第15話 焦熱を超えて
あの日から一週間、今日もレッスン終わりに自主稽古がはじまる。
「だから紀川の声じゃ駄目だって! 声の高低も全然ついてないぜ!」
「八木沼だって声だけじゃないか! 絶対に舞野のセリフ聞いてないって!」
「二人共熱くなりすぎだよー! 私に言わせると2人ともなんか芝居がずれてるよ!」
「南だってちょこちょこアクセント間違ってるわよ。無声化も甘い部分が多いし」
「舞野さんは違うマイクでしょ~! 忍が入れないよ~!」
「井波さあ……他は良いから滑舌ちゃんとしてよ……ラ行とダ行が混ざってる」
「柳さん本当にごめん! なんとかしようとしてるんだよー!」
あの喧嘩から毎日これだ。喧嘩の翌日、南がチーム全員を集めルールを作った。
【演技に関してのダメ出しにはキレない。だから全員本音を出す。キレた人は罰金7000円】
単純にして最高のルール。罰金が7000円の理由は「非常にリアル感のある数字だから」と言われて納得してしまった。10万円とかなら開き直ってキレるが7000円だと本当に払わないといけない気がしてキレられない。このルールが生まれてから、柳は良く喋った。人にガンガン指摘する。指摘する時は声が震えていたり、顔が真っ赤になっているのは柳も自分を変えようとしている証なのだろう。戸田や安田も周りの勢いに引きながらも言うべきことは言っている。ただ、河内だけは何も言わなかった。何を言われても青い顔でうんうんと答えるだけだった。
「こんなに言い合って本当に大丈夫なの?」
この質問は佐倉だけでなく、チームメンバー以外全員の質問だ。先程の自主稽古の休憩時、佐倉とコンビニに出かけていた。あまりの異様な熱にクラス全体が引いてしまっているらしい。間違ったことはしていない、現に毎日自分の成長がわかる。八木沼は僕を目の敵にして粗を探して指摘する。僕も負けじと八木沼の粗を探す。そうすると、八木沼だけでなく、舞野や南の実力者の粗も見えてくる。指摘は全員が同じ立ち位置じゃないと発生しない。一歩引いてしまうと他人への指摘ができなくなるだけでなく、自分への指摘も飛んでこなくなる。
「佐倉もガンガン行くべきだよ。前に南が役を取れて良かったって言っていたけど、プロを目指すなら言っちゃ駄目だ。佐倉が役を取らないと誰にも見てもらえないよ」
泣きそうな顔を見せてから俯く佐倉。僕は何一つ間違ったことを言っていない。存在しなければならない。全員が僕らから役を奪い取るために行動している。それは人に見られるため。それだけだ。
「河内! 全然良くねえよ! 来たセリフ聞いてねえじゃねえか!」
学校に戻ってきてまた練習。八木沼が河内に強く言う。言っていることは間違っていない。南も酒巻も止めない。河内の様子に異変を感じている僕は止めるべきかと思ったが、誰もが戦うべきだと感じて止めなかった。練習が終了すると河内はそそくさと荷物をまとめはじめる。アフレコはチームワークだ。河内の調子が上がってこなければ周りのチームに追いつかれてしまう。この後、残って南との掛け合いを練習する予定だったが、事情を話し後日に変更してもらった。帰ろうとする河内に声を掛け、今度は僕がたこ焼き屋に連れ込む。たこ焼きを食べながら雑談をするが、中々本題に入れない。別にやましいことをしている訳でもないが、人の心に踏み込む時は二の足を踏んでしまう。さっきからマレーバクが可愛いとかヒクイドリの足は怖いとかの虚無な会話を続けている。
「僕のこと心配だから呼んでくれたんでしょ?」
いきなり来た。促してくれたのだから覚悟を決める。
「最近どうしたんですか? 全然河内さんらしくないって言うか……佐倉に告白でもしたんですか?」
「僕の調子が悪いの、それが理由だって思ってた? 違うよ。佐倉さんと仲良くしてたのは言ってくれても良いじゃないって思ったけどさ」
河内はビールを一口飲んで軽く笑う。一息つくと言いようのない寂しい笑顔で話し始めた。
「無理して頑張ってきた反動がちょっと来ていてさ…そういう部分も変えたいと思ってここに来たけど、現実は厳しいね。人とぶつかり合ってこなかった弱さを痛感してるよ」
声は軽いが口調は重い。ぶつかり合うことは苦痛だ。僕だって辛い。しかし河内は大学を出て社会人も経験してきた。ぶつかり合うことはやってきた側ではないのか?それを聞くとさっきまでの表情が消え、最近教室で見る顔になった。
「ぶつかり合う勇気がなくて、今まで来たんだよ。それからずっと逃げてきた。小さいころから強い口調で勉強しろとかもっとやれとか言われ続けてきてさ。それで……精神的な具合が悪くなって……爆発したんだよね」
「最近はぶつかり合うどころかどつき合いみたいになってますしね……」
「わかってるんだよ。良くするために言うって。僕も紀川君に意見を言うこともあったでしょ? でも……ここまでぶつかり合うのは、正直辛い部分もあるね。今も毎日勇気を振り絞って学校に来ているよ。みんなに頼ってもらえるのは嬉しいし、自分を変えようと思って無理にリーダーシップを取ってきたけど……」
