19.本物の天才

俺が翌日、絵をカッターで板から切り離している最中に、電話が鳴った。スマホをどこに置いたのかさえ忘れて、作業に没頭していたようだ。慌てて視界に入ったスマホを手に取り、電話に出る。ディスプレイに表示された番号は、映のものだったのに、最初に聞こえてきたのは映の声ではなかった。


『もしもーし。幸お兄ちゃんですか?』


聞いたことがある声だったが、誰だか分からなかった。だがすぐに言葉遣いで分かった。俺のことを「幸お兄ちゃん」と呼んでくれるのは、俺の周りではあの子しかいない。


「雫ちゃん?」

『そう! あのね、絵を描いてくれて、ありがとうございました。気のは化け物が出なかったよ!』

「本当? よく眠れた?」


嬉しそうな雫の声に、俺の声までつられていた。


『うん! あ、映お姉ちゃんと変わります』

『もしもし、幸? あなたやっぱり天才よ! これで二例目だって言って、清川先生は落ち込んでいたみたいだけど』


俺が清川の手柄を横取りしたみたいで、じゃっかんの後ろめたさを感じた。何より、雫を見つめて、敗北感を漂わせていた清川を思い出し、とどめを刺す形になって申し訳なかった。


『今日から雫ちゃんの経過観察して、異常がなかったら、雫ちゃんも一般病棟に移れるんだって。それでね、幸。幸の絵をカラーコピーして分析してもいいかって、清川先生が言ってたんだけど、どうする?』


自分の絵が野放しの状態になるのが、俺は好きではなかった。自分の絵に責任を持っていたかったし、自分のあずかり知らぬところで、変な使い方をされるのが嫌だった。しかし俺の絵が医学的な説明を与えられるようになり、より多くの患者が救われるようになるならば、それは協力した方が良いと判断した。


「分かった。映の分だけ、条件付きで許可するよ」

『条件って?』

「俺の絵を拡散させるようなことは、絶対にしてほしくないということだ」


SNS社会は怖い。もちろん、それはSNSが便利で楽しいことの裏返しではあるが、俺の作品が俺の意志に反する使い方で、使用してほしくなかった。著作権をどうこう言うのではない。今回、俺が描いた四枚の絵は、営利目的で描いてはいないし、四人それぞれを想って描いたものだ。今も映たちのように、悪夢で苦しんでいる人がいる可能性がある。この現況を考えると、拡散した俺の絵の画像データが、あたかも「薬」のように扱われ、普及することは、逆に危険ではないかと思う。


『条件はそれだけ?』

「うん。映もコピーが終わったら、すぐ返してもらって」

『もちろんよ。あの絵がないと、怖くて眠れないわ』


映のこの言葉を聞いて、本当の完治にはまだまだ時間がかかるのだと、俺は覚悟した。あの絵に頼らなくても、安眠できるようになることが、本当の意味での完治だと言えるだろう。おそらく清川も俺と同じように考えて、映や雫を入院させたままにしているのだろう。


「映。明日には田沼さんと廉君の絵を持っていきたいんだけど、清川先生にまた許可を取ってもらえるかな? 面談室でいいから」

『え? もう描いたの? 早くない?』


映は俺の手際の良さに驚いていた。同じ美大出身だから、絵には時間がかかることをよく知っているのだ。俺は映に手抜きではないかと疑われる前に、事前に準備していたことを明かした。そして、会ったことのある人の場合、早く絵にしてしまわないと、イメージが薄れていくため、一気に仕上げている事を説明した。


『幸って、本物の天才なのね』


これは映の嫌味ではなく、最大の褒め言葉だった。


「二人から得たイメージが消えないうちに仕上げないと、上手く描けない気がしたから」

『そうなんだ。ありがとう。清川先生にはちゃんと言っておくから。じゃあ、明日ね』

「よろしく」


そう言って電話を切ると、俺は再びカッターを手にして、慎重に絵を切り離した。

 こうして出来上がった絵を携えて、俺は病院に向かった。待合室で映が一人で俺を待っていた。清川はまた多忙のため、遅れているのだろうか。映に視線を投げかけると、その通りだった。


