第1章 入学~1年目

第2話 はじまりはゲーメスト、決め手は勢い

 ケチの付きはじめはゲーメストだ。


 1番上の兄はヤングマガジン、2番目の兄はファミ通、そして僕がゲーメストを買っていた。

 ヤングマガジンは最高だった。なぜなら乳首が書かれているからだ。思春期は乳首に勝てない。今はベッドに寝転がりゲーメストを広げている。そんな僕の目が釘付けになっていた。楽しみにしている脱衣麻雀のページや良い感じにエロい読者投稿のページじゃない。


 声優専門学校の体験説明会&特待生オーディションのページだ。


 僕は三兄弟の三男坊。勉強は中の下。彼女なんていたこともない。趣味は18時からテレビ大阪で放送されるアニメを見たり、兄の影響でギターウルフやミッシェルガンエレファントを聴く量産型高校3年生だ。

 そんな僕の友達も同じくボンクラ。しかし、彼らは現実を実践し就職に向かって進んでいる。僕はまだ就職はしたくない。大学に行く頭もない。そんな時に夢の世界に通じる門を発見してしまった。


 両親に進路を聞かれて声優専門学校のことを話すと予想通り爆笑。母親は笑いすぎて湯呑みを落とし、割れた湯呑みを見てさらに笑った。しかし、父親は真面目な顔で僕をじっと見る。


「なんで声優の学校なんかいきたいんや?」

「それは……」

「理由もないのにいきたいんか?」

「……ちっさい時、お父さんと一緒にテレビでデニーロのタクシードライバー見たやん。あの時、僕が「外人やのに日本語うまい!」って言ったら声優のこと教えてくれたやん。そこから…声優になりたかってん……」

「まあ……やりたいなら止めんけど絶対に途中で辞めるなよ」

「ええの?」

「学費もアホな私大の半分くらいやろ?将来売れたら倍にして返せよ」


 父親は僕が声優になれるなんて思っていない。それでも入学を認めてくれたのは本当にありがたい。


 デニーロがなんたらは完全に適当だった。小さい時から追い詰められると適当な言葉や行動で誤魔化してきた。父親はそれにも気が付いているだろう。そう思うと晩飯のカレーが溶けた鉛のようにも感じられる。


 僕が住んでいるのは大阪府堺市、JR阪和線鳳駅から自転車で30分、水たまりより汚いドブ川と古墳に支配された小さな街。目的も目標もなく、世界の真ん中は仁徳天皇陵だと信じて生きてきた。

 今日は今までとは違う場所に向かう。JR阪和線で天王寺駅に到着。ヒロタのシュークリームを通り過ぎ、南海そば近くの階段を降りて御堂筋線に乗り、なぜこんな何もない所を新幹線停車駅にしたのかを真剣に考えてしまう新大阪駅に向かう。


 「優待生選考オーディション」と書かれている看板がなければ通り過ぎてしまいそうな無個性なビル。それに負けない無個性な僕が緊張、吐き気、気恥ずかしさと肩を組み突入する。


「紀川…修です…」

「緊張してる? 大丈夫大丈夫! どんな声優さんが好きかな?」

「はい。あの、山路和弘さんとか…山寺宏一さんとか…樋浦勉さんとか…」

「なるほどなるほど~」


 スラっと身長が高く、清潔感のある七三ヘアー。青い上下を着た優男と適度な会話を適当に。舐められないように吹替えの声優の名前を出してみたが何の意味もなかった。間垣先生はあっちこっちで生徒に話しかけ、この後に行われる特待生オーディションで緊張している状態を解きほぐしていた。止まらぬ吐き気をこらえていると、邪悪な作り笑顔の男が話しかけてくる。


「さっき…山路さんとか山寺さん好きって言ってたよね…? 俺も…好きなんだよね」

「そうなん? …あ…あの、僕、紀川…修」

「俺は直方渡。なんかすごいよね。この教室だけでも50人位おるし…声優目指してる人ってこんなにいるんだな」


 全力の作り笑顔にラッセンのイルカが描かれたトレーナー。その上にはスーツ用のベストを着用し、下は黄色のスラックス。これから僕は壊滅的な服装の彼とせめぎ合う事になるのか。

