第9話 誕生日は鵺と出会い腹を殴られる(声優専門学校内で)

 10月に入り、誕生日が訪れた。本日、人生に19本目の矢が刺さる。入学する前には「ここに入って半年もすれば良い声になって将来も若干光り輝く」と考えていたが、全くの見当違いだった。学校と協力関係にある制作会社からの仕事は二年生や舞野、南などの上手い人が取っていく。僕は相変わらず中の下ほどの能力で、大和川を漂う藻のごとく腐るにまかせて生きている。


 今日は対象を意識するレッスンだ。僕達は絵に合わせて芝居をする。普通に声を出していては距離感なんて出ない。だから対象に声を飛ばす練習をする。今までは向かい合って声を掛け合う練習だったが今回からは対象が3人に増えて後ろ向きに座る。

 最初に挑戦したのは僕だった。いつもは4~8番目位の「やり方は多少見えているけど方法論とか定まってないから失敗しても恥ずかしくないゾーン」で挑戦をしていた。今日はたまたま講師の前に座っていたら「あの位置に立って」と言われるがままに移動してスタートしてしまった。最初だから適当にやってお茶を濁すか?いや、今日は誕生日。殺人以外全て合法の日だ。これは新しい自分になるために、声優の神様がプレゼントしてくれた機会だと信じて発表の場に向かう。


 僕から5mほど離れた椅子に座るは酒巻、佐倉とあと一人。なんて声をかければ良いのだろうか。人と話す時、一番伝わりやすいのは「何かをしてほしい」の欲求だろう。「金をくれ!権力をくれ!」はなにか違う。佐倉の束ねた髪が揺れている。呼ばれたような気がして何も考えずに声を出した。


「僕と付き合ってください!」


 教室が静まり返る。これはやってしまいましたか?なんでこの言葉をチョイスしてしまったんだ。路線を変えるか?いや、もう突き進んでしまえ。普通からの脱却のだ。


「君が好きだ! ずっと好きだった! 絶対に幸せにするから! だから僕と! 僕と付き合ってください!」


 その思いとは裏腹に3分ほど声を出し続けたが佐倉は手を上げなかった。講師が切り上げ、聞き手に感想を聞いていく。


「なんだろう…私じゃない感じで…」

「酒巻は」

「うう~! 私も同じです~! でもなんかドキドキしました~!」

「佐倉は」

「……よくわかんなかったです」


 やりたいことはできた。しかし、この行為はこの後の私利私欲ワンダーゾーンに導く蜘蛛の糸だった。


「君が好きだ! 好きだ! 好きだ!」

「あなたのことが好きです!」


 ワンダーゾーン、それは混沌の果てにあるワンダーなゾーン。板張りで壁に鏡が張り巡らされた50畳ほどの部屋は極限愛(ラブ)空間になっていた。聞く側の3人に全員が愛の言葉を囀る。そりゃ僕は佐倉に愛の言葉を伝えた。それが1番効果的だと感じたからだ。それがこんな私利私欲に使われるとは。

 その後も告白パーティーは続き、物凄いテンションを維持したままレッスンは終わった。


「絶対に忍ちゃんに届いてたわ! 恥ずかしくて手が上げられなかったんや!」

「多田君、もう良いじゃない」

「照れてたんやろなあ!」


 ナチュラルボーン普通逸脱の多田が羨ましい。この自信、個性、向かっている方向はなんであれ、僕が足りていない部分を持っている。気分転換で教室から出ようとすると、戻ってきた佐倉と鉢合わせた。


「…私に言ってくれてたよね? 恥ずかしくて…手を挙げられなかったの」


 そんなことはあった。皆の前で答えは出なかったが、やったことは間違えていなかった。この調子で人の心に言葉を伝えられるように進もう。


「別に良いよ。言葉は適当に選んだんだけど、対象を意識することが少し掴めた気がする」

「…そっか」


 佐倉が少し不機嫌そうに帰り準備をしていたのは恥ずかしさに負けて手をあげなかったことを気にしているからだろう。その気持ちは僕もわかる。


 人の発表を見ていると「そんな方法があったのか」と感じる事が多い。僕の発表を見たクラスメイトは「そんな告白方法があったのか」と勘違いしたに違いない。中学高校では周りと住むべき世界が違うが故に恋愛に恵まれなかった人が、同じ目的と夢を持った人と語らい団結する。

 告白合戦の空気を残すピンクな教室を出て屋上に逃げる。階段をカンカンと響かせ登りきると珍しく舞野がいた。「ふぁあ」とあくびと声が混ざった音で僕を出迎える。


「今日良かったじゃない。今までと違ったわよ。あれだけできるんだったらいつもやれば良いのに」


 そう言った舞野は子供のようにケラケラと笑う。


「誰に声掛けてたの? 佐倉かなって感じたんだけど?」

「恥ずかしくて手を上げられなかったらしいよ」


 目を細めて意地悪そうな顔で僕を見つめる。今は話しやすいが、レッスン時は凄かった。講師がスタートと言った後ずっと黙っていた。教室が張り詰め、空気が一本の線に撚り合わされていく緊張感。何か声を出してくれと皆が思った瞬間、舞野は口を開いた。


