第13話 選ばれた未来と選ばれない未来

 3日後。キャスト発表の日がやってきた。教室で静かに待っている。いつもなら練習や雑談などで騒がしい教室が静まり返っている。直方が僕の隣に座り、緊張した面持ちで話しかけてきた。


「紀川もジョン狙いだよな? 恨みっこなしだからな?」

「なんで直方との勝負になってるんだよ。皆もいるし、別に落ちてもそれはそれで良いんじゃないの?」

「役をとらなきゃ…俺たちただのフリーターだろ?」

「少なくとも今は学生だよ。甘える気は無いけどうまく利用しないとな」

「なんだか…変わったな。最初に感じた卑屈さとかトゲが無くなった気がする」

「二十歳になるし多少はね」

「うわあ、俺、4月生まれだからもうすぐだ。ふむ…プレゼントの前借りとしてジョン役をもらってやらなくはないぞ?」

「お前は本当に気持ち悪いな」


 間垣先生が入ってきた。時計の進む音と衣擦れの音が支配する。その音は不安の扉をノックする訳でもなく通り過ぎていく。思えばこの学校に入ってからずっと不安にまとわりつかれて成長してきた。もちろん今も消えていない。1年にも満たない訓練で消えるはずがない。入学して即ダラけ、なんとかしようと奮起した。ここからどこに行くのか。どこに行くにしても変わり続けるしかない。進むも逃げるも自由だ。ただ、立ち止まって動けなくなるのはダメだ。どんな方向にでも進むことができている内は生きている。その根源は、渇望だ。渇望があれば必ず前に進める。渇望があるからまた立ち上がり掴み取ることができる。質量ある喜びが体内を駆け巡り、目から溢れそうになるのを耐えながらそう考えた。

 メインの女性、ジェニファー役は南だった。南は人目もはばからず号泣し、井波がその肩を抱く。


 ジョン 主役 冴えない三枚目 紀川修

 ジェニファー 主役 ジョンに惚れられているキャリアウーマン 南涼子

 ロイ ジョンの力になろうとする間抜けなイケメン 八木沼真也

 マリア ロイの妻 舞野紗英

 デイビッド ロイとマリアの息子 井波康隆

 エリー ジェニファーの姪 サリーと双子 戸田夏帆

 サリー エリーと双子 安田千歌

 セイル ジェニファーの友達 柳めぐみ

 守衛 ジョンの会社の守衛 河内泰


 佐倉、直方、多田、酒巻たちの名前は呼ばれなかった。間垣先生が再び口を開く。


「選ばれなかったやつらも頑張れ。選ばれたやつらが風邪とかで休んだらお前たちが入るし、レッスンで凄く良かったらキャスト変更も考えている。全員気を抜くなよ」


 今までは追い続けてばかりだった。悔しい気持ちだけでなく、嫉妬や憎悪も入り混ざった、ドロドロの感情で。その感情は、そのままだと目も当てられない邪悪な感情だ。仲間の成長を、成功を、ドス黒い思いも含めて見てきた。それが今から僕の背中に襲いかかる。


「まずはおめでとう。悔しいけど…諦めてねえからな…」


 直方がアニメのキャラ顔負けの言葉を真っ赤な目をしながら僕に言う。直方は僕を倒そうと、喰おうとしている。直方だけじゃない、選ばれなかった人すべてが僕を、僕らを狙う。プライベートは友達として過ごすだろう。しかしこの学校の中ではその関係ではない。入学当初は選ばれないことも照れや自信のなさで納得できる。しかし、自信が生まれ、矜持を持ち、立場を理解すればもう許せない。自分への怒りを推進力に標的を狙う人間魚雷と化す。


