第31話 優勝劣敗の世界で生きる

 数日後、アックスボイスの結果発表が行われた。記念受験とは言え、この学校で学んだことを出し、はじめての結果発表。全員の顔に期待、緊張、諦めなどが浮かんでいる。


「所属は該当者無し。まあこれは期待するな」


 教室がちょっとした笑い声で埋まる。この笑い声には悔しさや自嘲が含まれていた。柳に至っては大きな舌打ちを一発鳴らし、あからさまに不機嫌な顔になる。

「準所属。該当者無し。次は準所属だけど養成所に1年通ってもらうって待遇の人。これは良くある形だ。事務所に入って仕事は貰えるが、1年は養成所に入ってもらう。大体は養成所の2年目3年目のクラスに入る感じだな。該当者は2人」

 教室が静まる。誰もが自分の名前を期待する。僕ですらしてしまった。


「午前クラスから近藤勝。午後クラスから柳めぐみ」

「きゃおらあああああああ!!」


 柳は第一志望を条件付きとは言え本命をもぎ取った。あの時みたいに泣いてはいない。大股で立ち、震えるほど力を込めて左手を掲げていた。酒巻が「おめでと~」と言いながら抱きつくと、柳は余った右腕を酒巻の頭に回してもう一度大きく吠えた。


「次は養成所プロコース編入。午前クラスから阿部、川上、林田、前原、矢野、湯川。午後からは井波、酒巻、戸越、舞野、八木沼。次は養成所2年目コース編入…」


 呼ばれる名前が増えていく。2年目コースで僕、多田、佐倉の名が呼ばれた。養成所1年目合格では受けた人のほぼ全ての名が呼ばれた。


「行くかどうかはまた聞くから考えとけよ。近藤と柳は話があるから職員室ね」


 柳と近藤は周りからの賛辞を背中で受け止めながら教室を出た。教室に取り残されたのは養成所合格した人間のみ。受けた人間全員が何かしらの形で養成所合格になった。東京行きの切符は手に入れたが、行き先は全員が入れる養成所。どんな人間でもとりあえずは見てくれる姿勢は嬉しいが、そこに行っても上に行く可能性は低いだろう。そしてクラスの中で最本命と言われていた舞野が所属、準所属になれなかったことに驚いた。


「興味ないわ。オーディションがどんな物かを確認するために受けたのよ」


 舞野はそう言い残して機嫌悪そうに教室を出た。舞野も悔しかったのかと思うと少しおかしい。この思いを持つことが舞野にとっての変化の形なのかもしれない。舞野を見送ると教室の隅で座り込む井波が目に入った。


「アックスボイス行くの? 第一志望ではないんだっけ?」

「行きたさはあるんだけどね…ここ。見て。最後のオーディション」


 指差す先には声優事務所の頂点とも言われるレッドバロンの名前がある。この事務所が無かったら声優はここまでメジャーになっていなかったと言われる事務所だ。オーディション最終日に最大の事務所。「他を捨ててでも挑んでこい」と言う無言の圧力すら感じる。


「日程を考えると……他の事務所に受かっても断らなきゃダメなんだな。流石にリスキー過ぎない? 井波なら他の所でも受かりそうだし」

「うん……紀川君は狙ってる事務所ある?」

「芸心だね。所属している人が全員好きだし、吹替えの人が多いし」

「不思議だよね。去年の今頃は『受かってくれるならどこでも良い』なんて言ってたのに…でも、こんなエゴが役者って事なんだと思う」


 井波はそうつぶやき、もう一度スケジュールを睨む。もうそこに頼りない少年はいなかった。事務所を使ってより高いステージを目指す男がいた。


「ほう? ライバル出現ってことかな?」


 いつの間にか近くにいた直方が井波に話しかける。オーディションのために買ったというシャーロック・ホームズみたいな片眼鏡が怪しく輝いている。アックスボイスの審査員、ロボットみたいに無機質な女性が直方を見て吹き出したと聞き、パンチ有る見た目を多少羨ましくも思う。


「どういうこと?」

「鈍いやつだな? レッドバロンだよ」


 清々しい無謀。いつもなら笑ってしまうが、ここまで突き抜けた直方には少し励まされたような気分になる。


「直方君! 一緒にがんばろうね!」

「お前も…な?」

「松尾伴内激似のお前が何を言うとるんや」

「うるさい!」


 オーディションは続く。今日は所属声優はアックスボイスの半分ほどだが、所属声優全員が有名な事務所60イット。舞台や朗読などにも積極的な事務所だ。今回は僕を含め学年の8割程の人間が受ける。内容は自己紹介、台本読み、軽い質疑応答とスタンダードな形。そして、多くの人に言われた言葉をまたも言われる。


「君は声優ぽくないよね。自分で向いていると思う?」

「講師にもよく言われますね」


 審査員と僕とでひと笑い起きる。多分、今後声優という道を歩み続けるなら無限に言われ続けるかもしれない。今日も台本を読む時は普通の芝居のように動きを付けて全力でやった。自分を出せるのはそこだと信じて。それで上手くいかないなら納得ができる。納得ができないと敗北した時に言い訳が残る。だからこそ自分を出した。そして結果は養成所1年目合格。この結果はあの質問があった時から予想していた。だが、本命ではないにしても2連続の敗退は堪えた。僕の結果とは逆に、酒巻は養成所に通いながらの準所属待遇で合格した。


