第11話 打ちのめされてからが本番
河内がいつ佐倉に告白するのか恐怖を感じながら過ごしていたが、あれから10日経っても動きがない。このまま諦めてくれると信じて学生生活を続ける。
近くまた発表の機会があると先輩から聞いた。レッスン終わりに間垣先生が教室に入ってきてそわそわした目線に応える。
「2月の頭にまた学内発表をやる。今度は吹替えな。録音した物を流すんじゃなくて生でアフレコをやってもらいます」
次も舞台かと思っていた。まだマイクの前でのレッスンや映像に合わせてのレッスンほぼない。それらは二年になってからと聞いていた。そんな中で吹替え。全員が色めき立つ。突然声優になれる機会が訪れた。
「キャスト決めはオーディション形式でやる。題材とか台本は近く渡すんで楽しみにしとけよ」
思っている以上に心臓がビートを刻む。緊張なのか、期待なのか。ただ、朗読の借りは返す。弱かった僕が立ち上がり一年の総決算に向けて燃え上がった。頭の中のスイッチが切り替わると全ての細胞が活性化する。学校はイベントを多く開催し競わせる。一方で辛く地味なレッスンを続ける。その繰り返しで体内にスイッチが生まれる。それを切り替えると声優志望者は志望者なりに気合が入り、立ち振舞いすら変わる。
「俺たち…本当に声優目指しているんだな…」
静かな空気の中、直方がそう呟き全員がその言葉を噛みしめた。いつもの入り込んだ言葉だが不思議と違和感は感じない。
目指すべき夢が加速を付けて体を打ち据える。気合を入れて立ち向かえと檄を飛ばす。夢を見ている時は危険だ。その夢が大きいほど駄目だった時のダメージが上がり、夢に殺される。
「レッスン後は時間取れないから今伝えるけど中原靖子が学校を辞めました。一身上の都合です。以上」
吹き替え生アフレコ発表から3日後。また1人消えた。河内が理由を聞くが間垣先生は「一身上の都合」と繰り返す。辞める理由はわからないが「心が折れる時が終わり」とみんな気が付きはじめている。間垣先生と入れ替わりに水堂先生が入ってくる。今日のレッスンは2月に発表する洋画だ。台本が配られビデオテープを再生。映像がテレビモニターに映り、画面の上部に「00:00:00:00」と数字が並ぶ。これはタイムコードと呼ばれ秒数やコマ数を表す。皆で映像を見つめ口の中でブツブツとセリフを呟く。プロみたいだ。僕は声優を目指している。目指せている。たかが練習と言えど、独特の緊張感が身体を包む。
作品はジョンという三枚目が主軸のドタバタコメディー。いつもなら出番が少ないが美味しい役を選んでいた。失敗する部分は少なく印象に残りやすいからだ。そんなクソみたいな理由で役を選んでいた。
「じゃあやってみましょうか?誰がやる?」
変わるんだ。そう思った僕はまっ先に手を上げた。先生が「誰が」と言った時には体が動いていた。水堂先生は「意外じゃない?」と言いたげな顔で僕を迎える。希望の役を聞かれジョンと答えると教室がざわついた。もう後戻りはできない。する気もない。これ以上に後に戻るとファミコンのカラテカみたいに崖から落ちる。
役は次々に決まり即席のチームがマイク前に立つ。目の前にテレビが2つ。マイクが3本。手汗でぐっしょりしている台本。最初のシーンはクリスマスパーティー会場、ジョンは少し遅れて到着する。サイドブレーキを引かず車から降りる。車は坂道を下っていく。必死な顔のジョン。僕は声を出す。
「待て! ちょっと待て! おい! どこ行くんだよ!」
そこに酒巻が演じるジェニファーが通りかかる。
「何してるの?」
「見りゃわかんだろ! 俺の! 俺の車が!」
何をしているのかわからない。集中できない。口パク、時間、映像の音。台本をめくらないといけない。僕の後ろには次のセリフでマイクに入るクラスメイトがいる。気にしていると映像は進む。どうしようもなくなり台本に書かれたセリフを言おうとしたら違う役が喋りはじめている。
