声優専門学校における爆裂する十代と駆け抜けた声春
ポンチャックマスター後藤
第1話 僕らの夢は死骸の上に
口元の少し下、出演する声優の身長に対して平均的な高さに合わせられたマイクが三本。上半分を覆う黒く細かい網目は鎖帷子にも見えるマイクは、声優と世界を繋ぐ門だ。
マイクの向こうには虚構を映し出すテレビモニター。未完成のアニメに人生と芝居をぶつけることで一つの世界が生まれる。目を瞑っていても声を当てられるほど見た映像。それを初めて見る新鮮さを持ちながら芝居を合わせる。
手元には汗が染み込んで黄ばんだ台本。ボロボロになるまで読み込み、余白を埋めつくす書き込みは演技プランや声を出すタイミング指示。どんな経文よりも尊い台本を頼りに不確かな世界を綱渡りで歩く。
ガラス張りで金魚鉢とも呼ばれる十畳程の録音ブース内にはプロの声優とプロを目指す声優の卵。ガラスは結界だ。録音ブースの中には素人は存在しない。たとえ実力が不足していても、声優専門学校生であっても、ここにいるということは「声のプロ」として認識される。外にはそんな声のプロに的確な指示を出すディレクターや音響スタッフ。
存在したい。ただただ存在したい。声優は単体では存在できない。アニメや洋画やイラストや写真があってはじめて存在できる。
大体の収録が終わり、今から録音するのはアニメのガヤ。決められた言葉でなく、喧騒やどよめきなど、シーンに合わせた声を自分で考えて出す。役目をほぼ終えた声優たちは多少和やかなムードだが、マイクの前に立つと室内の空気が「表現」に向けて収縮していく。
ディレクターが合図を出す直前、ブースが爆発するんじゃないかと思えるほど空気が張り詰める。緊張で心臓が口から飛び出すなんて嘘だと思っていた。しかし今、心臓をはじめ多くの臓器が飛び出しそうになっている。臓器だけじゃない。何より飛び出しそうなのはこの思いだ。
右から長く息を吸う音が聞こえる。横目で見ると、この道30年以上のベテランが、僕らと同じ目をして合図を待っている。この人も、ここに来たくて仕方なかったのだ。すぐ後ろに立つクラスメイトが小さく咳をする。彼もここに来たくて仕方なかったのだ。
アニメ収録なら3時間ほど。洋画なら6時間ほど。CMなら45分ほど。声優はそれ以外の時間はただのフリーターだ。毎日不安に怯え、収録後の打ち上げは「無職記念パーティー」と言われることもある。そしてまた選ばれるために、自分に向き合い、演技に向き合い、無限の訓練を続ける。
「なんだなんだ!?」
そう言おうと決めている。この言葉は誰が?何を思って?衝動的に?恣意的に?どんな声で?どんな体型の人が?どんな年齢の人が?その人は一人か?誰といる?距離は近い?遠い?何かが起こっているのを見て言ったか?気が付かないままに言ったか?仕事中か?職業は?家族は?
ありとあらゆる可能性を考え、2秒未満の一言に人生を懸ける。一切の比喩を含まない。文字通り人生を懸けて叩きつける。声優専門学校で学んできたことだけじゃない。僕が19年間をどのように生きて何を感じて来たかも含めて。
もしかしたらここまで考えなくて良いかもしれない。力を抜いて良いかもしれない。そんなの無理だ。夢の下にはおびただしい死骸が転がっていることを知ってしまった。
ディレクターがゆっくりと右手を挙げる、部屋中の空気がそれに応える。存在できる喜びが突風のように駆けていく。
僕も、ここに来たくて仕方なかったのだ。
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