第4話 能力なし、才能なし、思いなし

 何度も朗読課題を読む。入学してから今まで、台本通りに読んでも「何を言っているのかはわかるけど、何を伝えたいのかがわからない」と言われていた。なんとか世界を伝えようと間を作ったり、声の高低を使い分けたり、大切な部分はゆっくり読んだりはしてみたが状況は変わらない。同じダメ出しを何度も受けることで声を出すことすら少し怖くなってしまっている。今日は恐怖に打ち勝とう、明日は恐怖に打ち勝とう、明後日は恐怖に打ち勝とう。そう思い続けただけの毎日だ。


 この学校に入ってから、言葉は自分だけの物では無くなった。鏡の前に座るチームの面々の前で僕は言葉を人に聞かせる。


「寒い冬が北方から、狐の親子の棲んでいる森へもやって来ました」

「普通すぎない? 句点の位置とかもう少し変えて良いと思うわよ。河内さん、どう?」

「同意見だね。あと、やっぱり読んでるよ。何も伝わらない」

「単純に声が良くないわ! 個性無い!」

「聞いてもイメージが沸かないな。ライバルだと思っていたが……その程度か?」


 自分の実力を知り、自分が何者でもない無の存在だと再確認してしまう。殺される方がマシだ。ドラマとかで奇跡のように上手くいく瞬間があるがあれは嘘だ。何を選んでも、新しいことをやっても全てが失敗への一本道になる。


 直方が文章を読む。確実に僕より上手い。河内が読む。落ち着いた声でサラサラ読んでいく。味気ない感じはあるが、ナレーションとしては上出来だ。舞野も読む。それは情感豊かに。聞く人間の頭には風景が浮かび、物語の中にいるキャラクターが自由自在に動く。酒巻が読む。特徴的アニメ声で飛び跳ねるように。頭の中で1本のアニメが再現される。多田が読む。アクセントは関西弁混じりだが自信がある。自分ができることを精一杯やりきっている。南が読む。小さな体からは想像できない安定した読み。まるでお母さんが子供に聞かせるように読む。


 皆が僕と違うのは失敗を恐れないことだ。僕はこの4ヶ月失敗を恐れていた。失敗から逃げるために「注意されない方法」を選び、余力があるフリを続けてきた。皆のダメ出しにニヤニヤしていると普段は他人に興味を示さない舞野も口を開いた。


「紀川はまだ表現ができるレベルじゃないのよ。きちんと段階を踏んだら? 表現の前に表出があるのよ。もっと思ってることや感じてることを表に出さなきゃ駄目。レッスンでも無理やり笑ったり泣いたりしたでしょ?」


 そのレッスンが何よりも苦手だった。小さい頃から感情や本心を出すのは恥ずかしいことだと教えられていた。僕は逃げながらも練習を続け、練習量で言えばクラスでも上位に入っていたがそれは『人に練習を見せる為の練習』だった。声優専門学校に入ったのなら声優になるしかない。しかしまだ一般の生活に戻れるんじゃないかと考えてしまう。


「まあ、紀川君も頑張ってるんだし、仲間としてお互いに足りない部分は支え合っていこうよ」


 河内が助けてくれなかったら衝動的に窓から飛んでいたかもしれない。意見を述べるチームメイトを見ると非常に偏ったチーム編成だ。間垣先生は適当に決めたと言っていたが大いなる意思が働いている。直方渡、河内泰、多田幸太郎、佐倉巴、舞野紗英、南涼子、酒巻忍…上手いか個性的か。僕はどちらにも属していない。佐倉もそうだが、佐倉はダメ出しがくると精一杯戦い、応えようとしている。

 普通。それが僕や佐倉が持つ弱点の一つだ。もちろん普通をわかっていないと特異なことをしてもわからない。レッスンでも入学当初から「普通からの逸脱をしろ」と言われ続けていた。


「もー! 紀川君も巴ちゃんもさあ! もっと必死でやったら!?」


 指摘を形にできない僕らに南が普段とは違う厳しさを見せる。僕は能力的にも気持ちの面でもチームの足を引っ張っている。できなかったら置いていかれる。専門学校はできない人間を育てる場所じゃない。できた人間を連れて行く場所だ。心の中で遺書を書きはじめたころ、河内の声で筆を止める。