クラスメイトと遊びでアフレコごっこをやることはあったが、マイクを立てて映像に声を当てるのは初めてだ。それでもアニメや吹き替えは多く見てきたし、割とやれると考えていた。だが何一つ通用しない。僕だけじゃない。全員通用していない。舞野でさえ全く見当違いの場所でセリフを言い、佐倉はまごついている内にセリフを言うシーンが終わってしまった。どんなことでもすぐにコツを掴む河内も真っ青な顔をしている。
ゾッとした。芝居もロクにできない僕らが声だけでどうやるんだ?それ以前に、映像に声を合わせられない。先生がテープを巻き戻している時、誰もが「やっべえ辞めてえ」の気持ちを放出する。
「誰もお芝居になってなかったわよ」
黙るしかない。完全に声が裏返って慌ててマイクスタンドまで倒した多田は涙ぐみ、酒巻はポロポロ涙を流している。もう12月だ。そして2月に発表。光陰矢の如し、矢は声優志望者の現状に突き刺さる。
「みんなはこんなに難しいことを仕事にしようとしているの。でも大丈夫、2月までにはできるようになります。頑張り次第だけどね。ここは学校なんだからいくらでも失敗しなさい。今日、悔しいって思えた子なら誰だってできるようになるわ」
できるようになるのか?また、不安の虫が這い回る。それを気持ちで押さえつける。僕は変わった。変わったはずだ。ここで飲み込まれる訳にはいかない。声優になるためにここに来た。この程度で倒れてたまるか。
「あなた達は他の人が真面目に勉強したり働いている時間にお芝居やアフレコを真面目に学んでいるの。それは素晴らしいことよ。選んだのだからやりなさい。来週はもっと成長した姿を見せてね」
実際の収録では声が被るシーンは別撮りになったり、細かく区切って録音するらしい。僕らは一本通してノンストップでやる。最初はそれが一番良いとの事だ。一人では何もできない。相手から伝わるセリフを受け取り、瞬時に反応して受け渡す。それも時間や口パクに合わせて正しいアクセントを使い大切なセリフはしっかりと立たせる。それら全てを自然にやる。地獄のように重なる課題が絶望的な現状を示す。さらにチームワークが大切だ。さっきは僕のミスが酒巻の足を引っ張り、酒巻のミスが多田を戸惑わせ、それが佐倉に伝染した。もちろん普通の芝居でもそんなことは起きるだろう。それと違うのは、吹替えには完成された絵があることだ。僕らが失敗しようが絵はノンストップで回り続ける。失敗を成功に変える包容力はここには存在しない。
レッスン後、誰も帰らない。ビデオを何度も再生する。セリフを言う者、食い入るように画面を見る者、時間表示を台本に書き込む者。
意識を変えることが水堂先生の狙いだったのだろう。この世界は甘くない。毎日の中で埋没しかかっていた思いが地中から僕らの足を掴み直す。普段はマットの上で本を読んでいたりする舞野も仁王立ちで画面を見ている。再生を繰り返すごとに声を出す人が増え、いつしか合唱のようにセリフを当てる。そんな中、一人青い顔をして立ち尽くしている河内が気になった。
練習を続けているとクリスマスが近づいてきた。年明けには配役オーディション。2月は本番。目標に向かってフルスピードで毎日を駆け抜ける。この毎日の中で凄く伸びている。元々スター性があったのか、一皮剥けるという言葉そのままに皆の注目を集める。もちろん僕じゃない。
井波康隆。南の彼氏だ。声優的な能力、特に滑舌に関してはとことん悪い。しかし、それをものともしない魅力がある。体が小さく、顔も幼い井波だが、発表の時の堂々とした態度、誰に対してもニコニコと話を合わせる性格。南と手を繋いで帰る時のほほえましさ。こっそり僕に近づいて、最近行った風俗の話を喜々として語る狂気。男全員が「今殺さないと大変なことになる」と感じている。1日ごとにその輝きは増して行く。その恐怖も僕を加速させる。