 声優に向いていない。それは芸の世界では一つの個性として上手く使えるかもしれない。しかし、ここは声優専門学校だ。どの事務所も「声優として使える人間」が欲しいはずだ。柳、酒巻の声優らしい存在が合格したのはそういうことだ。少し嫌な予感がするが、受けるべき事務所はまだまだあるし、本命は年明けだ。オーディションでは緊張もしてしまうし、どんな結果が来てもオーディションの練習として割り切るつもりだ。

 アックスボイス養成所は断りを入れた。間垣先生も「やりたい方向性とは違うしな」と了承してくれた。これから年末までオーディションはほぼ毎日続く。それら全てをこのままやっていく。そしてその結果が次の通り。


【養成所1年目合格】

60イット、エンターズ、声道、あかつき演技社、劇団ポリーン、アクトシアターDAI


【養成所すら不合格】

マルダリー、ファンブル、カルテットボイス、アップルインテグラ、ナレーターズカンパニー、ボイスクラブ、イゴール、鈴木声優研究所、エレメント、ヴォイスパワー、ミカゲプロダクション、オフィス戸田


 バキバキに落ちまくっている。小規模だがゲームに強い事務所のマルダリーでは社長直々に「紀川君、面白い!君は良いキャラをしている!」と言われ、何を喋っても大ウケだったのにも関わらず完全に落ちた。その代わりに酒巻と別れ抜け殻になっていた八木沼が準所属として受かり、上京資金を稼ぐべく現場仕事と居酒屋バイトに精を出しはじめた。

 直方はエンターズの養成所3年目待遇で受かったが「レッドバロンしか眼中にない」と言い張り、結果発表と共に辞退した。


 全てのオーディションで自分自身を出している。どれだけひどいコケ方をしようが自分を出すと決めた。その結果が良くて養成所1年目。養成所1年目は声優専門学校卒業生じゃなくても入れる。

 これはもしかしたらやってしまったのではないか?芸心オーディションに向けて加速のつもりで全てのオーディションを受けたが、僕の個性や能力は声優としての価値がないのではないか?

 オーディションラッシュ前の決意にヒビが入っていく。不合格だけなら耐えられる。耐えられないのは仲間がどんどん合格を決めていくことだ。自分の進路だし、自分の結果だけを見て進めば良いのは分かっている。分かっているが、取り残されていく孤独感が自分の目的を曇らせていく。声優に、声優に向いていない。だからこそやってきた。演技を、芝居を、自分がやれる部分をやってきた。周りは芝居ができていると褒めてくれる。しかし、皆は芝居ができて声優的センスも必要なのではないか?僕は片方しかないから落ちるのか?これが向いていないということなのか?

 一緒に東京で収録した仲間はレッドバロンを狙う井波以外は事務所を決めた。あの収録が決まった時、プロデューサーの好みと言えど声優的なセンスも少しは認められたと感じていた。まさか本当にギターウルフTシャツを着ていたからか?考えたらオーディションではまだ一度もギターウルフTシャツを着ていない。これが不合格の原因か?

 やりたいことを貫き通しているがこのままだと何も形にならず夢の藻屑と消え果てる。未来を拒絶される。暴力では感じられない恐怖だ。


 声優としての商品価値がない。思うだけならナニクソと頑張れるが突きつけられると何も言えなくなってしまう。何かを言った所でどうしようもないからだ。どうする?自分を曲げて声優としてのテクニックを使うか?その部分の練習もしてきた。それを使えば結果は変わるのか?普段練習している課題をそれらしく読んではみたがしっくりこない。この芝居と僕の心根にある芝居のミスマッチ感が出る。ならば突き進むべきなのか。やるか変えるかの単純な決断だ。オーディション前の決意を翻して良いのか?しかしその決意がこの状況を作り出しているとしたら?

 このままやり抜く、それは変化に対しての逃げではないか?一歩踏み出せば何か変わるかもしれない。踏みとどまっているのは強さなのか、進めない弱さなのかもわからなくなってきた。強い決意からまだ三ヶ月も経っていない。それなのに砕けそうになっている。


「ほぼ全落ちじゃない。逆に凄いね」


 今日も柳が話しかけてくる。落ち続けるとゲンが悪いのか、進路が決まっていない人間は近づかなくなってきた。近づいてくるのは進路が決まった人間ばかりだ。辛辣な言葉に怒る気もしない。真実をただ述べているだけなのだ。


「柳はもう決まってるから気が楽だろうね」

「何言ってるの。気を抜いたら東京で1年やってクビかもしれないんだから死ぬほどキツいよ。まあ今の紀川よりはマシかもだけど」

「それを言いに来たの?」

「違う。ちょっと息抜きでもしてきたら? 今日はクリスマスイブなんだしさ。そんな辛気臭い顔してたらどこも受かんないよ? どうせいつもみたいにグダグダ悩んでるんでしょ? だったら空気を入れ替えなよ」


 柳の言うことはもっともだ。来年、一発目のオーディションは本命の芸心。この状態で受けても結果は目に見えている。しかしクリスマスか。あと二十日もしない内に本命に立ち向かわねばならない。それを考えるとまたしても気分が沈んできた。


「佐倉ー! 紀川が一緒にルミナリエ行きたいんだってー!! 行ってあげてー!」


 突如柳が大声を出した。教室の隅で練習していた佐倉も驚いたように僕を見ている。あれからまだしっかりと話していない。一緒に行ったとしても何をどうしたら良いのかがわからない。


「良いよ。行こ」


 そう言って服を着替えに更衣室に入った。柳はニヤニヤしながら手を振り教室から出て行った。

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