=出版したい」という公式が成り立っているのだろう。俺もそれに乗っかってみることにした。相手はこの手の電話対応のプロだ。最初から雰囲気で吞まれては、何の情報も得られない。
「はい。実は森崎さんと同じ編集の方とお仕事をさせていただきたく、お電話させていただきました」
俺は怪しまれないように、慎重に嘘を重ねていく。絵の上塗りとは違って、俺は嘘がやはり下手だった。しかも相手は自費出版の大手だ。もしも俺に出版の意志がないと分かれば、すぐに電話を切られかねない。それとも、出版の意志がなくても、その気にさせる術を持ち合わせているのだろうか。いずれにせよ、注意深くならなければならない。しかしこの出版社は確実に、森崎楓と繋がっている。唯一確実に森崎と繋がっている、細い糸。これを手繰り寄せなければ、森崎の情報は限られてしまう。そして、二度と森崎に近づくことはできない。俺は静かに深呼吸をした。手が震え、心臓が早鐘を打つが、構ってはいられない。今にも切れそうなこの糸を、映をはじめとする患者のためにも、手放すわけにはいかない。そして、則田という人一人の命がかかっている。責任重大だ。失敗は許されない。もしかしたら、森崎と寝具メーカーを結びつけたのもここかもしれないのだ。少しでも怪しまれれば、この出版社から、森崎に連絡が入るかもしれない。貴女のことを嗅ぎまわっている変な人がいますよ、とか、注意して下さいとか。そして出版社ならば「表現の自由」を理由に、森崎の本を絶版にすることもないだろう。この電話では、いかに情報を引き出せるのかが勝負だ。
佐川は「少々お待ちください」と言って、電話から外れた。メロディ音だけが静かに流れ続け、それが神経を逆なでする。俺がネットを見ながら待っていると、佐川は声のトーンを落として「お待たせして申し訳ありません」と言って、電話に戻った。
「森崎さんとは、森崎楓さんでよろしいでしょうか?」
「はい」
早速凡ミスだ。焦りと緊張のあまり、重要な森崎の名前を出し忘れるなんて。
「申し訳ございませんが、森崎楓を担当者は既にこの会社にはおりません」
「え? どういうことですか?」
「一身上の都合としか……」
よく考えれば、その可能性は大いにあった。自費出版で会社を回すには、本を出版するための資金を、作者に負担してもらう必要がある。当然、お金に不安がある人や、経済的に余裕がない人は、出版資金を出すことはできない。しかしそうなっていくと、当然会社はすぐに回らなくなり、経営難になって倒産してしまう。それを防ぐには、多くの作者を担当し、その中から一人でも多く、自費出版に持って行かなければならない。マニュアルのような甘い誘い文句もあるだろうし、競争心をあおるために出版した人の体験談や出版物の宣伝もするだろう。そうなれば、出版社の中でもある程度箔がつく担当編集者と、まったく出版に至らない担当編集者が出てくる。そして、ノルマや営業成績の可視化も発生するだろう。そして、ノルマを達成できなかったり、成績が悪かったりする人ほど、会社にいられなくなるはずだ。もしかしたら森崎の担当者も、ノルマが達成できなかったかもしれないし、成績不振だったのかもしれない。もしくはその真逆で、有能が故に会社の体質が気に入らなくなって、自分から会社を辞めたり、引き抜きにあったりしたのかもしれない。いずれにしても、初めから細かった糸が、さらに細くなったことは間違いない。
「森崎楓さんは、本名だったんですか?」
一番確認したかったことを忘れない内に聞いておこうとして、やや強引に話を切り替える。
「どうして、そんなことを?」
佐川の不審そうな声に、俺は冷や汗をかいた。きっと電話の向こうでは、佐川が眉をひそめているだろう。
「いや、自分もペンネームみたいなものを付けた方がいいのかな? と思いまして」
咄嗟に、ありがちなことを言ってみる。すると、佐川の声のトーンが高くなって返ってきた。どうやら納得してくれたらしい。
「ああ、ペンネームですか。付ける人と付けない人がいますが、ペンネームを付ける人の方が多いですね」
鼻歌でも歌うように、リズミカルに佐川は言った。俺が出版に、前向きであると勝手に思い込んでくれたようだ。俺は内心安堵の息をもらす。
「じゃあ、森崎さんも?」
「それは言えませんが、中島さんはどうしてそんなに、森崎さんにこだわるんですか?」
今度は怪しんでいるというより、単なる疑問だった。だが、俺はその問いに対して答えを想定していなかった。汗でスマホが滑る。
「え、っと。ファンだからです。面白い本でしたので、私もそう言ったものを作りたいと思いまして」
「では、原稿は今のところまだですか?」
痛いところを突かれたと思ったが、相手は慣れた様子だった。
「原稿がなくても、アイディア次第ですよ。ちなみに今、中島さんはどこにお住まいで、どんなことを書きたいですか?」
今の住所と、大学で描いていた絵の画集を作りたいという嘘をつくと同時に、そんなアバウトな事で本が作れるのかと驚く。ホームページを目を落とすと、確かに「アイディアだけでも大歓迎!」という言葉や、「出版相談は手ぶらでどうぞ」という言葉など、出版のイメージを軽くさせ、ハードルを低く感じさせるようなものがいくつも散りばめられている。確かにこう書かれると、俺でも出版のハードルがぐっと低くなった気にさせられ、自費出版という言葉への抵抗もなくなる気がした。こうして間口を広げておくことで、自費出版できる人と繋がるのだろうと、俺はある意味感心してしまっていた。そして、俺の嘘を聞いた佐川は、俺のアイディアをべた褒めし始めた。
「それは素晴らしいですね。画集は珍しいですから、弊社でも力を入れたい分野です」
確かに、小説や詩などの文章から比べれば、画集は珍しい出版物と言えるだろう。だがそれは、需要があるものと需要がないものの差異に過ぎない。小説などはカバーに惹かれて買うジャケット買いや作家買い、ジャンル買いなど、様々な人に需要があるだろう。しかし画集となるとまず気に入らない限りジャケット買いはしないし、無名な俺の作品であるため、作家買いもない。ジャンルは画集であるが、他の本よりも格段に値段が高い。俺もいくつかの画集や画家に関する本、美術史の本などを買ったことがあるが、どれも古本で買った物の方が多い。あとは全て大学の図書館で所蔵してくれているので、自分に余程関係するか、汚したり破ったりする可能性が高い本だけ買えば、不自由しなかった。だから、美術系の書籍専門の出版社でもない出版社が、「力を入れたい分野」と言うのは、嘘だろう。それでも、佐川は続ける。
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