第5話 発

「ウワーハハハハ! ハハハ! ウワーッハハハハハ!」

「ガハハ! ガハハハハハハ! ハハハハー!」

「キャーハハハ! ハハハハ!!! ハハハ!!!!」


 僕、河内、佐倉が爆笑している。別に狂った訳ではない。声優専門学校に通う自体で若干の狂いは生じているが、これは「表出」の訓練だ。河内に現状を打破したい相談したところ、嬉しそうに色々と教えてくれた。大学を出て会社で新人研修などもやっていたらしく、教えるのがうまい。講師の教え方は感覚に頼ることが多い。しかし、河内はその頭の良さと世話焼き魂で僕らが理解できるように言葉で教えてくれる。


「これを続けたら少しは変われますかね?」

「紀川君はそのままで良いと思う。良いところを伸ばすためにもう一回やろう!」


 クラスメイトの視線が刺さり恥ずかしいがそんなことは言ってられない。戦わないといけない。そのために弱い自分を二年間で消し去らなければいけない。


 今日のレッスンはエチュードだ。場を指定されて即興で演技をする。今日は一本橋の上を歩いている後ろから人殺しが追いかけてくる設定だ。それをクラスメイト全員が見ている前でやる。「状況」の中で心と反応する体を作るために何度も何度も繰り返し体に染み込ませる。追われる恐怖、一本橋を渡る恐怖、「足と同じサイズ幅だけ歩ける設定」に合わせ自分を追い込む。まだ演技の深淵になんて触れることはできないが、たまに脳が痺れる瞬間がある。そんな時は決まって上手くいく。その瞬間を何度も反芻する。1人芝居であっても対象がいる。現実には存在しない事象とうまくやっていく。演技は多くの矛盾を孕んでいる。その矛盾に理解と納得を付け足していく。全力で、泥臭く、必死に。


「もう少し、感情を細かく作りなさい。追われている時、橋を渡ろうと決意した時、渡っている時の緊張感が同じだよ。人間はそんな単純じゃない」


 いつもは「もっと気持ちを出しなさい」と言われてばかりだった。褒められてはいないが、ダメ出しのレベルが上がったことが嬉しかった。入学して4ヶ月になるがまだ取り戻せる。今までは流れの中で変わろうとしていた、これからは流れを作ることで変わろうと意識した。意識は武器だ。不遜な自意識に対抗する唯一の武器。日常とは違う世界で嘘を重ね、その嘘を乗りこなして芝居を作る。


 芝居を一歩引いた場所で見つめていたのは失敗だった。何かをはじめる時、最初の間は無敵だ。「初心者・新人・知らない」など、多くのレッテルが僕を守ってくれる。そのボーナス期間をかなり無駄にしてしまった。

 体と心を無理やり芝居ゾーンに持っていくと疲れる。膝にくる疲労を感じながら普段は舞野が座っているマットに座り一息入ていると直方が笑顔で近づいてきてレッスンの感想などを話す。相変わらず「ふむう」と「ま、」からはじまる会話に失神しそうになったが顎に左手を当て、目を閉じて話しはじめたので意識を宇宙に飛ばしておいた。


「ふむう……紀川はすぐにいなくなると思っていたんだ。おっと、気を悪くしないでくれよ?」

「なんだよそれ」

「ま、見てのとおりクラスは大体3つに分かれているだろ?」


 【本気で目指している人間・学生気分の人間・全くやる気がない人間】


 クラスメイトのほとんどはどこかに入っていて、僕はやる気が無い側に見えたのだろう。


「紀川も本気だったのが嬉しいよ。ま、ライバルとしてこれからも頑張ってくれよ?」


 最後にウインクを一つ飛ばして「失礼するよ」と去っていく直方を心の中で煩悩の数だけ殴りつけた。最後の右ストレートがカウンター気味に顎に刺さったところまで妄想すると少し落ち着き、今までは何を言われても「僕はできてない」と受け入れていた状態から、武器を手に取り首級を挙げに向かっていることに気が付いた。怒りの大部分は直方の漫画からトレースした行動への不快感だが、それが合わさったお陰で気がつけたので今後は少し目をつぶろう。


 気が付いたら理解した。今、僕は戦場に立っている。学校は銃弾飛び交う戦場だ。僕が認識した弾は「近場にいるクラスメイト」だった。仲良く、そしてお互いを高め合う彼らといずれはしのぎを削り合う。2年に進級し、最後のイベントは声優事務所オーディションだ。入りたい事務所は必ず誰かと被る。その時、かつての友は僕を撃つ。僕も友を撃つだろう。しかしそれは最高の場合だ。このままでは僕が血を吐いて死ぬ。流れる血液に恐怖を覚え、徐々に動かなくなる身体を引きずり、今までサボっていたことがどこまでも浮き彫りになる。明確に見える未来の悔しさを前借りして心臓に差し込む。痛みが道しるべになるように。


 8月に入り夏休みがはじまったがいつもと変わらず週5で学校。目的は自主練習。間垣先生が「どうせ俺らはやる事あるからお盆以外は学校開いてるよ」と言った時に僕の夏は終わった。


