第10話 厳しいレッスン、キッツイ恋愛

 11月半ば。冬も近づき淀川河川敷の野良犬が徐々に凶暴化し、ゴミ箱に捨てられるチューハイ缶がワンカップ瓶に変わってきた。誕生日から僕も少しだけ素直に生きている。自分にくる注意は侮蔑や悪意ではなく善意で届けられている。そう思うところからはじめた。

 毎日少しでも改善していけば声優事務所オーディションがはじまる時にはマシになっている。少し素直になるだけで成果の上がり方は変わった。自分で作るだけだったら時間がかかってしまう。しかし、他人から貰えばそれだけ効率よく進み、演技のストックもどんどん貯まっていく。

 多田が慌てて失敗した所を見ても「また失敗しよって」程度の感想だったが「人間が慌てる時はああ演じれば良いのか」と考えるようになる。格が違い過ぎて聞き流してた舞野のナレーションも、今は文頭の音の作り方・語尾の置き方・間の取り方など「なぜ上手く聞こえるのか?」を考えることができている。

 しかし今、噛みまくって講師にまともなダメ出しを貰えなかった直方からはキツさしか感じなかった。舞野に告白してから直方は少しおかしい。簡単に言えばスネてしまっている。それも僕に対して非常に強く。


「ドンマイ」

「お前には負けない。俺が……紗英ちゃんを振り向かせる」


 受け答えとしては0点だ。今までなら「勝手にしさらせ」と捨て置いたが、入学当初からの友達だし、直方がいなければ変わろうとも思えなかった。力にはなりたいが、駄々っ子のように僕の言葉を聞かないので諦めてレッスンに集中する。今日は苦手なナレーションだ。


「芝居はセンス。ナレーションは技術」


 柔和な水堂先生はムーミンママのように優しい笑顔で発表をぶった切って行く。

「アクセントをもう一度調べて」「面白くない」「押し付けすぎ」「伝わらない」「一本調子」「語尾の処理が全て同じ」「しゃくるように読んで気持ち良いのはあなただけ」「上っ面なぞってるだけ」そしてトドメに「練習してないからできないのよ」と斬りつけてくる。

 このナレーションは先週に引き続き二回目、前回はキレイな声や滑舌良く読むことに腐心し、噛まずに読めたが「紀川君、何を伝えたいの?」と一言。

 「何を伝えたいの?」の意味。もしかしてこれが「読む」と「伝える」の差が生まれる原因ではないか?僕は今、読もうとしている。前回以上に音や滑舌に気を遣って練習した。しかし、それは誰に向けての行為だ?同じ注意はされたくない。上手いと思われたい。何より自分は成長したと実感したい。これらは自分のための行為だ。自分が良く思われたいがために読んでいる。もしかしたらここが違うのか?人と話す時、どういう風に話す?あの河川敷で、佐倉はどんな風に僕に話した?ただ、僕に伝えたいことを伝えるために話した。短い言葉なのに心への刺さり方は凄かった。今までの生き方を変えようと思ったくらいだ。

 今日のナレーションはあの時を、そして好きと言ってくれた時の佐倉を模倣しよう。眼の前にいる水堂先生に、製薬会社のナレーションを届ける。薬のナレーションだから水堂先生に元気になってほしいと思いながら「あなたを助ける薬がありますよ」と伝えよう。そこに習ってきた声の出し方や音の高低を足す。


「方向性は良いわ。でもまだ小手先の技に頼らないで。技術は大切だけど、やるなら基本をもっとやりなさい」


 厳しい言葉を貰いはしたが、「良い」と言われたのはこの日が初めてだった。正直何をどう言ったのかが頭に残っていない。方向性とは「ストレートに、思ったことを思ったままに伝える」だろう。なぜこの方向性が正しいのかを考える。

 「読む」は一人でもできる。声を出せば良いから。「伝える」は一人ではできない。受け取ってくれる人がいないから。幼稚園児の感想みたいな理由が浮かんだが妙にしっくりきた。僕の世界には僕しかいなかった。薄いカーテンで閉ざされていた世界は、少しの勇気で気持ちよく開いた。


 レッスンが終わり、さっきのナレーションの復習を始める。鏡を見ながら基本をやっていると入学当初は上手く発音できなかった「な行」「ら行」は意識しなくても綺麗に発音できるようになってきた。ただただ繰り返してきた練習は無駄ではなかった。「やってきた」ことで不安が霧散し、意識しすぎて言えなくなることがなくなったのだ。だが、まだ自分自身を信じきれていない。

