第6話 僕以外が繋がる世界を眺めてる

 9月も半分近く終わり3日後が本番だ。今日は先輩と一緒に僕らが立つ舞台を作る。黒い幕を吊るし、出入りする袖と言われる場所を作る。大学時代は演劇に傾倒してきた先輩と一緒に舞台を設営していた。


「袖は大切なんだよ。僕は鳥居みたいな物だと思ってる」


 幕の後ろでは緊張で震えたり自分を高める為に多くの儀式をする。そして袖から一歩出て舞台に立つと世界が変わり、舞台の神様が導くままに人が役に変わるという。


 できあがった舞台に立つと確かに景色が違う。今までの人生と全く違う現実が目の前に広がっている。ぼんやりと教室全体を見ていると佐倉が隣に立つ。


「本番も好きだけど、皆と一緒に作品を作っている時が凄く好き」

「揉めることも多いけどね」


 佐倉は僕の肩を軽く押し、隣に立って目を閉じる。舞台の神様に挨拶でもするように声にならない声を出す。徐々に声に芯を入れ、輪郭を作り声を飛ばす。ロングトーン、声を長く出すアップの一つ。練習前には「今日も良い声が出ますように」と祈りながら行い、一日の終わりに「ありがとうございました」と思いながら行う。この声は、今後、何人に聞いてもらえるのか。誰の耳に届くのか。床からたった15cm上の舞台にいるだけなのに、世界を見渡している気持ちになる。


「みんなでご飯行こ~! 決起集会だ~!」


 酒巻がクラスの皆を集める。最近の酒巻は首筋や大きく空いた胸元に皮膚病みたいなアザを作っている。あれはキスマークだ。僕は詳しいんだ。

 近頃、クラスメイト達は同じチームの女の子と恋愛関係になったりしている。入学してすぐに感じたが、声優専門学校は男女の距離が近い。もちろん男女で掛け合いのセリフの練習やレッスン内での発表も行う。一緒にいる時間が長くなれば必然的にそう言う関係にもなるだろう。


「恋愛は沢山やれ。人間として深みがでる。あと、犯罪以外はだいたいやれ」


 間垣先生もよく言っていた。その言葉を拡大解釈したのか、酒巻は年下の男をはべらせ、多田は酒巻ショック以後多くの女性に必要以上にアピールし、直方は舞野の前で格好を付けた言動をするようになり、十代後半のボンクラリビドーパワーは最高潮にマキシマム。おおよそ恋愛に縁が無かった人間がアピールをはじめている。僕は河川敷での一件以来、帰る前などに佐倉を探すようになっていた。しかし今は目の前にある朗読発表が大切だ。恋愛を楽しめる余裕もない。集まりに行こうか迷いながら足を左右に広げて柔軟体操をしていると直方が背中を押して手伝ってくれた。


「なあ紀川、紗英ちゃんに告白したら上手くいくと思う?」

「お前が!?」


 つい大きな声が出てしまった。直方は右手の人差し指を分厚い唇の前に持ってきて大げさに声を落とせとアピールする。前方を見ると舞野が僕と同じように開脚し、柔軟体操をしている。体を前に倒す時、鏡にTシャツ中が映る。思わず見入ってしまい「そりゃ好きにもなるな」と呟いた。

 舞野のどこが良いとかを新興宗教にハマった人間のように早口で語る。舞野はクラスでは群を抜いて綺麗だ。その舞野にお母さんが買ってきたような服を着ている直方がどうにかしようとしているのが滑稽だった。恋愛に慣れていないから自分に都合の良い想像をしてしまっているのだろう。現に今、舞野と結婚したら犬か猫どっちを飼えば良いかと聞かれた。


「俺、この朗読発表会終わったら告白しようと思う」

「誰かを好きになるのはわかるけど……余りにも無茶じゃない?僕が告白する方が成功する率は多少高い気がするけど」

「ふむぅ? ……お前とはそういう所もライバル……か?」


 完全に入り込んでいる。誰もが人生と言う名前のドラマの主役だ。僕もショボイなりに自分の人生の主役をやっている。しかし直方のこの入り方はマズイ。何よりいちいち腹が立つ。


「あんたら、なに厳しい顔して胸見てんの?」

「大きさは?」

「F」

「紀川! デリカシー無いのか!」


 舞野がケラケラ笑いながらいつものマットに向かい台本を広げる。直方は嫌疑を解こうと舞野に弁解しているが一切取り合ってもらえない。


「ほら、行くよ~!」

 クラスメイトを引き連れた酒巻が教室に残っているメンツに声を掛ける。僕もいそいそと着替え、外に出る準備をする。


「舞野は来ないの?」

「行かない。ほら、みんな行っちゃうわよ」

「この誤解は解くから! また明日ね!」


 直方に押し出されるように教室を出て、流れで付いていくことになった。直方や多田が顕著だが、失敗に飛び込もうとしている。失敗を繰り返すことで多くを学び成長できる。しかしそこには痛みが付き物だ。僕はその痛みを恐れている。痛みに耐えられるかわからず、痛みを避ける行動を繰り返している。

