一章 絵の才能

1.おかしなこと

 私は物心ついた時から、絵を描くのが好きだった。一人でいることが多かった私は、幼稚園に行っても友達が出来ず、いつも一人で絵を描いた。そんな私の絵を、幼稚園の先生は褒めてくれた。そして私の絵を、その先生がコンクールに出してくれた。私の中だけで完成し、完結していた物が、初めて私の手を離れて他人の目にさらされるのは、正直不安だった。しかし私の絵がコンクールで金賞をとったことで、私の中にあった不安は消え、自信という、初めて手にする感情に変わった。

 小学校に入ると、すっかり絵に自信を持った私は、漫画家を目指すようになっていた。自由帳が手に入ると、そこに真っ黒になるまで絵を描き続けた。他の子が私の絵を喜んでくれる時も、私の画力を羨んでくれた時も、私はそれを当然のように思っていたが、建前の謙遜も忘れなかった。私と違う幼稚園出身の子の中にも、同じく漫画家志望の子はいたが、その子より私の方が上手く描けていると思っていた。

 しかし小学校の美術という科目において、より高い評価を得ることができたのは、私ではなく、違う幼稚園出身の「その子」だった。美術の先生は授業中に皆の前で言った。


「漫画と絵は違うものです」


その時の絵のテーマは、「友達の絵」ということで、席が隣り合ったクラスメイトを描き合った。黒板には、二枚の絵がマグネットで張り出されていた。先生は名前を口に出さなかったが、私と「その子」の絵だということは、私自身がよく知っていたし、クラスメイトも暗黙の了解だったに違いない。先生が言いたかった点は、目の大きさと、顔と体のバランス、そして手足についての三点だった。先生の右に私の絵があり、先生の左側に「その子」の絵があった。


「まず、口より目が大きいのは、おかしなことです。顔半分を目で占めている人は、実際にはいませんし、黒目の中に光りが入り過ぎです」


先生は伸縮する指示棒で、私の絵を指しながら言う。


「次に、右は頭が小さすぎています。正しくは、左の絵のようなバランスです。モデルの方の中には、八頭身やそれ以上の方もいるでしょうが、このクラスにはそのような人はいません」


先生の言葉はきっと正しいのだが、あまりに容赦がなかった。その言葉でぴしゃりと、頬を叩かれたようだった。しかし本当に叩かれたのは、私の内部にあった自信や自尊心の方だったに違いない。


「最後に、手足を比べてみて下さい。右は細くて長いので、これでは立つこともできません。左の方は、健康的でしっかり立てる手足をしています。皆さんも、もう一度自分の絵を見て、この三点をよく観察しながら描きましょう」


屈辱的だ、と私は思って、下唇を噛みしめた。わずかに鉄の味がした。これでは公開処刑ではないか。今まで皆に褒められてきたのに、今は私だけが反面教師にされている。私の他にも、漫画的な絵の人はいたのに、どうして私だけが比べられるのか、納得できなかった。授業終わりに、皆が私を見ていることに気付いた。悪意を孕んだ視線が、痛い。何人かの親しいクラスメイトでさえ、腫れ物に触るように声を掛けられた。


「先生、ひどいね。私はえいちゃんの絵の方が好きだよ」

「そうだよ。映ちゃんの絵の方がかわいいよ」


そんな救いにもならない言葉を貰っても、私は嬉しくなくて、「うん、ありがとう」という偽善的な笑顔で応じた。納得なんてしていないのに頷いて、有り難いなんてちっとも思っていないのに、礼を言う。これが偽善でなくて何なのだ。そんな時、一人のクラスメイトが近づいてきて、泣きそうな声で私に謝った。私の絵と比較され、先生から手本とされた絵を描いた「その子」だった。


「ごめんね、黒森くろもりさん。私も先生のやり方はひどいと思う」

「うん。ありがとう」


私はまた同じ言葉を返す。


「黒森さんの絵、本物の漫画家さんみたいに上手だね」


そういってはにかんだように笑う「その子」の顔を、私は直視できなかった。「その子」の言葉は、私にとって最高の褒め言葉だったはずだが、喜べなかった。その上、お門違いも甚だしいことに、「その子」を恨んでいた。私以上に偽善者なのは、目の前にいる「その子」だと思った。分かりやすい判官贔屓。皆がまだ美術室から出ない内に、謝罪する「その子」。


――何であんたが謝るのよ?


そんな攻撃的な言葉が、頭に浮かぶ。それを声に出さないように、さらに歯を食いしばり、泣きそうになるのを我慢した。「その子」は、仲の良いクラスメイトと共に、美術室を後にした。

 教室に戻ると、いつもの空気と明らかに違う空気が充満していた。明らかによそよそしく、冷たくて暗い空気だった。私はこのクラスに歓迎されていないと感じるには十分だった。私の姿を確認したのに、それを無視してクラスが動き出す。


「本当に絵がうまいよね」


「その子」の友達が、私に聞こえるように言った。


「そんなことないよ」


その建前上の謙遜は、私にだけ許されてきたはずのモノだった。それなのに、今は「その子」のモノとなっている。


「それに比べて黒森さんは痛いよね」

「本当に漫画家になりたいんだってさ」

「嘘。ヤバくない?」


悪意を含んだ笑い声が、言葉に混じっていた。


「駄目だよ、そんなこと言っちゃ」


私よりも下手な漫画しか描けない「その子」が、密やかに注意する。

私に自分のイラストを描いてほしいと頼んできた子も、どうやったら私のように上手く描けるのかきいてきた子も、私に近づいてこなかった。一人の男子がおどけた様子で「私、オタクなんですぅ」と高い声で言った。どうやら、私の模倣まねをしているつもりらしい。ちなみに私は自分をオタクだと言ったことは、一度もない。私は反論しようと口を開きかけたが、何を言えばいいのか分からず、その場にうずくまって泣いてしまった。幼い女の子にとって、涙は特権だった。女の子たちを味方につけて、あわよくば、女の子の同情を買うことができたからだ。単純な女子対男子の、構図が出来る。私はそんな打算よりも、自分を唯一支えていた自信がなくなってしまったことに泣いていたはずなのに、私を慰めてくれたのは、クラスの優等生たちだけだった。学級委員長の女の子や、誰にでも優しい女の子だった。

 

 その日以来、私は他人に隠れて絵を描くようになった。

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