「もう来月が本番だからある程度のパートを決めようと思うんだけど…どうかな?」


 リーダーを買って出てくれた河内が僕らに向かって言う。やりたい役、読みたい文章を各々持っている。本番で言えるのは1人。誰かが選ばれたら自分は希望外の役になる。落ちたら謙虚に別の部分で力を発揮すれば良いのだが、精神的にも未熟な上にはじめての発表。誰もが戸惑っているに違いない。


「どうやって決めるの~?」

 酒巻が「早くやろう」の気持ちを全力で前に出して聞いてくる。


「はやく決めてやろうぜ!」

 多田が顔を真っ赤にして急かす。


「役だけ決めて練習する方が良いしね」

 南が同意する。


「まあそうだな。決めちゃう?」

 直方が賛成した。


「そうね」

 舞野が定位置のマットの上で髪の毛をくるくるいじりながらぼんやりと話を聞いて曖昧に賛成の意を述べる


「良いよ。やっちゃお」

 佐倉が覚悟を決めた。


「……今?」

 僕は曖昧な表情で口を開く。


 世界のスピードは僕が思っているよりずっと早い。気を抜いた瞬間に振り落とされてしまう。


「紀川! ビビってんのか!?」


 多田の言葉にぐうの音も出ない。小便が漏れそうだが漏らしてばかりじゃいられない。僕はどれだけ成長したのか?そして1ヶ月でどこまで変われたのか。恐れる自分に嘘を吐き、1時間後に皆の前でやりたい部分を読んで配役を決定する流れを快諾した。


「紀川君、大丈夫なの?顔色凄いよ?」

「南もさっきからあたふたしてるじゃん」

「そりゃ緊張するよー! でも…いや、うん…」

「でもなに?」

「恥ずかしい事を言うけどさ…プロになったら毎日こんな気持ちなんだろうね」

「うん、僕も怖……」

「すっごい楽しみ!」


 弱気が飛び出す寸前にカウンターが顎に入った。倒れそうになったが踏みとどまり平静を装う。


「…僕もだよ」


 嘘で少しでも前に進めるならそれで良い。やっと僕は声優の世界に生まれた。この世界はいびつで泥臭くて少し変わっている。這いつくばってでもしがみつきたい。


 決意とは裏腹に、配役オーディションでは緊張と不安でありとあらゆる場所で噛みまくり、途中からミスが面白くなってしまうほどだった。僕はやりたいパートを逃し、短めのパートを担当することになった。

 皆の前で完全敗北したことは心地よかった。ここまで明確な敗北は初めてだ。今日も銃弾に射抜かれた。だが残機は残っている。残機があると考えていては成長できないかもしれないが、現実に残っているなら慌てず騒がず受け入れる。


「納得できないんだけど!」


 対照的に酒巻が怒りの表情と涙で吠えた。今日の酒巻は絶好調だった。いつもはどんな作品でも過剰にアニメっぽくやりすぎてしまうが、今日は抑えるところは抑え、今まで見た酒巻の芝居では最高の物だった。


「やりたい所が被ったら無記名で投票って事で決めてたじゃない」

「忍めちゃくちゃ頑張ったじゃない! どうして舞野さんなの!?」


 しかし、舞野には敵わなかった。全員が舞野に投票した。いつもなら「ふにゃ~!ダメだった~!」と言って近場の男に抱き着く酒巻が感情を爆裂させて異を唱えている。理由は全力でやりきったからだ。僕は怒りも沸かず受け入れてしまった。結果を受けれてしまった。酒巻は全力だったからこそ、自分でも納得できたからこそ叫んだ。叫ぶ権利がある。僕はどうだ?僕は本当に全力でやりきったのか?

 だが決定してしまったのでどうしようもない。酒巻もわかっている。だけど叫んだ。この思い、この思いが僕には無い。無力感が湧き出してくる。思いが無いとはこんなにも情けないのか。自分がなりたい存在に拘ることすらできないのか。夢にかける思いは心と己を守る。選ばれた舞野は何も言わずマットに座り酒巻を見ている。


「もう一回やらせてよ! 納得できないもん!」


 マスカラが土石流のように流れ出している。時間があれば鏡に映る自分の前髪を直す酒巻が役を取るために虚構を外し、本心で噛み付いている。僕はただ下唇を噛みながらうなだれる。酒巻の荒い呼吸だけが響く教室で、舞野は無感情に話しはじめた。


「何回やっても無駄だと思うわよ? プロになってオーディション落ちても同じこと言うの?」

「それは……」

「私の方が上手いんだから当たり前でしょ」


 酒巻の顔を見ることができない。ただ、感情が渦巻き全てがゼロになった顔をしているのはわかる。カバンを取る音、早足で教室を出る音、多田が呼び止めながら飛び出す音、ドアが荒々しく閉まる音。音の嵐が通り過ぎた後にはうつむく南に「どうしよう?」と顔を見合わせる直方・佐倉。愕然としている河内と床を見つめる僕が残った。舞野は座ったまま表情を変えずぼんやりと教室を見ている。そんな舞野に南が声を掛けた。