逆に河内は精細を欠いたままだ。もしかして告白して失敗したのかと思い佐倉に聞いてみたが最近はメールも少なく特に何もないと言う。気になる部分は中原が辞めたことくらいだが、河内がそこまで気にする理由もわからない。河内に直接聞いても曖昧に話を逸らす。
学校は冬休みだが夏と同じように開け続けてくれている。間垣先生はいつも朝から夜まで職員室で何かしらの仕事をし、たまに様子を見に来て時間になればお見送り。ボンクラを最強の商品にすべく力を貸してくれているし近くにいるクラスメイトとは刺激し合い高めあっている。帰り道、僕の横を歩いている佐倉も支えになっている。
『全員が同じ目標に向かう』これはある種の狂気だ。それも声優になるために。壊れている。それくらいじゃないと目指せない。そこまでやっても届かない。僕は今年を失敗した。だからこそ来年はもっと失敗しよう。失敗しても死なない。そして失敗の先にある何かを手にする。そのためにすっ転んで怪我をしよう。数日すぎてクリスマス。佐倉と梅田をぶらついた。HEPの観覧車に2人で乗り「色々と上手くいったらちゃんと付き合おう」と話した。調子の良い答えで嫌われるかと思ったが「私は待ってるから」と受け止めてくれた。
ひたすらバイトと自宅での自主練習に明け暮れた年末を越えて元旦。仲の良い連中と神戸の生田神社に初詣に行く。「縁結びのいくたさん」と言われる場所に行く理由はないが、酒巻の「声優になる縁と結ばれるためだよ~!」という言葉に少しグっときた。
晴れ着に身を包む女性陣と雑木林のような男達。こんな集まりには来ないだろうと思われた舞野も完璧な着物で現れた。
目の前を歩く南と井波を見ても羨ましさはなくなっていた。佐倉は今までと同じように僕の横を少し恥ずかしそうに歩いている。ソースが焦げる匂い、ベビーカステラの甘い香り、ハッカみたいな清涼感を帯びた冬の空気。参拝待ちの長い行列の中、僕と佐倉は何も話さずクラスメイトが盛り上がっているのを眺めていた。
帰りにファミレスに寄り今年の抱負などを話す。話した抱負を達成したことは無いが、前向きな思いを皆の前で言うのは割と楽しい。
「涼子ちゃんの抱負は~? 井波君とずっと一緒とかそういうのは無しね!」
「もー! でも…抱負かあ。ずっと…ずっと続けば良いよね。前向きに歩いてさ」
「紀川君の抱負は~?」
「そうだな…できるだけ…嘘は吐かないようにしようかな…」
「忍が聞きたいのはそんなんじゃないよ~! 声優としての抱負! 忍は絶対に東京に行くこと! 東京、まだディズニーしか行ったことないよ~!」
「それ千葉でしょ?」
舞野が呆れた笑顔のまま酒巻の「東京は強盗や人攫いが大量にいるらしい」の妄想を聞いている。皆で盛り上がれるのはあと何回あるのだろうか。この頃には一匹狼的に立ち回る人間はほとんどいなくなっていた。馴れ合いではなく共存が生まれている。
「でも、本当にあっと言う間だね」
河内がしみじみと言う。初詣に誘った時、最初は断ってきたが、何度も誘ってやっと来てくれた。前よりは元気になっているが、まだ本調子ではなさそうだ。そんな仲間を支えるのも共存が持つ力だろう。
「河内さんはどんな声優になりたいとかある~?」
「僕が頑張ることで誰かが元気になってくれたら嬉しいな。僕みたいなのでもやれるんだぞって……それを……伝えたいかな」
「僕みたいなのって言っても良い大学出て、良い会社で働いてたんでしょ~? エリートじゃない!」
ファミレスの中で多くの夢を語る。あと少しで配役オーディション。それまでにできることはまだ多い。帰り道、一人になると背を伸ばす。もう少しだけ速度を出して。
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