 彼らとの差を感じている僕とは逆に、楽しそうな南が違うチームの井波康隆と話しているのが目に入った。井波は男性アイドルのようにキラキラした雰囲気で同じ年齢とは思えない程の少年感、しかし趣味は風俗に行くこと。南も井波も背が低く、中学生がキャッキャしている様に見える。直方が舞野の魅力ベスト5を語るのを聞き流し佐倉に話しかけた。


「南と井波、仲良いね」

「知らないの? 2人は付き合ってるの。涼子ちゃんが一目惚れしたんだって。内緒だよ」


 僕の知らない所で世界は変わっていく。世界を変えられるのは常に変革を求める勇気ある人間だ。


「佐倉は好きな人とか……苦手って言ってたよね」

「うん。いないよ」


 瞬間耳まで赤くなった。これはいる反応だ。相手は僕ではない誰かだろう。


「いないよ」


 はにかみながら再度言い、逃げるように酒巻の方に駆け出して行った。皆がどこかで青春をしている。同じ夢と目的を持つ人間、やっと自分を深く理解してくれる人達と出会うことで声優志望者は変化を続ける。


 カラオケのパーティールームに20人程の声優志望者が入る。机にお菓子や飲み物が並べられ、皆が座ったところで酒巻が開始を告げるスピーチ。「まだちゃんと喋ったことない人もいるから良い感じに交流してチームワークを深めよう」をうにゃ~とかふにゅ~とかを挟みながら話すさまにめまいを覚えた。

 適当な食べ物やジュースに手を出しながら、あっちこっち盛り上がっている。朗読発表は目と鼻の先、疲れや緊張も高まっているがこんな充実した夏休みは無かった。毎日学校で自主練習。そしてバイト。僕はそれだけだったが、周りは恋愛なども楽しんでいる。繰り返される日常の中で、少しの勇気や思いで変質して分岐が作られる。僕はまだ、その分岐を感じられてない。


「でもさ~! みんななんで声優目指したの~?」


 それまでいくつかの島に分かれていた会話が酒巻の一言で収束した。やはりこの話題になる。なぜ声優になりたいのか?舞野に対して講釈は垂れたが自分の中で確立しきれていない。「成りたい」の思いを支える理由。それがまだわからない。しかし、それは周りも同じだろう。アニメや映画、ゲームが好きで声優になる。そんな思いに理由が作られるのはもう少し後になってからに違いない。


「忍は普通にアニメとか好きで…声優に成りたかったけど…高校卒業した時に目指すのが怖くてさ…大学にいた時…声優になりたいって言ってた仲の良い子が病気で死んじゃって…その子の夢を叶えるとかじゃないけど…人生って一回しか無いと思ったら…就活もしないで願書出しちゃってた」


「私は…ずっと演劇部だったんだけど、顧問の先生に声が面白いから声優やっても良いかもって言われてさ…それで声優のこと調べてたら…こんな世界あったんだ!って思って…」


「色々あったことは話したでしょ? 今も……色々思い出したり、精神的に不安定になって衝動的に死にたくなる瞬間がある。でも…それはいつでもできる。僕は、やりたいことを自分で選んで、自分で進みたいんだ。決められてきた人生から脱却したいんだ」


 明確な理由は存在した。この部分でも周りとの差を実感し、部屋から飛び出したくなる。「声優になりたいからなりたい」僕はそのくらいの理由しかない。能力的な部分で負けるのは耐えられる。思いの部分で負けると耐えられない。冷めきったフライドポテトを折りながら皆の話を聞いていると脂汗が流れてくる。

 順番が直方に回ると、皆が話し始めてから閉じていた目を開き、涙を堪えながら口を開く。


「入学して最初の自己紹介の時にさ…昔からいじめられてきたって言ったでしょ?恥ずかしいんだけど、その時は本当にアニメとか漫画に逃げててさ。それで、いつかこの中に入りたいなって思っていたんだ。皆みたいに格好良い理由じゃないけど…格好悪くても俺は声優になりたい。救ってくれた世界に、恩返しをしたいんだ」


 皆の思いが僕を追い詰めていく。誰も何も悪くない。悪いのは何もない僕だ。身近な直方の言葉が僕の身体を切り刻む。

 次は佐倉。その次は僕。言葉が何も浮かばない。少しくらいの理由があるはずだ。頭をフル回転させて考える。


「私は小さいころからお芝居が好きで…ずっとずっとお芝居したいって思ってさ。声優さんって70歳でも80歳でも、声が出る限りはお芝居できるから声優を目指したの」


 皆が真面目な顔で佐倉を見る。照れくさそうにニコニコ笑う佐倉の雰囲気が皆に伝わり、場が熱を取り戻す。そして温もりを保ったままの視線が僕に注がれる。


「僕は……人に……見てもらいたい。僕を……」


 部屋の緊張感が弛緩していくのを感じる。「はあ?」と声が出そうな顔をしているクラスメイトが多数。そりゃそうだ。僕にはまだコアが、信念が、思いがない。僕の答えには誰も触れず、そのまま次の人が理由を話し始める。全員が話し終えると心の距離が近くなったのを感じ、僕だけは遠い所から眺めていた。

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