第14話 思い尖りて役者は歩く
翌日からアフレコ発表に向けたレッスンがはじまった。最初にやるのは僕を含む選ばれた9人。クラス全員の視線が刺さり目の前には水堂先生。目を閉じて心の引き出しを開く、ジョンに付いて考えた事を全て取り出し目の前に並べる。一つ一つに火をつけ、煙になったジョンを目一杯吸い込む。むせ返りそうな情報量。脳天から足の小指にまでジョンを染み渡らせる。やはり追われることは恐ろしい。しかしそれ以上に胸が高鳴る。その高鳴りに全てを任せた。
「はい。お疲れ様。感想言う前に少し休憩しましょうか」
詰まったりせずにスムーズに出来た。しかしそれが良かったのかはわからない。良いのか悪いのか、発表前よりも評価が下る瞬間の方が恐ろしい。座っていた場所に戻り、意を決し隣にいるクラスメイトに感想を求める。
「なんだろう……なんていうか……喋ってた」
どっちだよ。駄目ならまだ良い。何も変わってないのか?緊張からくる吐き気に耐えられなくなり、トイレに駆け込む。昼飯と一緒に思いや迷いも吐ききる。まだ僕は自分のやったことに責任を持てないでいる。自分が良いと思ったら「良い」で良い。その単純なことができてない。それに気が付いたのは成長だ。気付きまでのライムラグが少なくなってきた。それは良いことだ。良いことなんだ。しかしこのスピードで良い訳がない。今日の発表、主役のジョンは僕だ。圧倒的に能力が低いのも僕だ。皆と同じスピードで成長すると差は縮まらない。もっと速度を。自分を追い込め。この役は、誰にも渡さない。
顔を洗って冷静さを取り戻す。口中に残った最後の不快感を吐き出し顔を上げると鏡越しにドアが開くのが見える。佐倉が様子を伺うように顔だけ出している。
「大丈夫…?」
「良かったやろ? さっきやったやつ」
「うん……凄く良かったよ」
結局は他人に答えを出して貰わないといけない自分の弱さに笑ってしまった。まだそれで良い。ここからだ。佐倉にすぐ戻ると言い、もう一度顔を洗いトイレを出ようとすると、ひょろ長い影と鉢合わせた。身長180cmの八木沼が機嫌の悪そうな顔で僕を見下ろす。
「お前さあ。もっと声優っぽくやったら?」
「……どういうこと?」
「舞台じゃないんだからさ。もっと声優っぽい声の出し方ってあるだろ? 声が優れるって書いて声優なんだからさ。足引っ張んなよ」
小便が便器を打つ音が聞こえるまで、八木沼をどうやって殺そうかを考えてしまっていた。僕が足を引っ張っているのは認める。しかし声優っぽくないとはどういうことだ。「ぽく」でプロに成れるのか?プロに成るための方法は多くあるだろう。しかし「ぽく」でなれるか?ラーメン屋っぽいラーメン屋なんて世界にあるか?「ぽくは違う。僕の中では違う」自分の中の凶暴な思いに驚きながら教室に戻った。
「はい、じゃあダメ出しするわね」
僕のチームだけでなくクラス全体が一つの生物になったみたいに息を飲む。結果次第では僕らは飲み込まれる。
「うん、良いんじゃないかな? 今のあなた達では良くやった方だと思うわ」
弾けるような歓声があがる。酒巻は八木沼と手を取り合って喜び、河内と井波は拳を合わせ、南・安田・戸越は一緒になって喜んでいる。
「もっともっと良くなっててね。じゃあ次のチーム行きましょうか」
次のチームが始まる。佐倉や直方が楽しげに、難しそうに演じている。目の前で行われているクラスメイトの芝居が入ってこない。先程の八木沼の言葉がグルグルと回り続けている。腹が立ちながらも「声優としてのセンスや才能」を考えてしまっている。アニメや洋画でよく聞く声、あれは訓練で生まれる物なのか?それとも元からなのか?テレビなどから流れる声を聞くと「この声はあの人だ」とわかることがある。姿は見えずとも声だけでも個性や存在感がある。八木沼の発言は気に入らないが、八木沼の声はガヤガヤとした場でも八木沼の声だとわかる個性がある。僕の声は真逆で少し高めだが突き抜けた高音も出せず、低音もそれなりしか出ない。しかし、それだけで良いのだろうか。プロの声優は皆、声が良い。だが、声優もかなりの数がいる。そのすべての人が天に選ばれた美声の持ち主なのか?