「今日、清川先生は来ないって。忙しいみたいで。でも、ちゃんと言われた通りに伝えたし、二人への面会も了承してもらったから、大丈夫よ」

「それは、良かった」


俺は静かに安堵の息を吐く。第一印象が良くなかったせいか、俺はどうも清川が苦手だった。担当の看護師に閉鎖病棟の鍵を開けてもらい、二人で中にはいる。面談室には、もう二人が待っていた。どうやら二人で談笑していたらしい。堅物の田沼と、頭のいい廉は、どこか似ているような気がしていた。知的な会話が弾んでいたのだろう。俺と映の姿を見るなり、会話を中断し、二人とも緊張した面持ちになった。

俺は約束した通り、クリアファイルに入れた魚の絵を、田沼に渡した。田沼は相変わらずのいかつい顔で、絵を目に近づけたり離したりしていた。鑑賞しているというよりは、じっくりと鑑定している様子だった。もちろん、鑑定されるほどの価値がないことぐらい、俺自身が知っていた。しかし、この絵が回復の一助になることを願って描いた物でもある。映や雫のように、巧くいけばいいと思わずにはいられない。

 そして廉には、クラフト封筒に入ったままの剣の絵を渡した。廉は大事そうにそれを抱えていた。まだ、絵を見ることに、躊躇している様子だ。この絵と向き合う時は、廉が現実と向き合うと決めた時となる。大人びている印象の少年とはいえ、まだ子供なのだ。その子供に、「疲れた」と言わせる社会にも、問題があると思う。もちろん、病気の子供に差し入れで勉強道具を持ちこむ親もどうかと思う。しかしそれらは廉自身が解決することしかできない。自分やその家族、自分を取り巻く環境、自分の好きな事。それら全てと向き合うには、まだまだ時間が必要なのだろう。

二人とも、お礼を言ってくれたが、廉はぎこちなかった。俺は廉に「無理しなくていいよ」とだけ伝えて、面談室を後にした。


「今晩が楽しみね」


映はスキップするように軽やかに笑顔を見せた。そんな映に、俺はあえて慎重に答える。


「まだ、分からないだろ」

「でも、二人同時に治ったら、もう病気はなくなるわ」

「もしそうなれば、清川先生に恨まれそうだな」

「皆、早く治るといいね」

「そうだな」


そんなたわいもない会話をして、俺は映とロビーで別れた。映は一般病棟がある方に歩いて行った。俺は一人で帰宅した。

 数日後、二通の手紙が俺宛に届いた。田沼と廉からだった。

和紙に毛筆で書かれた田沼の手紙には、住所を映から聞いて、廉にも教えたとあった。そしてその内容は、驚くべきものだった。田沼も絵を見た晩から、一度も化け物の夢を見ておらず、安眠できているとのことだった。田沼は初めて会った時の非礼を詫び、何度も感謝を伝えていた。

 廉の手紙の内容もほぼ同じ内容だったが、将来の進路について家族と話したいという旨がつづられていた。廉は絵を渡された日の夜、やはり化け物が怖くて目が覚めたという。その時に、俺の渡した封筒が目に入り、封を開けてしまったらしい。廉はそれが「恥ずかしい」と書いていたが、俺はそうとは思わなかった。辛い時に助かる術があるのなら、年齢問わず、誰でもその術に頼るだろう。まるで、喉が乾ききろうとした時に、水に手を伸ばすようなものだ。飢えている人間が、賞味期限が切れていてもそれに手を伸ばすように、自然な人間の行為だと俺は思った。

この手紙から一週間後には、映の退院が決まった。俺と映は、電話越しに心から喜びあった。




 その一方で、清川は悪夢の正体を未だにつかめずにいた。一枚のコピー用紙を手に、清川は一人ごちた。


「あいつには、頼りたくなかったんだけどな」


深夜二時を回っていた。

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