第7話 バトルオブ朗読

 本番当日、学校に到着すると荷物を置いて昨日作られた舞台に立つ。ここに来たからにはやらないといけない。高校生のころならやりたくないことは適当な理由を付けて逃げることもできた。しかし、この場所ではそうもいかない。

 会場のセッティング、リハーサル、昼休憩、全てが流れるように進んでいく。何かに似ていると思ったら葬式だ。悲しむ暇もなく、やることが山積みになって四十九日を過ぎる頃には落ち着いてあまり思い出せなくなるが、たまに去来し動けなくなる。そんな気持ちになるのだろうか。


 30分もかからない朗読に2ヶ月かけた。演劇や芝居を知らない僕でも分かる非効率。その非効率の中には山ほどの不条理があり、その不条理が僕の中の条理を埋めてきた。他人の意見を聞く、他人の演技を見る、他人の心を考える。


 僕は僕の世界で18年間生きてきた。その中で綻びや間違いもあったが自分だけの世界なので間違っていようが気が付かなかった。思えば舞野が周りと揉めた所からがスタートだ。人間は、声優は、1人では生きていけない。1人で生きるのは舗装されていない道を歩くことと同じだ。迷うし判断も間違える。そこに人との繋がりや関わりを流し込んで真っ平らにする。真っ平らにしてから一歩踏み出す。それを数人で突破する。ステージを突破する。思いは無いが歩かねばならない。足の裏がぐしゃぐしゃになっても歩くしかない。


 発表前に順番の抽選が行われる。午前クラスと午後クラス合わせて8チーム。抽選には多田が行った。「後の方なら何かあった時は対策も立てられる!」そう意気込んでいたがトップバッターを引いてきて、緊張で固まっている。直方と河内はスクワットをやることで体を温め、舞野は無表情で爪をいじり、南、佐倉、酒巻はお互いに小さく声を出し合い調子を確認している。そして僕は冷静を装って震えている。


 数分後に今までの練習の成果が一瞬で判断される。ことあるごとに酒巻が「頑張ったんだから大丈夫!」と皆に声を掛ける。お題目のように「頑張ろう」と言い合ってきた。長期に渡ってチームで何かをするなんて、部活動もろくにしてこなかった僕にははじめての経験だった。身体はいくらほぐしても硬いままだ。そんな僕を見かねたのか佐倉が話しかけてきた


「紀川君…大丈夫? 緊張してるみたいだけど…」

「大丈夫だよ。頑張ってきたしね」

「紀川君、舞台に立つの初めてだよね。私も緊張したな…でも、その緊張がずっと私を支えてくれてる…舞台ってやったことしか出来ないけど、紀川君も頑張ったし大丈夫だよ。私は紀川君が頑張ったの見てきたから」


 ドアが開き間垣先生が入ってきた。関節一つ一つを意識しながら立ち上がり、強く背伸びをすると耳鳴りと同時に世界が開く音がする。


「よし、はじまるぞ。金を取って見せる舞台じゃないし、客も在校生だけだからリラックスしてやんな」


 深い息を一つ。廊下はいつもより長く、曲がりくねっているように感じる。何をやるのかわからなくなる。僕は誰なのか曖昧になる。声優として役と同化し物語になる。これは僕の物語だ。


「これより、午後クラスAチームによる発表を行います」


 照明が静かに落ち、世界が闇に包まれる。今までの頑張りや一緒にやってきた仲間を頼りに舞台に立つ。照明、目の前、観客。80名程度、先輩や講師。光るステージに漆黒の客席が押し寄せてくる。喉が乾く。胸が高鳴る。脳が焼ける。


「寒い冬が北方から、狐の親子のすんでいる森へもやって来ました」


 舞野の声。はじまっている。逃げられない。僕らは表現をするために立っている。だから表現をしなければならない。思いがないとか言ってられない。皆の物語に僕が加わり、僕の物語を皆に届ける。届くのか?半年に満たない訓練。それをやってきただけだ。誰よりもやってきたなんて言えない。こんなことになるならもっと必死にやっておけば良かった。失敗しても良いと皆が言う。しかし、舞台の上はそんな優しい世界ではなかった。そんな軽い気持ちで立てる場所じゃなかった。

 表現に集中しなければならないのにこんなにも余計なことを考えてしまっている。そろそろ僕が話すパートだ。練習してきたことをやる。それで良い。佐倉もそう言ってくれた。しかし、それだけじゃダメだ。上手くても、それだけではダメな世界で僕は上手くもない。だったらどうすれば良い。思いを、思いをぶつける。声優を目指して、表現者を目指してここに来たのなら、僕にもあるはずだ。何がやりたい?何をやりたい?何をして欲しい?僕らは一人では存在できない。僕を差し出して、そして僕を貰う。そうだ。皆の目に触れるため、僕は僕を差し出したい。僕は、誰かに見てほしくてここに来た。

 まだ午前中の新大阪、周りのビルでは多くの人が働いているし周りの学校では多くの人が勉強をしている。僕はこの部屋で戦っている。


「すると帽子屋さんは、おやおやと思いました。狐の手です。狐の手が手袋をくれと言うのです。これはきっと木の葉はで買いに来たんだなと思いました。そこで、『先にお金を下さい』と言いました…」


 帽子屋は何を考えている?どう思った?狐の手だ。この帽子屋は普段だったら狐だ!と思ったはずだ。でもこんな寒い日に小狐が買いに来たんだ。そりゃ優しくもなるだろう。何を考えている?何を伝えようとしている?


 意識はどこまでも鋭敏で、窓の外にはどこかの会社のホワイトボードが目に入る。この教室の天井は意外と汚れていて、僕らを見に来ている先輩の服装もイマイチだ。

 舞野の声がまた聞こえてきた。もう終わる。魔法が解けてつまらない声優志望者に戻ってしまう。存在するために、僕はここに来た。僕は、全てをさらけだす。


 舞台裏に戻ると鼻をすする音が聞こえる。南と佐倉が目を真っ赤にしながら健闘を称え合っている。その奥では号泣している酒巻を舞野がめんどくさそうに抱きとめて頭を撫でている。多田は皆に背中を向けて座り込み、その肩は小さく震えていた。


 教室を出るといつもの廊下が広がっている。一歩進むごとに硬い音が響く。非常階段に繋がるドアを開けると鈍い音。喫煙スペースには間垣先生や先輩がいた。


「15分後に違うチームがスタートするからそれまでゆっくり浸っときな」


 曖昧な笑顔を浮かべて階段を上がる。喫煙スペースからは感想を話す声が聞こえる。人の反応を気にして生きてきた僕が聞く気にならない。多分、出し切れたからだろう。本当に全力で立ち向かって出し切って、そして届いてくれたのならどう思ってくれても良い。


 蝉の声が残る風、粉砕したくなるほど輝く太陽。存在を確認し合ったクラスメイト。屋上に着くと直方と河内がいつもの調子で話しかけてきた。自然と右手を差し出し握手する。彼らの中で、僕は生まれたのだろうか。

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