「練習はしてるわね。次はもっと良いの見せて。あと、田中さんは滑舌が問題ね。もっと基本を大切にしなさい。じゃあ今日はおしまい。お疲れ様でした」
別チームへのサラっとしたダメ出しが僕を現実に引き戻す。水堂先生がドアを開けて出ていった。チームごとに集まって反省会がはじまると、先生に褒められたからか明るい声があちこちから聞こえる。
「おい、紀川! 早く来いよ!」
八木沼が僕を呼ぶ。相変わらず元気がない河内に代わりリーダー気取りだ。教室の隅に集まり、皆が良かった良かったと喜び合う。僕のいるチームは全員声に特徴がある。その中でもずば抜けて凄いのは隣に座っている柳だった。出番は少ないが、僕の声に自然に反応し、柳の芝居は自然に受け取れた。声が良いのは分かっていたが、存在を認識しないレベルで地味だったので芝居が噛み合ったことに正直驚いた。そんな柳は喜ぶ周りとは距離を置き、険しい顔をして台本を見つめている。今回の練習でも一番良かったのは柳だ。
「さっきは柳の芝居に引っ張って貰えて助かったよ。声もめちゃくちゃ良いし、芝居も受け取ってくれるし本当に助かった。マジでありがとうな」
「ほんま!?」
柳は凄いスピードで顔を上げ、軽い八重歯と大きな犬歯を出して顔を明るくした。大きな声を出したこと、周りが自分に注目したことに気が付き、すぐに茹でたタコみたいに赤くなり、台本に顔を落とす。
「お前ら何イチャついてんだよ。紀川は余計な話しできるくらい余裕あるのか? みんなちゃんと声優として芝居してるのにお前だけすげえ普通じゃん」
「やかましいわ。お前はプロのモノマネやっとるだけやろボケ」
心の中で「申し訳ない」と言ったつもりだが、口に出た言葉は真逆だった。チームは静まり返り、八木沼はわざとらしくゆっくり立ち上がり僕を見る。
「口の利き方……気を付けろよ?」
言い過ぎた。きちんと謝ろう。流石にボケは言い過ぎた。それに他人と揉めるのは何よりも嫌いだ。これ以上焚き付けるのはダメだ。
「気を付けてどうなんねん。モノマネみたいな芝居で将来お金を貰うつもりなんか?」
「なんだよお前! お前なんかどこにでもいるような声じゃねえか!そんなお前が主役をやることがおかしいんだよ」
「声が全てならほとんどの声優は廃業しとるやろが。それにお前は芝居になってへんぞ」
顔に熱。久しぶりの感覚。最後にこれを感じたのは中学2年の時、野球部の三島から。顔面パンチ。喧嘩だ。喧嘩がはじまった。殴り合いの経験なんかほとんどない僕は完全にビビってしまったが、脳の奥ではじける火花が全身を麻痺させ一歩も引かせない。
「お前がやっとるのは用意した言葉を用意した音でタイミングよく出しとるだけやないか。僕たちは声で芝居やるから金貰えるやないか。下手くそなモノマネで誤魔化すなやボケ」
口汚い罵倒の裏で、今まで疑問になっていた部分が物凄いスピードで組み立てられていく。僕は声にこだわり過ぎていたのではないか?先生からは声について、腹から出ていない・滑舌が悪いとかの部分では言われる。しかし「声そのもの」のダメ出しを受けた人間はいない。
やはり「声」はそこまで関係ないのか?八木沼はクラスの男の中では良い声だ。だが冷静に聞けば「声優の○○さんに似ている」くらいの感想だ。同じく声の良い舞野、柳はどうだ?誰かのモノマネに感じたことがない。柳に関しては同じチームになりしっかりと聞くまで認識すらしていなかったが今は違う。柳は何かに気が付いている。あれは声が良いだけではない。
殴られた顔から走る痛みが心の痛みも呼び起こしていく。僕はこの状況は今まで避けていた。人にぶん殴られるまで踏み込もうとしてこなかった。本音は思うだけで出してこなかった。今も人と揉めたくないと思っている。意見を言ったら殴られるなんて勘弁して欲しい。それ以上に生まれている。エゴが生まれている。傍観者でいようとしていた自分自身が壊れたがっている。人として正しくなくて良いと思っている。約一年間、自分が押さえつけていた何かが飛び出そうとしている。僕が良いと思った芝居が良いのだ。だから八木沼のやり方や主張が気に入らない。
「八木沼は声だけで芝居になっとらんわ。見た目と同じで形だけや」
必要以上に挑発してしまったが言わずにはいられなかった。八木沼が飛びかかってきて僕を押し倒した。こんな状況になったことがない僕は無我夢中で両手を振り回すと八木沼の顔面に直撃する。なんとか立ち上がると口内に広がる鉄の味。それとは逆に心は晴れ晴れとしている。
「もうやめてよ!」
酒巻が泣きながら八木沼に抱き着いた。肩で大きく息をする八木沼の目には涙が溜まっている。手が当たったからそうなったのではない。多分、八木沼も僕と似ている。図星なのだ。あの声が自分の武器だと思っている。そしてそれ以外の武器がないことも認識している。だからこそあの一言で火が点いた。八木沼には申し訳ないが心からスッキリした。エゴをぶつけ合う、本音を叩きつける。衝突が起きればお互いにただでは済まない。猫の喧嘩と同じだ。だが、人間の場合はそこに上下でなく理解が生まれる。僕の一方的な思い込みだが間違いではないだろう。
「紀川、今日は帰りなよ。八木沼も熱くなりすぎ」
場を完全に止めたのは柳だった。何の感情も感じさせない表情、静かなトーンが放つ異質感。それが僕と八木沼を静めた。柳の言葉に従い荷物を纏めて帰る準備をする。鏡越しには真っ青になって俯いている河内。最年長でまとめ役を自覚しているからなのか、止められなかったことに責任を感じているのだろう。
八木沼を激怒させてしまったこと、河内を落ち込ませたこと、チームに混乱を呼び込んでしまったこと、その全てがどうでも良かった。そんなことよりも、自分の中の声を聞くことができたのが嬉しかった。そんな最低最悪なエゴの塊は将来こう呼ばれるだろう。即ち役者魂だ。
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