 メインキャストに選ばれた者が自主的に集まる。僕はあまり社交的ではないので、普段は話さない人が多い。

 安田千歌は見た目は七福神の恵比寿様に似ていて、自分の体型をネタに笑いを取りに行くいかにもな関西人。漫画やアニメなどの雑談はするが演技の話しとかはしたことがない。戸越真帆は金髪のツインテールがトレードマークでクラスの男に人気がある。声は子供みたいに可愛らしく、穏やかな性格が芝居にも出ている。そして胸が超絶デカい。僕の膝頭くらいある。つい胸を見てしまう。本当に申し訳ない。毎日心の中で謝りながらも見てしまうのがやめられずあまり話せない。


「忍の分まで…頑張るよ…」


 八木沼真也、僕よりも2歳年上。酒巻のニュー彼氏だ。GACKTに心酔していて、服装もそっちに寄せているが見た目は推して知るべし。オカメ面みたいな顔にワックスでガチガチのセンター分け。芝居は声優ぽさを最優先に考え、モノマネみたいな演技が多い。そして羨ましいと感じてしまうほどの自信過剰。身体を使う演技は苦手だが、声の演技はクラスの男の中で一番だ。


「…………」


 無言で頭を下げる柳めぐみ。入学しから一言も話したことがない。顔はフランス人形のように整ってはいるがいかにもアニメオタクな雰囲気で、腰まである長い髪はボサボサで手入れの形跡がない。地味なメガネをかけ、どれだけ暑くても長袖の服を着ていつも伏目がち。ただ、演技のスイッチが入るとその見た目や性格からは想像できない、感情の塊のような芝居をする。そして何より声が良かった。自然と頭に入ってきて「良い声」ってこんな声のことかと思える声だった。


 挨拶を適度に切り上げ、選ばれなかった皆の方を向くと負のオーラが漂っている。教室の空気に耐えられなくなった僕は教室を出て非常階段を上がる。この階段を上がる時はいつも違う気分だ。選ばれたからにはやらないとダメだ。やれないとダメなんだ。誰もいない喫煙スペースを通り抜け屋上に上がり、いつも通り柵に身体を預けて街を見下ろす。アフレコにはチームワークも大切だ。今回のチームでベストな形を作れるのかを考えるが答えがでない。とりあえず心を高めるために「なんでもできるはずだわ」と昔ハマっていた魔法少女プリティーサミーの歌詞を口ずさんだ。テンションがあがってしまい歌いながらくるりと反転すると、フードをすっぽりかぶり三角座りしている佐倉。発声練習。そう、これは発声練習だと言い聞かせ、元気よく声を掛けようとしたが様子が違う。


「どうしたんや? なんかあったんか?」

「大丈夫やから……涼子ちゃんが……役を取れたのが嬉しくて……」

「佐倉は……それでええんか?」

「私も……私も……頑張るよ。一緒に頑張ろね」

 佐倉と一緒に階段を降りる。いつもより足音が響いてしまうのを意識して抑えた。


 教室に入ると負のオーラが霧散していた。選ばれなかったクラスメイトが鬨の声をあげるように練習している。八木沼は酒巻と帰り、柳は隅でマフラーを編んでいる。舞野は積まれたマットの上で盛り上がっている教室を見ていた。そんな中、南と井波が皆と一緒に練習をしている。南は本当にジェニファー役が欲しかったのか、誰よりも生き生きしている。セリフを一つ読むたびに上手くなっていく。能力が異常に高い南が燃えている。舞野が南の演技じっと見た後に小声で演技をコピーしている。燃え上がる南が中心となり、全員のやる気が発火している。編み物に熱中しているように見える柳もチラチラと様子を見て、自分が出るシーンになると編み棒を台本に持ちかえるのもそういうことだ。

 練習している仲間が今すぐにでも僕を捉え、引きずり下ろそうとしている。しかし、そこには邪悪な思いはなかった。誰もが純粋に「存在したい」からこそ練習している。役をぶん取るのはその副産物だ。暗黒は純なる渇望により祈りに昇華した。だから僕も、真正面から戦いを挑む。

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