 演技やナレーションの時、声や技術を気にするのはもちろん場の背景や役の設定を考え続けてきた。自分がやりやすくなるように。そこに「誰かに伝える」が乗った。伝えるために声を出しているのに、声を出す前提を忘れてしまっていた。小さな目的のために大きな声で目標を見失っていた。自分の至らなさを再自覚し、これからを作るために再構築をはじめた時、手を組み右手を顎に当てた直方が話しかけてきた。


「ま…今日は…俺のライバルとしてよくやったんじゃないか? しかしだ、面白くなかった。まだ声優とは…言えないんじゃないかな?」

「お前は噛みまくって終わったじゃないか。それよりはマシだよ」

「ほう? 威勢が良いな? ま、今回は花を持たせておく」


 くるりと後ろを向いて歩いて行く直方。彼が「BIG PANDA」と大きく書かれたロングTシャツと紫色の高校ジャージを履いていなかったらもう少しキマっていたはずだ。しかし、ライバル。そう思ってくれたことが嬉しかった。直方は僕は消える側だと言っていた。その時は僕のことが見えていなかっただろう。今は見えている。直方の前に存在できている。それが嬉しくて練習を再開しようとすると思い詰めた顔をした河内が寄ってくる。何か嫌な予感がするので「人には見えない悲しいモンスター」と仮定しレッスンの復習を続ける。


「ちょっと相談したいんだけど…」


 ギャーテーギャーテーハラギャーテー。マントラは宇宙だ。マントラを唱え続けたら幸せになるし悪霊も消える。


「少しで良いから」


 河内の勢いに押されて返事をしてしまった。こんな時の質問はゴミみたいな物も多いが、本当に何かあったのかもしれない。もしかしたら学校を辞めるとかそういう話なのだろうか。河内は頼めば毎回練習を見てくれるし、年上だからこその視点で多くのアドバイスをくれる。その恩を返す時が来たのか。

 思い返せば最近の河内はレッスン中もボーっとしていることが多い。考えれば考える程不安になる。学校を出てクラス内で「新大阪の奇跡」との称賛をうけているたこ焼き屋に入る。ゲタみたいな置物に8個のたこ焼き、香ばしいソース、彩る青のり、陰気臭い河内。コーラを一口飲んだあと、勇気を出して口を開く。美味しい。新幹線が止まる以外に何もない新大阪の奇跡。違う。河内だ。


「相談って……なんですか?」

「佐倉さんに告白しようと思う」

「粗大ゴミだ」

「え?」

「何もないです」


 親愛なるクラスメイトの恋愛事情だ。ここの払いも大人の河内だし、人生の先輩に感謝の意を示し平身低頭せねばならない。佐倉が良いとは言っていたが、かなり思いつめているのか。

 僕は佐倉に告白されてからも男女として特になにもない。一緒に天王寺公園で羊を触ったり、奈良公園で鹿を触ったり、海遊館でナマコを触ったりした程度だ。佐倉と僕が良く一緒に帰っていることに気が付いていないのか?天王寺動物園で買ったマレーグマのキーホルダーをお互いに付けているのに気が付いていないのか?逆に全てを知っているのか?これは形を変えた自殺なのか?


「佐倉……可愛いですもんね……」

「そうなんだよ~! 良いんだよ~! 最近、さらに可愛くなったと思うんだ。分析するに、女の子から女に成長……いや脱皮をしたのかなと考えている。変な相談でごめんね。正直、僕は女性とお付き合いした経験はない。だけど、多くのことは勉強してきている。そこを前提に聞いて欲しい。まず佐倉さんの魅力は大カテゴリーで5つある。順に説明していくと……」


 その後58分にわたり佐倉の良さを聞く羽目になった。アイドルを見るような好意とは違い、近くの女の子を見るような雰囲気でもない。崇拝に近い。今まで感じたことがない速度だ。そして佐倉は僕のことが好きだ。


「で、告白しようと思うんだけど…どう思う?」

「メ、メェ~」


 色んなことを考えて脳が爆裂してしまい天王寺公園の羊(ベルちゃん)のマネをしてしまった。これじゃダメだ。真面目に物事を考えなければならない時に不真面目に考えてしまうのは悪い癖だ。真正面から向き合うのは演技だけじゃない。人との付き合い方もだ。


「将来は佐倉さんと結婚したいね…」

「良いんじゃないっすかメェ!?」


 その後、河内は気を良くし、僕にたこ焼き+ネギポン酢をおごってくれた。新大阪でJRに向かう河内を見送り、携帯を見ると21時。3時間も青春をドブに流してしまった。河内は告白して死者我一人の玉砕を完遂するだろう。絶対にろくなことにならない。

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