第17話 Burlesque
河内が休学して一週間が過ぎた。多田はスイッチが切り替わったのか、女の子にうつつを抜かすことなくひたすらに努力した。多田の本気度に触発され、僕らのチームはより結束が固くなり、河内は最初からいなかったかのようにスピードを上げはじめた。気持ちは多少沈んだままだが、凹んでいる暇はない。ジョン役希望者は最後の瞬間まで僕の椅子を狙っている。
レッスン後、荷物置きにもなっている窓辺のスペースに腰掛けコンビニで買ってきた1L紙パックの麦茶を飲む。ぼんやりと教室全体を眺めていると、佐倉が上機嫌で一歩ずつ飛び跳ねるように近付き横に座った。
「機嫌良さそうだね」
「先生に凄く褒めて貰えたから!」
「そんなの言ってちゃダメだよ。南から役を奪うくらいじゃないと。あの時、チャンスだったんだよ?」
「……私なりに頑張るよ。でも、このままみんなで頑張りたいな……」
佐倉の優しさが気になる。優しさは大切だ。河内は優しかった。しかし、それだけではダメだ。優しさを支える強さも身に着けなくてはならない。自分に厳しく、他人に厳しく、それができないと強い存在に食われる。多田を見ろ。毎日を必死に磨き続けている。河内の顔が頭を過るたび、そう思って乗り越えた。
25分程の本番を2回やるため練習を数ヶ月続けた。演技の嫌な所は明確じゃない所だ。成長しているのかわからない。だが確実に変化を感じている。上手さは大切だが、心も同じくらい大切だ。その心が育ちつつある。体の成長が追いつかないなら、心を育てて加速するしかない。
入学当初は「のんびり楽しく勉強し、友と語らい、今が充実すれば良い」なんて考えていた。今は「血を吐きながら勉強し、友達と殴り合い、見えない未来のために足掻く」に変化した。変化を試すのは今日、本番当日。
楽屋として使われている部屋を出る。本番をやる教室には2年生や今年入学予定の人も見に来ている。廊下にはクラスメイトが並んでいた。
「俺の分もやってくれ」
「頑張れよ」
「落ち着いて」
「私……ちゃんと見てるから」
声がした方を見ると胸の前で祈るように指を組んだ佐倉が僕を見つめていた。
祈りを胸に染み込ませると視界が変わった。僕も一段上がることができた。この場所は、真新しい足跡を付けるに値する。
「私、めっちゃ良い感じ」
南が呟きドアを開く。拍手、整列、一礼、照明が消えVTRが回る。これまでの1年とこれからの1年を声に乗せ、無心で、丸裸で演じる。騒々しくも華々しい舞台の上で。真実の世界の空気を肺に溜め込む。嘘を包む真実を吐くため。
発表が終わって気分が高揚していたのも1週間程度だった。河内は依然休学したままだが話題に出ることも少ない。あれだけ存在感があった男が煙のように消えてしまった。
先輩たちの声優事務所オーディション結果もかなり出てきている。まだ所属はいない。この学校の歴史でもいきなり所属になれたのは1人だけらしい。良くて準所属。ほとんどが養成所の特待生か養成所入学などだ。僕たちは「この切符には行先が記載されていない」ことを嫌でも知らしめられる。
学校も進路について「どこの事務所、養成所にも入れない人間はいる」とハッキリ教えてくれた。近くの牛丼屋の社員はこの学校の卒業生で、新大阪駅内の土産屋で働く卒業生もいる。何者かになろうとした若者は一廉の社会人に成長していく。
敵わないと感じていた先輩ですら叶わない夢。そこにたどり着くのは一年後。
2月も後半に差し掛かった時、今年の上半期予定表が配られた。『アフレコ実習』と書かれているレッスンが多い。今年の12月から声優事務所の所属オーディションがはじまる。それまでに『使える』レベルにまで行かなければならない。そんな思いでレッスンを終え、いつも通りに屋上に向かうと南がぼんやりと佇んでいた。
「今日も凄かったな」
「うわあ! びっくりした…」
「何も喋って無いのに場面が切れてないって凄いな。僕も演劇部とか入っておけばよかった」
「うん…えへへ…」
手すりを握り、後ろに体重を掛けて腕を伸ばす南は風景に合わない。そして遠い遠い昔を思い出すように口を開いた。
「アフレコ発表、楽しかったよねえ」
「河内さんともやりたかったけどな」