「言い過ぎでしょ」

「なんで?」


 子供が母親に尋ねるように聞く。疑問以外の感情がない。


「来月にはチームで発表でしょ? それを一緒に作っていくんじゃない!」

「それって個人の評価には関係なくない? 別に友達でも無いんだしさ」

「だったら舞野さん1人で全部やれば良いじゃない!」


 南が感情と声を爆発させた。舞野は少し驚いたのか目を丸くしている。


「だから舞野さんは落ちてここに来たのよ」


 言い返す舞野の声が聞こえる。僕はただただ自分の情けなさが嫌になっていた。思いを持たない限り血が流れ続ける。今すぐにでも思いを持たないといけない。思いが無いことを真正面から受け止めなければ間に合わなくなる。


「ねえ、紀川。私間違ってる?」


 舞野が縋るような目で僕を見る。南は見たことがない険しい顔で僕を見る。迫力に負けて目線を外すと佐倉が泣きそうな顔をして僕を見ている。


「はっきり言って良いよ」

「南、焦るな。これは大切な事だから」


 河内と直方も僕を見る。教室を見回して考えるフリをすると違う班の人間も僕を見て何を言うのかを聞こうとしている。何を言えば良い?いつもみたいにぼんやりとした答えを出すか?弾が5発入ったロシアンルーレットだ。どう答えるかで弾が頭を撃ち抜くかが決まる。勇気を持て。思いを持つことは勇気を持つことだ。何にも負けない、折れない武器を持つことだ。武器を持つ責任を持つことだ。


「舞野、君と僕は似ていると思うんだ」

「何が言いたいの?」


「舞野も僕も思いが無いんだよ。僕がここにいる理由は声優になりたいからだけど、それは一番の理由じゃない。一番の理由は進学も就職も嫌で社会に出たくないからこの学校を選んだんだ。君は落ちてここに来たんだろ? 声優になりたくてここに来たんじゃないんだろ?だったら僕と同じだよ。入学当初から僕らは周りと馴染めていないと言っていたよね。僕たちは「僕らは周りと違う」と思いながら過ごしていた。僕らは普通で周りが異常だと感じながら見下していたんだ。そりゃ浮くよ。誰とも仲良くできないよ。舞野は能力的にはごっつ凄いよ。でも、それだけじゃあかんやろ?

 君は自分で言うたよね。上手いだけじゃダメやって。来年のオーディションでまた落ちたいんか? 僕かてそうや。僕は何もできんのに周りよりマシや思っとった。今も思っとるわ。助けてくれる河内さんも、ずっとつるんでる直方や多田のこともバカにしとるよ。だけど、それやったらあかんやろ? 上手けりゃ良いんか?オタクっぽくなかったら良いのか? 僕は少し分かってきた。異常なのは僕らや。舞野は酒巻みたいになれるか? ひっくり返らん結果を見て、それでも自分の思いを叩きつけられるか?そうならなあかんやん。上手いだけのやつがなんぼでもおるんやったら、そいつらを、プロを叩きのめせる部分って思いの部分だけやん。僕も君も、このままやったらここで終わるよ。勝てるはずない。それでも余裕ぶっとるのは、最初から負けとるのと同じやで」


 こんなことを言うつもりは無かった。自分の恥を晒す。周りを下に見ていたことを話す。なぜこんなことを言うのかわからない。しかし、心から飛び出した。本心なのかどうかもわからない。ただ、言葉が理性を追い越した。


「……わかった。ごめんね南」

「え!? あ! いや…私も…ごめん…」

「南にあやまんなくて良いか?酒巻にあやまんなきゃね」

「屋上に……おるよ……」


 いつのまにか戻ってきていた多田が泣きそうな顔で教えてくれた。多田は純粋な男だ、嫌われてしまったかもしれない。


「ちょっと行ってくるわ」


 教室を出て行く舞野。再び動き出した教室。悲しそうな顔をした河内が近づいてくる。


「紀川君、ごめんね、助けてあげられなくて」

「謝るのは僕です。今まですんませんでした」

「大丈夫だよ。本心が聞けて本当に嬉しかった」


 河内をはじめ直方や多田に今までのことを謝罪すると快く許してくれた。全員が僕の本心をやっと聞けたと喜んでくれたことに驚く。しばらくするとドアが開き舞野が帰ってきた。


「ダメ。酒巻、午前クラスの林田君と交尾中のヘビみたいにいちゃついてた」

「そうやねん!!!」


 多田が絶叫し泣きはじめた。こっちかよ。また少しバカにしてしまいそうになるが、こんな部分も僕に足りない部分だ。足りない能力は情熱や思いで補わないといけない。純な気持ちを持てるのは最初だけだ。多くの知識や能力で純が鈍化し、自分のために動けなくなる。


「ありがとうね。良いこと言うじゃない」


 舞野が僕の肩に顎を置き、小さく呟いた。ふわりと女の子の香りがし、自分が話した言葉を反芻する。僕にないものや周りとの差がわかった。だけど、僕がなぜここにいるのかは、まだわからない。

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