「じゃあ今日はこれで終わろうか。明日はまた配役変えてやってみよう」

「忍はもっと練習する~!」

「俺も付き合うわ! 忍ちゃん大好きやから!」

「嬉しくな~い!」


 多田と酒巻がキャッキャしながら教室を出ていくのを目で追う。未だにこんな人達の中でどうやっていけば良いのかわからずにいる。そして何をどこまでやれば良いのかもわからない。皆が帰った後も佐倉は鏡に向かい練習を続けている。頼りない声、拙い演技、薄い個性。それでも練習を楽しみ、少しでも上手くなろうとする佐倉の姿は僕の目を離さなかった。

 佐倉は皆と30分ほど練習を続け、僕は1人で25分ほど台本を読みながら小さく声を出しただけだった。荷物を片付ける佐倉の顔は、先程とは違い少し影が差し込んでいる。そんな佐倉を見ているとつい食事に誘ってしまった。声を掛けると佐倉はいつもの人懐っこい笑顔になり片付けるスピードを上げた。


 チームの落ちこぼれ同士で学校を出て適当な定食屋で落ちこぼれにお似合いなジャンボメンチカツ+焼きそば定食を食べ、今日のダメさを見ないことにした。佐倉は意外とよく喋り周りを見ている。多くの人の多くの言葉から自分を分析していた。そんな楽しい会話も自己批判に落ち着いてしまう。


「皆がすごくて私なんにもできてないのが辛いなあ」

「僕も同じやわ。ほんま、なんもでけへん」


 店を出てなんとなく学校の近くの河川敷に行こうと誘う。年に一度、大阪でもかなりの規模を誇る花火大会が行われるが、今はランニングをしている人や野で生活をしている人がいるだけだ。川を隔てて南側、梅田方面の看板やHEPにある観覧車を眺めている。ビルの中にはまだ明かりが灯り、明かりの数だけ誰かの生活がある。ビルも少ない僕ら側は暗くて寂しい。ちらりと佐倉を見ると少し震えていた。


「寒い? 震えてるけど…」

「うん…」


 佐倉はそれっきり黙ってしまった。顔からは笑顔が消えてうつむいている。僕はごまかすために立ち上がって伸びをする。


「ごめんね、私…男の人苦手で…中学校の時……いじめられたりしていて……」


 バイ菌扱いされたり、周りから無視をされて休みがちだったこと、演劇を知ることでなんとか立ち直り、高校時代は必死に演劇に打ち込んだことを話す。表情を伺い知ることは出来ないが声は震えている。それを隠そうと一音一音丁寧に僕に伝える。


「紀川君とやったら大丈夫かなと思ったんやけど…まだちょっと緊張してしまって…」


 黙るのは僕の番だ。


「私、中学の時とかより、ちょっとずつ強くなれてる気がする。皆、頑張ってるやん?だから私も頑張ろうって思ってさ。でも…今日は誘ってもらって嬉しかったんやけど……ごめんね……」


 佐倉以外にも、「何かを変えよう」と思ってこの学校に入ってきた人間が多い。あの狂乱の自己紹介でもそれが出ていた。特に河内なんて全てを変えようとしている。誰もが何かを取り戻そうと、現状を変えようとして入学をした。それを考えると自然と唇を噛んでしまう。


「紀川君は良いよね。言い方は悪いけど……凄く普通でさ。こんな学校やんか?私もアニメとか好きやしみんなそんな雰囲気やんか? でも…普通で、普通のまま声優を目指せるって…それは凄く良いことやと思う」

「僕には……何もないんやけどね」


 信念や目的を持たずに学校に通っている。たしかに声優になりたい。しかしその思いは目的じゃなくて前提であるべきだ。声優になりたくなければ声優専門学校に入ってない。毎日くそみそに言われ、苦しみながら通学していない。


「そんなことないよ。朗読、上手くいったらええなあ」


 佐倉の言葉を聞いた時、朗読発表で万雷の拍手が降り注ぐイメージが浮かんだ。佐倉の自然な言葉、普通の言葉から、僕が追い求めている景色をイメージした。佐倉は伝えようとしている。こんなつまらない僕に話しかけ、思いを聞かせてくれている。呼吸を重ねるごとに拍手が大きくなる。周りからは一緒に発表をした仲間の声も聞こえる。この世界を、僕も、誰かに伝えたい。伝わらなければ、僕は一人だ。


「また…ご飯誘ってな!」


 地下鉄の改札で軽く握手を交わし僕は堺方面に戻る。むわっと暑い車内で僕の心も静かに熱を帯びだした。十代独特の移り気な衝動を胸に落とし込み、佐倉と握手した右手をポケットに入れる。少しでも温もりが持続するように。

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