第8話 鎖をぶち切る覚悟を決めろ
全チーム発表後に無記名の投票が行われ、優秀賞が決められた。結果、僕らは最下位。完全な敗北。舞野や南などの実力者もいたがこの結果。総評は「普通」それだけだった。心の閂が外れ座り込んでしまった。そして普通が持つ弱さを理解した。
「普通にやるのは今じゃなくても良かった。もっと若さや思いが溢れる発表をすれば結果は違っただろう」
それが先生からの寸評だ。他のチームは創意工夫をしていた。衣装をあわせて演劇調に。思い切りアニメぽく。セリフを増やすなど、どのチームも「表現」をしていた。僕らは単純に朗読をした。破滅的な失敗はしなかったが、人の心の表面を撫でることしかできなかった。
普通。
普通は評価されない。僕は普通で周りも普通だが、僕のダメな所は普通を正しいと、普通であれと考えている所だ。そして普通に実力がない。
10月になれば僕は19歳になる。子供の時は10代最後を声優専門学校で過ごすなんて考えてもいなかった。もしかしたら結婚しているかもしれないとか考えていた。そんな普通を目指していた僕は異形に憧れはじめている。
舞野は他人の気持ちを考えられないし、直方はアニメか漫画の主人公みたいな振る舞いをする松尾伴内激似の男だ。多田は常にコメディリリーフを演じているチンシンザン激似のオタク。酒巻はロリータ性欲モンスター。河内は元々殺意の波動に目覚めかけていたし南は演劇オバケ。クラスを見回すと異形が目につく。普通の人間は視界にも入らないし名前も覚えられない。そして僕はその中の1人だ。
朗読が終わって僕は練習のやり方を変えた。ただやるだけではなく、講師やクラスメイトの意見に自分の考えを混ぜて噛み砕く。今までは周りを見下していたからできなかった。初めての舞台は僕に多くの気付きと足りなさを教えてくれた。クラスメイトの良いところを盗み、テレビCMなどの聞こえてくるナレーション、映画の吹き替えからも盗む。
燃え上がっている僕を冷ますのはクラス内に吹き荒れる恋愛の嵐。あっちこっちでボンクラがボンクラと付き合い、不器用に愛を語り合う。南と井波の2人はナミナミコンビと呼ばれて、恋愛の象徴になっている。
【専門学校に入れば何かが変わるかもしれない】
そう信じた人はどんどん変わっていく。男はKOFの八神庵みたいなズボンやマトリックスの主役が着ているコートを買って間違った方向に突っ走る。女の子は舞野に服の流行りを聞いたり、酒巻と梅田などに買い物に出かけていた。誰もが変わろうとしている。形からでも変わろうとしている。僕は恋愛をやる余裕は無い。このままでは差は開くばかりだ。レッスンをやるごとに入学当初の自分を恨みたくなる。
「また怖い顔してるよ」
鏡を見つめながら心の沼をかき回していたら佐倉に話しかけられた。
「もっと頑張んなきゃなって思っただけだよ」
「紀川君頑張ってるよ」
「頑張ってもできてないってこと?」
言葉が出た時にはもう遅い。佐倉は困ったような笑顔をつくり、早足で教室を出ていく。入学当初、佐倉と僕は似ていると思っていた。お互いに普通から抜け出せないからだ。しかし佐倉には声優になるための確固とした意思や理由がある。
入学してからの生は偶然だ。島田のように辞めた人間。学校に入ることができなかった人間もいる。だからやるしかない。普通を超えて、心も体も表現者に近づける。そのために今日もセリフを読み続ける。今日は仕事で遠くに行く男と気丈に見送る女の掛け合いセリフの男パートを練習している。
「あんた、ちょっと良くなってるわね。私も良い感じでできたわよ」
積まれたマットに座って僕の練習を眺めていた舞野が珍しく声を掛けてきた。何を言っているかわからず困っていると更に言葉を続けた。
「私が相手役のセリフを頭の中でやってたの。声に出してやってみる?」
今までなら適当な理由を付けて断っていたが、勇気を出してやってみることにした。舞野がマットから降りて背伸びをする。レッスン後に舞野と組んで練習をやるのははじめてだ。レッスンで組んだ時は「舞野スゲー」と思っている内に発表が終わる。
「…本当に行くの?」
「ああ…行くよ…寂しい思いをさせるけど…ごめんね」
「謝らないで。大丈夫よ。こう見えて私は結構強いのよ?転勤先で違う女と仲良くなったら許さないんだから」