今まで河内に頼ってきた部分、年上だからと当たり前のように接したきた部分、自分自身が河内を同じ立場の仲間でなく「年上の人間」として扱ってきたことを思い知らされた。あの自己紹介だ。強く前向きでどんな場所でもリーダーだった人間であるはずがない。そんな河内が、今まで出来なかった僕をサポートしてくれた。分からない部分を噛み砕いて教えてくれたり、朗読の時はクセの強い周りを纏めてくれたりした。
河内は完全回復しないうちに入学したのだろう。この学校生活で支え合うのが仲間だということを学び、アフレコのチームワークも学んだ。自分自身を変えるためにも河内を支えるべきだ。
「年下にこんなこと言われるのは嫌だと思いますけど、少しは頼ってくれて良いですよ? 僕も……誰ともぶつかって来ませんでした。だから気持ちはわかります」
「ここは全部が剥き出しだね。どれだけ飾っても最後はその人のポテンシャルでの勝負になる。長く生きてるとか、自分を偽るとかは関係ないよね」
「どれだけ丸裸になれるかですよね。カッコつけるのは簡単にできるのに、そのままでおるんがこんな難しいとは思いませんでしたよ」
「関西弁出てるよ」
「学校の外やしええやないですか」
翌日の河内はいつも通りとは言えないが持ち直してきた。強い口調でダメ出しをする八木沼にもぎこちない笑顔で応じている。自分の言葉で、行動で誰かが持ち直すのがこんなにも嬉しいなんて思わなかった。今日は「穴の空いた靴下で客前に立つのか」と舞野に言われたが気分は穏やかだ。共演者のダメなところは見えるが、良いところも多く見える。特に八木沼が良い。声を作りすぎてはいるが、かなり自然に聞こえてくる。
「八木沼、ちょっと良い?」
「なんだよ!」
常に臨戦態勢。チームワークもあったものではない。ボロクソに言ってやろうという気持ちを抑え、感じたことだけを伝える。
「声をなんだけど、最初に比べてすごく自然になってきたよね……僕がアニメみたいな声を作るとどうしてもネバネバした声になるんだけど、どうやって出してるの?」
キョトン、と擬音が聞こえるくらいにチームが静まり返った。
「それは……声を響かせる場所を調節したり……口の形を上手く使うんだよ……」
「詳しく教えて欲しい」
普段話す時よりも大きくはっきりと口を動かすことで、音の輪郭が鮮明になること、声を鼻で響かせて発音する時と口の中で響かせることでは全く聞こえ方が違うことなどを教えてくれた。口の形が音に関係しているのはなんとなく気が付いていたが、言葉で説明をしてもらうと素直に腑に落ちる。
「頭声を使うと高い声も作りやすいわよ。八木沼は喉と胸でやりすぎてない?」
舞野が話題に入ってきた。頭声とは声楽などで使われる発生方法らしく、声楽独特の澄んだ声を出せる。それをそのまま演技の声に使うのは難しいが、今まで学んできた発声法にプラスすることでより豊かな声が生まれると話す。
「柳は音の高低とか響かせ方とか自然に変えてるわよね?」
「意識してる訳じゃないけど……セリフの中で感情が上下するところを決めて、それを基準にして出す音を決めてる……でも南みたいに芝居の中でコントロールはできてないけど……」
「私なんて全然だよ! 気を付けてることは……まず相手のお芝居を受けないと芝居ってできないじゃない? だから当たり前だけど人の芝居をちゃんと聞いて、用意した言葉じゃなくて、その時に出てくる気持ちで応えてる感じかなあ……」
皆、気になっていたのだ。隣の芝の手入れ方法を。次々にtipsを語り合う。今までの殴り合いは「上手くなりたい」がスパークした結果で、現状の不安や自分への苛立ちがあったに違いない。そして周りがすべてライバルと感じることで、相手の良い部分を認めることが難しくなっていたのだ。その方向性を変えたのはより高みを求める渇望だった。
「紀川は相手との距離感を出すのが上手いな……やり方を聞いてやらなくはないが?」
イラっとする声の方を向くと「宇治にようこそ!」と書かれたTシャツを着た直方がスタイリッシュに立っている。
「普段人と話す時の距離を覚えていて、映像内の距離に合わせてやってる。あと…声を対象に当てるレッスンでやったみたいに、マイクに向けて声を出すんじゃなくてその先にってイメージでやってるかな」
「距離感出すのめっちゃ上手い声優さんおる!教えたるわ!!」
いつの間にか別チームの多田が参加し参考になる声優名を挙げて行く。それをきっかけにチームを問わず、全員が自分の持っている技はもちろん、誰かの上手い部分を言い合い、全員が一つになり多くを語り合う。こういう場では聞いてばかりの佐倉も自分が経験してきたことや気付きを周りに伝えている。
殴り合いがあったからこの状態になったのかは分からない。だが、ここにいるのは全員は敵ではない。不安を誤魔化すために必要以上に攻撃的になる。それを乗り越えることができれば、後は上手くなるだけだ。雨降って地固まる。血の雨が必要だったのは予想していなかった。そしてもう一つ予想外だったのは河内がこの輪に入らず、いつの間にか教室を出ていたことだった。思っているより、状態は良くないのかもしれない。
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