「そうだよね……でも、八木沼君と柳ちゃんが終わったあとに号泣しているの凄かったよね。あー! みんな…声優になれるのかな!?」
南がダメなら誰が受かることができるのか。元々自分に自信が持てない様子もあったし、2年生の厳しい現状を見て弱気になっているのかもしれない。
「南だったら大丈夫だよ。どんなことがあってもプロになれるんじゃない?」
「どんなことがあってもか…」
それ以上何も言わず、南は階段を降りた。
教室に戻ると南は1人で鏡の前に立っていた。小さな体をぐっと伸ばし、鏡に写る自分自身を見つめ、薄い笑みを浮かべながら深い呼吸を繰り返す。声を出す時の基本である呼吸。大きく吸い込み、堂々と吐き出す。その姿は祈りを捧げる巫女のようにも見える。
いつも通りに間垣先生が入ってきたので皆が集まり佐倉が僕の隣に座る。もうすぐ春休みだとか休み中の教室開放日などの諸注意を告げる。
「4月になると新入生が入学してきます。お前たちが一年の時も一部の奴らには仕事振ってたけど、今年からはお前たちが追われる側に回るからね」
エグい現実ををさらりと告げると教室は水を打ったように静まり返る。
「毎年全国で数千人規模でお前たちを追う人間が増えていきます。お前たちもその1人だったな」
僕らは2年生を倒すことをこっそりと目標に掲げていた。一部の実力者は2年生を差し置いて仕事を奪い取った。2年生が多く仕事を得るのは、積み重ねなどがあり上手いからだ。しかし、1年生の中でもバケモノは仕事を奪っていく。それと同じことが起こる。今後、僕らは卒業した先輩と戦うと同時に、若い世代からも追われるようになる。それが永久に続く。
「以上。質問とかあるか?」
「先生!」
南が元気よく手を挙げた。質問が生まれるような話でも無かったので皆も不思議そうに眺めている。
「じゃあ、後は任せた」
そう言うと間垣先生は教室を出て行く。南が間垣先生のいた場所に立ち、慈しむようにクラスメイトを見る。佐倉が僕の手を強く握った時、鈍い脳が「まさか」を告げた。
「突然ですが! 私、南涼子は3月末で学校を辞めます!」
佐倉の爪が僕の手に食い込む。
「理由は家庭の事情です。…あー! もう! 皆、頑張ってね! 声優になってね!以上です!」
井波は下を向きながら目を閉じている。沈黙、沈黙、沈黙。そしてざわつく教室。
「なんでなん!?」
青い顔の多田が叫ぶように問う。「家庭の事情」とは言うが、全員がその先の答えを知りたがっている。南は皆の前に立った時と同じ表情で答える。
「私、お母さんしかいなくてさ。それでお母さんが病気になっちゃって…まだ弟や妹も小さいから私が働いて家を支えようって思ったの」
「なんとかならんの!?」
多田の言葉は皆の言葉だ。南のような実力者がこんな形でいなくなるなんて誰も思っていなかった。
「もう…決めたことだからさ!」
南はそのまま荷物をまとめ「また明日!」と言い残して帰った。途端、教室に嵐。酒巻は号泣し、多くのクラスメイトは井波に近付く。井波はいつも通りに明るく振る舞いながら皆の質問に答える。だが、その答えは南が話した物以上ではなかった。舞野はいつも通り積まれたマットに座りぼんやりとしている。
「マジなのかな」
「こういうのはしょうがないわよ。家庭環境が変わったり、親の仕事がダメになって辞めていった人は沢山見てきたわ。芸能って運が必要って言われるけど、今回みたいなことが運だと思うわ。でも、やっぱり寂しいわね」
マットから降り、鏡の前で南がやったように息を吸い、強く吐く。数度繰り返したあと、南の残影に話しかけるように視線を下げる。
「やれる人間はやらなきゃね。ずっとそうだったしこれからもそうよ」
僕も鏡を見て強く息を吸う。腹式呼吸、最初に習う基本中の基本。体は大きな風船で足の小指の先からどんどんふくらませるイメージ。イメージを形にする。そして前に放つ。僕はまだやれる。まだやれるんだ。親は「来年分も出すから、貯めたバイト代は上京のために使いなさい」と言ってくれた。学校に通う、この当たり前の行為は多くの偶然の上に成り立っている。
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