「そんな事あるはず無いだろ!?たく…もうすぐ離れ離れになるのにどうして喧嘩なんかしなきゃなんねーんだよ」
「……寂しいからに…決まってるじゃない」
レッスンでやった時と全く違う。言葉が相手に届いている。舞野のセリフが僕の心を引っ張り、その役に適した心を作ってくれる。高まりすぎて台本と違うセリフになる。舞野は戸惑わずそれを受け止め、筋道から逸れない芝居を僕に返す。芝居における間が自然と生まれる。頭の中で考えていた間とは全く違うが、自然と心地良い間が生まれる。身体が感じる緊張感も今までと違う。数分でセリフは終わり、感じた思いを舞野に伝えると意外な答えが返ってきた。
「紀川に演じようって気持ちが薄いからじゃない?」
「それはダメなことじゃないの?」
「演技なんだから多少やった方が良いわよ。でも、それが大きすぎるとただ自分のやりたいことをやるだけになるでしょ? 相手がいるんだから相手に心からの言葉かければ良いのよ」
「僕は良くなってるの?」
「悪くは無いんじゃない? だって私がやりやすいんだもん。じゃあ帰ろっと。また明日ね」
舞野の言葉を何度も繰り返す。まだ頭の中が熱い。
「凄かったね。異様な空間が出来上がってたよ」
「やっぱ舞野は上手いですね」
「紀川君も良かったよ。生活感が滲み出ててリアルだった。レッスンとは何か違ってた」
流れる血に別の何かが混ざる。自分の体に他人が入り込む感覚。それは違和感以上に安心があった。
「紗英ちゃんと…よろしくやってたじゃん」
直方が完全に入りきったテンションで話しかけてきた。昨日やっていたアニメで「よろしくやってるじゃない」って言葉が出てきた。即、自分に落とし込むフレキシブルさは凄い。そして僕に対して超絶に嫉妬している。
「付き合ってるからね」
「ふむ? 面白い冗談だな…ま、俺はついに紗英ちゃんに告白するが?」
「自殺じゃないか」
「いけないよ直方君」
河内と僕が説得を開始する。直方は「やってみないとわからない」を連発するがこの結末だけは僕にも見える。告白を決めたのは今日のレッスンで自分の番が終わった時に拍手してくれていたからと言う。人の発表が終わった後のテンプレ行動にとんでもないストーリーを巻き付けてしまっている。直方が顕著だが、みんな行動にストーリーを付けすぎる。多田は挨拶されただけで「俺に気がある!」と思ってしまうタイプだ。最近は小技を覚え「俺はマッサージがうまい!」と言いまわり、なんとかクラスの女に近づき触れようとしていた。さっきも酒巻にマッサージを持ちかけてドン引きされていたが全く気がついていない。鈍感さは宝かもしれない。直方の「どれだけ舞野が自分を思っているか」を丁寧に否定し続けていると佐倉が近づいてきた。
「さっきの練習、すごく良かったよ。…紗英ちゃんと仲良いね」
「付き合ってるからな」
「そうなの…?」
「紀川! 面白くない冗談はやめろと言っている。巴ちゃんも聞いてくれ。紗英ちゃんに告白するつもりなのだが…どう思う?」
「え!? なんで!?」
佐倉は自分の心の引き出しをひっくり返し、傷つけないで無理と伝える言葉を探している。これだけ気を遣うってことは佐倉は直方の事が好きなのかもしれない。考えたら直方と喋っている時によく近づいてくる。直方は女の気持ちがわかってない。こんな時、敏感に反応できる者が恋愛強者と言われるのだろう。直方は鈍感力を活かし、舞野の良さを早口言葉の練習と同じスピードで語る。
「だから俺は紗英ちゃんを必ず幸せにできると思うんだ。俺たち、結構お似合いのカップルになると思わない?あと…紗英ちゃんも僕のことが好きだったらどうしたら良いかな?」
何も聞こえない。何も聞かせてくれない。僕らは壊れかけたラジオのように佇んでいる。壊れ過ぎた直方が教室を出ていくのを見て僕と佐倉は虚無を感じていた。
「どうにもならないだろうな」
「うん…でも…少しは見習わなきゃって思ったよ…」
考えてみたらあと2ヶ月と少しでクリスマスだ。恋人がいる人間は楽しく羨ましい一日を過ごすのだろうか。その点でも差が広がりつつある。
「佐倉は好きな人できた?」
「…内緒」
多分、佐倉もそんな時間を誰かと過ごすのだろう。
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