14.原因不明の完治

「あの子、明るいのよ。私と同じ病気なのに、本当に偉いと思うわ。私があの子のおかげで救われている部分が大きいと思う」

「そのことなんだけど、その悪夢って、同じ夢を見るって不思議だと思わないか? 不自然と言ってもいい。とにかく誰かの悪意を感じるんだ」

「フィクションの読み過ぎじゃない? 夢を誰が操れるっていうの? 魔法みたいよ、そんなの。もし他人の夢を操れたとして、誰が得をするの?」


俺は自嘲気味に笑って、溜息をついた。


「映がいないから、そんな事を考えるくらい退屈なんだ」


確かに、他人の悪夢で得をする方法は浮かばなかった。ふと、脳裏にイルカのロゴマークが浮かんだ。人に悪夢を見せて、得をするのは、寝具メーカーかもしれない。しかし、たった二人の患者で、大きな売り上げを出すことはできない。


「邯鄲の枕じゃあるまいしな」

「そうよ。邯鄲の枕でも、こんな少人数じゃ儲けられないわよ」


「少人数」と言う映の言葉を、俺は聞き逃さなかった。映と雫以外にも、同じ悪夢を見ている人間がまだ存在している。俺がこの点について言及すると、映は不思議そうにうなずいた。


「私の担当医は清川きよかわ先生っていう、男の人なんだけど、これだけ酷似した夢を同時に何人もの人が見ることは、経験上なかったらしいわ。清川先生はこの症状で五人は多い方だって言ってた。先生にも不思議で、つてのある他の病院の先生たちにも聞いてみたんだけど、どこの病院にもそんな患者はいなかったみたい。だから中には、ローカルテレビの集団催眠じゃないかって、冗談をいう人もいたみたい」


俺の背筋を、氷が一つ、滑り落ちた。


「五人? 五人とも同じ夢を見て、この病院に入院しているのか? しかも、地域は限られている?」

「そうよ」


映は明るい声で応じたが、俺は黙り込んでしまった。そんな俺を無視するように、映は続けた。


「それでね、五人のうち一人は私が入院する前に治って、退院したの。朗報だと思わない? この病気、治るのよ」

「治る? その人はどうして治ったんだ? 原因が分かったのか?」

「それが、清川先生にも分からなかったんだって」

「原因不明のまま完治?」


映は周りを見渡して、俺の耳に唇を寄せてこそこそと話した。


「その人、先生の知人だったらしいわ。あいつ、って呼んでたもの」


確かに、親しい人を呼ぶときには、人はくだけた言い方をする。知人の中でも親しい人を呼ぶとなると、「あいつ」となるかもしれない。清川医師の人間関係がどういったものなのかは知らないから推測になるが、「あの女」と言わないなら、「あいつ」は医師と同性、つまり男性で、年も近いと考えられる。これ以上の情報が欲しいところだったが、映の治療に差支えがあるといけないし、推測に推測を重ねるのは良くない。


「どうしたの? 怖い顔して」


映が小首をかしげている。入院してまだ間もないが、髪の毛が伸びたせいか、落ち着いた女性らしさがあった。


「いや、何でもない。今日はもう帰るよ。絵、受け取ってくれてありがとう。また来るよ」


こうして、俺は誰もいないアパートに、一人で帰った。




 しかしその日から三日後、映の様態は激変することになった。

 俺は早朝、スマホの音楽で起こされた。設定してあるアラーム音ではなく、着信音だった。ディスプレイを見ると、「映」と表示されていた。それに気が付いた俺は飛び起きた。映に何かあったのではないかと思ったからだ。しかし通話状態にしたとたん、映の明るい声が、俺の耳の中で弾けた。


「幸、おはよう。私、眠れるようになったの! 怖い夢も見ないのよ! 幸の絵を見てからずっと眠れてるの!」


映の笑顔とはしゃいでいる様子が、目に見えるようだった。今まで映の苦しみを直に見てきた俺は、涙が出るくらい安堵していた。


「本当、なんだな? もう、ぐっすり眠れるんだな?」

「うん、そうなの! 本当は一日目に電話したかったんだけど、偶然だったらお互いに肩透かしするでしょ? だから、三日も電話するの我慢してたの! そうしたら、三日間ともよく眠れて、先生にも話したの。清川先生も、この状態が続くのであれば、って言って、明日には一般病棟に移るのよ」


映の純粋な喜びと興奮が、電話の声で伝わってくる。俺も、興奮していた。


「ねえ、幸。お願いがあるの。雫ちゃんや他の人にも、絵を描いてくれない? 私に描いてくれたみたいな絵」

「それは構わないけど、本当に絵が薬になることはないと思うよ」

「私たちにとってはそうなのかもしれないわ。だって私が眠るときに変わったことと言えば、幸の絵を飾ったくらいだもの!」

「映と同じ夢を見ている患者さんは、全員担当医は清川先生?」

「そうよ」

「じゃあ、清川先生に許可を取る必要があるんじゃないか?」


俺の絵が、薬の役割を果たしたということは、俺自身が一番信じられなかった。もしかしたら、絵の具や紙の匂いが、映にとって良かっただけかもしれない。それに、映の思い込みが治癒に結びついただけという考えも成り立つ。だから、他の三人が同じ作用を得られるという保証はどこにもなく、逆に症状を悪化させる可能性もある。映も冷静さを取り戻したように「そうね」と答える。


「分かったわ。清川先生に私から話してみる。幸はその間に絵を描いてくれない?」


映にそう言われたが、全くアイディアが浮かんでこなかった。映に贈るために描いていた時はすぐに筆が動いたのに、今回は白紙しか頭の中に浮かばない。単に、その絵を贈る対象者のことを知らないのだと気付く。例えば見ず知らずの人から「貴方のために絵を描いた」と言われれば、腹立たしく、不気味な絵としか思えないだろう。絵を贈るにあたっては、やはりその対象の人物と出会ってみなければならない。そして、その人から得られるインスピレーションで、筆を走らせるのが一番だ。そうして描かれた絵ならば、相手も絵を受け入れやすいだろう。


「映。出来ればその人達に会ってから、絵を描きたいんだけど」

「それもそうね。この件も清川先生に相談してみる」

「あ、雫ちゃんとはもう会ってるから、他の二人に会うだけでいいよ」


会ったことがある雫へ贈りたい絵のイメージは、ぼんやりと頭の中に浮かんでいた。名前から連想した絵だったので、やや安直過ぎると思ったが、俺はカンバスに向かえば描くことができると思ったし、おそらく気に入ってもらえるだろうという自信もあった。


「分かったけど、あんまりこんつめないでね」

「映の方こそ、無理は禁物だぞ」

「分かってる。じゃあ、またね」


俺と映は互いに名残惜しく、電話を切った。

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