「殺すわよ」

「びゃあああああ!!」


 チン・シンザンKOボイスにも似た声が舞野の能力をファンタジックに映し出した。


「思いが入った声は届くのよ」


 舞野は意外と子供っぽい。容姿は完成されていて年長者にも見えるが、表情が小さな子供のように変わっていく。直方があれだけハマるのも無理はない。のんびりと話を続けていると、世界を不幸に包み込む笑顔が階段を上がってきた。


「ああ。紗英ちゃんもいたんだ」


 舞野の表情が固まる。屋上の空気が凍てつく。まるで舞野の発表時のように。


「恋って…良いよね」


 今か?直方、まさか今なのか?僕もいる。なぜ公開処刑を見せつけられなければいけないんだ。今日は僕の誕生日だぞ。


「紗英ちゃん。恋、してる?」

「…いえ」


 小さな声で返す舞野、ゆっくりと階段を上がる直方。


「俺は恋してるよ。紗英ちゃんに」

「無理」


 日本、ユーラシア大陸、アメリカ大陸、オーストラリア、全ての地域の無理が声優専門学校に集まるのを目撃した。


「ふむ…? 照れてるのかな? アハハ、わかってるよ? 不安なんだろ?」

「ちょっと勘弁してよ。紀川、あいつと友達ならなんか言ってあげて!」

「友達として言う。この永遠の誓いを見ていて欲しい」


 邪悪だ。直方が鎌倉時代に存在していたならば鵺と呼ばれていただろう。逃げようにも階段は直方で塞がれている。周りは壁。柵の外は死。死は救い。


「紗英ちゃん? 俺が幸せに…してあげるよ?」

 直方の表情は曇るがすぐに笑顔(世界を呪う)に戻り、ケミカルウォッシュのジーンズに右手を入れ(親指は出している)プロフィール写真の時に学んだ半身の姿勢(モデル立ち)で愛の言葉を紡ぎ続ける。本当に辛い。


「あー! もう! こういう事だから無理なの!」


 舞野は眉間にY字が見えるほどのシワを寄せ、一直線に僕に向かってくる。「殺される」と感じ反射的に目を瞑る。それと同時に唇に暖かく柔らかい物質が当たった。瞬間、殺意が僕を貫き、数秒後に殺意の発生源は奇声をあげ階段をダッシュで下りていく。両手で舞野の肩を持ち、ゆっくりと僕から離す。何か視線を感じる。邪悪は霧散したはずだ。まさか残留思念?佐倉だ。

 佐倉の猫みたいにクリクリした目が一段と大きくなり、小さな口は北斎が書く富士山のように大きく開いている。


「助かったわ…あら。あらららら……佐倉、違うの。直方が告白してきたの」

「なんで直方君が告白したら紀川君にキスするの?」

「危険が迫っていたのよ」


 舞野の言葉が終わる前に、佐倉は直方を上回るスピードで階段を降りていった。僕は唇に残った感覚が脳に残り、世界が質の悪いパラパラ漫画みたいにコマ落ちして見える。


「あんたに悪いことしたわね。恋人の前でこんなことになっちゃうなんて」

「恋人ってどういうこと?」

「……直方と全く逆ね」


 舞野はため息をついてから階段を降りていく。僕は柵に体を預け大きく息を吐く、初めてを奪われてしまった。舞野は今まで見てきた人間で上位ランカーの美女なので喜ぶべきかもしれない。でもこんな形で奪われるなんて。今後の人生で無理に口付けを迫るのは止めよう。男の僕がこれだけダメージを食らったのだから女性なら大変なことになるだろう。

 縋り付くように柵に体を預け、なんとなく唇を柵に押し付けると若干の塩気と冷たい感覚が現実を引き寄せてくれる。しばらく唸っていると肩を叩く存在が。


「さっきはごめん…びっくりしてしまって…紗英ちゃんからちゃんと聞いたよ」

「ああ…良いよ。僕もびっくりした…今日はびっくりしっぱなしだよ」

「今日誕生日だよね? だったらもう一回びっくりさせようかな」


 朗読発表の時みたいに目を閉じて息を吸う佐倉。今までの佐倉とは何か違う存在感を感じる。


「私、紀川君が好きだよ」


 くしゃくしゃの笑顔でそう言うと何故かボディブローを一発。その後は妖精が絵本の国に帰る時の足取りで階段を降りていった。


 うつむくと灰色のコンクリート、見上げると暗い空。「もうやめよう。変わるんだ」この半年で何回そう決意したか思い出せない。しかし行動は数度。佐倉の言葉を聞いた喜びを上回るのは置いていかれた感だ。

 直方は方向性が違うとはいえ変わった。舞野に告白するまでに自信を持つことができた。舞野は誰とも話さず、一人だけの世界にいたはずなのに、僕や佐倉にアドバイスをするようになっていた。佐倉は男性が怖いと言っていた状態から僕に告白をするようになった。多田も河内も酒巻もなにかしら変わっている。変化は良い方向にばかりではなく悪い方向におきてしまうこともある。しかし、現状は変えている。僕はまだ駄目だ。当たり前のことをやっただけなのに達成感を感じてしまっていた。当たり前のことは当たり前でしかないのに。


 教室に戻り窓から通学路を見下ろすとクラスメイトが帰っていく。上から見下ろしているといつの間にか見下していた。どんな物語でも他人を見下すのは弱者だ。

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