第16話 そのチャンスは誰かの涙

 3日後、水堂先生のレッスン前に軽く練習をする。お互いに指摘はするが言葉に角は少なくなってきた。ただ、やはり河内の調子は悪く、八木沼だけでなく南や舞野も強く指摘する。レッスンまで後一時間、自主稽古を切り上げ、昼食や買い物に向かう人に紛れて河内は静かに教室を出た。


 河内は珍しく屋上にいた。景色を眺めている訳でもなく、ぼんやりと立っている。顔色は良くなく、覇気もない。もしかしたら河内も「折れて」しまったのかもしれない。


「大丈夫ですか?」

「正直、厳しいね。それにこの前はごめんね。僕がやるような役目を紀川君にやらせちゃって」

「役目とかそんなんじゃないですよ。河内さんがやってくれていたことをやっただけですから」


 年上の重圧を感じることはできないが、僕らより確実にチャンスや残り時間が少ないのはわかる。そして、傷ついたままで入学したら回復どころかえぐられ続ける毎日。僕が河内の立場なら現状に耐えられていただろうか。


「思い切りやりましょう。役降ろされたら怒りますよ」

「縁起でもないこと言わないでよ」

「河内さんも立ち直れないでしょうから死ぬ気でやりましょうよ」

 

 レッスンがはじまり、水堂先生に成果を見せる。今回、僕らのチームは最後に発表。皆の発表を見るとやたら上手くなっている。演技が体から溢れ出し、気付きを消化し血肉に変えた。


 水堂先生が嬉しそうに発表を見て「どうしてその芝居になる?・もっと大きく台本を解釈して良い・迷わないで」など、普段は舞野や南に対して飛び出す高度なダメ出しを飛ばす。

 2つのチームが終わり次は僕らだ。視線を感じ、そちらに目を向けると八木沼が僕を見ている。唇の右を上げて反応すると八木沼も同じようにひょいと上げる。全員が静かに息を吸う。自分自身を役で塗り替えていく。僕らの前のチームも良い芝居をしていた。不安や焦りではなく研ぎ澄まされた感覚が体を包んでいく。


「良いじゃない。思ってた以上よ。ちょっと色々やってみようかしら。南さん、佐倉さんと変わってみて」


 教室の空気が一変した。チャンスと絶望が同居している。アピールするチャンスを掴んだ佐倉は真っ青な顔をしている。南と佐倉が見つめ合い2秒程沈黙。南は佐倉に対していつも通りに声を掛ける。


「巴ちゃん! 頑張って!」


 佐倉の顔色が戻り、緊張感を出しながらマイク前に立つ。


「河内君、多田君と変わってみてくれる?」


 河内は表情なく下がり、多田は「よし!」と一声だしてマイクの前に来る。さっきの河内の芝居はどうだった?自分のことで精一杯で覚えていない。南とはセリフの掛け合いが多いので完成度はわかる。もちろんキレッキレだった。


「じゃあこの2人が出るシーンをやりましょうか。8ページを開いて」


 戸惑う暇も与えてくれない。だから欲求に従う。役も僕らも欲求で動いている。純粋な欲求に計算が入るとすべて曇ってしまう。役者魂は心が清いか突き抜けたバカにしか手にできない。


「うん。これも悪く無かったわね。柳さん、さっきと全く同じお芝居だったわよ」

「恐縮です…」

「注意してるのよ。掛け合いの相手が変わったのよ?お芝居は悪くないけど、自分の頭の中で芝居をやりすぎ」

「……はい」

「佐倉さん、良かったわよ。無理に役に寄せすぎないで自分らしく役作りしたのね。もっと出して。中途半端」

「はい!」

「多田君は思いっきり崩してきたわね。良いじゃない。……河内君、最近ずっとあなたらしくないわね。何かあった?」

「いえ……」


 教室全体に緊張が走る。僕らにも河内の不調はわかる。水堂先生にはもっと分かっているだろう。


「やれる?」


 河内は答えない。「やります」と言ってくれ。そう願うが河内の顔を見ることはできない。チャンスは誰にだってある。多田の芝居は河内より良かった。真面目で堅物な警備員なのに真逆の芝居をやったが、不思議と役と合っていた。河内が立ち上がるなら僕は必ず支える。


「正直……ちょっと……」


 振り絞るように声を出す河内、「何故だ?」と叫びたくなる。叫べなかったのは多田の芝居が良いと思ったからだ。これはただの学内発表。キャストの入れ替えがあった所で何も起こらない。だが、心は変わる。ここで一歩引いてしまうと、前に進めない。河内のために声を上げるべきだ。恩を返す時は今だ。


「先生! やります! 僕! もっと良くなるようにやります! やらせてください!」


 涙目で懇願する多田を、誰が否定できるのか。誰もが戦っている。僕だって戦っている。手を貸す余裕はあるのか?手を貸す必要性を教えてくれた河内の手を取れ。取ってやれ。


「河内さんはそれで良いんですか!?」


 全員が僕を見る。多田が僕を睨む。ここで浮き上がれないと次はないと思っているに違いない。目から感じる圧力は自分がこの場所で生きるか死ぬかがわかっているからだ。協力して戦うが、勝者の数は決まっている。そして多田は正当な手段で、真っ当な努力でそれを掴み取ろうとしている。それを僕の感情で変えてしまって良いのかわからない。言葉の奥底にあるのはエゴだ。役者としてのエゴだ。ただの優しさではない。掴み取った役を手放そうとしている河内への怒りだった。


「このチームには多田君が入って」


 ガッツポーズをして叫ぶ多田、静かに座り台本に目をやる河内。僕だけがどの時間軸にいたら良いのかわからず立ち尽くす。これがこの世界だ。この世界なのだ。河内を思いやる以上にゾクゾクしてしまっている。誰でも勝負ができる世界を実感してしまった。友達がこんなにも、こんなにも傷だらけなのに。

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