 周りを見ると黒い服や謎の英語が書かれたTシャツの人間。どこで売ってるのか見当もつかない「I LOVE BEAR」と書かれたスウェット。女の子はびっくりするほどダサいオーバーオールや、妙にフリフリの服を着ている人が多い。本能が「ここは普通じゃない」と告げる。一旦空気を入れ替えなければ。クラクラしながら立ち上がり教室のドアを開けると柔らかい何かとぶつかり、反射的に謝罪の言葉が出た。ぶつかったのは長い髪の普通の服を来た女性。ただ、顔は美術の教科書に載るレベルの美しさだった。


「こちらこそごめんなさい。オーディション受けに来た人?」

「うん…あ、僕、紀川修」

「私は舞野紗英。よろしくね」


 舞野さんはタレントの乙葉に似ていてお姉さんオーラがある。彼女も入学志望者だろうか。


 

「それでは自己紹介をお願いします」


 前には審査委員、右は一面鏡張り、左は窓。窓の向こうでは隣のビルで働くオッサンが見える。長机、積まれたマット、椅子。声を出す。そのために来た。しかし声が出ない。舌の根元が喉に押し込まれているみたいになっている。


「き、紀川…紀川修です~!」

「緊張してる?思い切ってやろう!」

「は…はい!」


 目の前には子供の時に見ていたアニメに出演されていた声優が数人、そして関西ローカルだが、確実に声を聞いたことがある人がいる。考えている事と体がリンクしない。僕はここに何をしに来たのか。一時の心の迷いなのかもしれない。

 僕は小さな嘘を積み重ねてきた、やれバンドをやりたい。やれお笑いをやりたい。そして今度は声優だ。人生を真剣に考えてこなかったツケが今の状態を引き起こした。小さな嘘から大きな嘘まで呼吸をするように浮かんでくる。

 今後も嘘を吐き続けるのだろうか。だったらせめて楽しい嘘を吐こう。声優として、物語の世界で役を演じて嘘つきでいよう。今までの人生でずっとずっと続けてきた事なんて嘘を吐くことだけだ。


 真実の世界の空気を肺に溜め込む。世界を包む嘘を吐くため。


「紀川修です! ……声優になりたくて! ここに来ました! 声優になりたい理由は声優になりたいからです!」



 秋になり、高校の図書館で本を積み上げてプロレスリングを作り、本数百冊W☆ING式デスマッチを続けていたらオーディション結果が届いた。結果は入学費免除で、学費の100万円近くは支払う素直に喜べない結果。オーディションで知り合った直方に電話をすると同じ結果だった。その後は親に渡された100万円を震えながら銀行に持っていき手続き完了。僕は晴れて声優専門学校への入学が決まり、2年間を費やすことになった。

 そこから暇を見つけては体験説明会に行った。毎回、声の出し方、情感豊かな話し方、プロを目指す心構えなどを一線で活躍している方が指導してくれる。間垣先生からは業界の話を聞き、僕と同じく入学を決めた人と話す。入学が迫ってくると、親、親族、友人から言われる言葉がある。


「紀川はほんまに声優目指すの?」


「学校行けば声優なれるの?」


「声優になれなかったらどうするの?」


 言われても答えようがない。何も知らないからだ。何も知らない世界に飛び込む恐怖がどんどん大きくなってくる。高校の担任に至っては「今からでも就職や普通の学校への進学も間に合うぞ」と顔を合わせるたびに言ってくる。

 人生は80年程ある。18歳の瞬間は今しかない。将来、声優として飯を食っていく事ができるのか?声優を目指す日常には生活が横たわっている。顔を上げると空と夢。地面には震える自分自身。


 声優のレッスンを重ねたら僕は声優になれると信じるしかない。マイクがあって台本があってキラキラ輝く世界が待っている。

 弱気でヘラヘラしているだけの自分を捨てろ。世界はスーパースターを求めている。だったら心構えだけでもそうなるべきなんだ。好きなロックスター、ギターウルフを思い浮かべて心を水平に保つ。

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