第3話

「それでは自己紹介をお願いします」


 前には審査委員、右は一面鏡張り、左は窓。隣のビルで働いているオッサンが小さく見える。長机、積まれたマット、椅子。簡素な部屋で働くオッサンより小さく縮こまった僕は自分の力を見せつけるために第一声を発したのだ。


「あ…いや、はい! き、紀川…紀川修です!」

「緊張してる? 大丈夫だよ~! 思い切ってやろう!」

「は…はい!!」


 むちゃな事言わないで欲しい。目の前には子供の時から見ていたアニメに出演されていた声優が数人、そして関西ローカルだが、確実に声を聞いたことがある人、この学校の講師をやっている俳優がいる。これでどう緊張するなと言うのか。


「紀川修です……あの……」


 どうする?良いのか?よくわからない。頭の中で考えている事と体がリンクしない。僕はここに何をしに来たのか。僕は何を目指してここに来たのだろうか。一時の心の迷いなのかもしれない。僕は小さな嘘を積み重ねてきた、やれバンドをやりたい。やれお笑いをやりたい。そして今度は声優だ。高校卒業も近い。仲間は就活など人生を真剣に考えている。


 僕は人生を真剣に考えた事なんて無かったのかもしれない。そのツケが今の状態を引き起こしている気がする。


「修。本気なんか?」

「本気です」


 大嘘だ。なんとなくだ。あの時、親の前でまた嘘を付いてしまった。小さな嘘から大きな嘘まで呼吸をするように浮かんでくる。その嘘を楽しんでくれる人もいる。がっかりする人もいる。17年強もの間、僕は嘘に支配されてきた。嘘を吐いて都合の悪い事から逃げてきた。

 今後も嘘を吐き続けるのだろうか。吐き続けるんだろうな。だったらせめて楽しい嘘を吐こう。声優として物語の世界で役を演じて嘘つきでいよう。性格は変わらない。だったらやる。今までの人生でずっとずっと続けてきた事なんて嘘を吐く事だけなんだ。


 真実の世界の空気を肺に溜め込む。嘘を吐き出して世界を包むために。もう真実は必要ない。


「紀川修です! 小さい頃から父親が映画好きで、ずっと洋画を見ていました! そして父親から吹替えの仕事があると話を聞いてから、ずっとずっと声優になりたいと思っていました! 高校卒業も近いタイミングでこの特待生オーディションを見かけて…それで………声優になりたくて! ここに来ました!」

「元気良いね~。何をするにしても大きな声じゃないとね。じゃあ、1枚目のプリントの…5番を読んでみようか」

「はい!」

 やりきった。選んでもらったセリフは洋画の吹替えのセリフみたいだった。刑事が犯人を追い詰めていく。その一連のシーンのセリフだった。今まで演劇部だった訳じゃない。才能がある訳じゃない。今まで吐いてきた嘘を一つの塊にして、この世界に叩きつけた。ただそれだけだった。


 入学したら担任になる間垣先生とも少し話した。とりあえずでかい声を出して思い切りやったのが聞こえていたのか褒めてくれた。「どうだった?」と聞かれたけど曖昧に答えてしまった。記憶が無いからだ。自分が数分前にやった事が思い出せない。それだけギリギリの世界で何かをやった。


 気持ちよかった。人生開闢以来初の衝撃だった。何も覚えていないけどそれだけは一生忘れない。そんな瞬間だった。


 秋が近づきオーディションの結果が来る。結果は入学費免除!で、学費の100万円近くは支払う最高の結果になった。あの場所で知り合った直方に電話をしてみたら、あいつも同じ結果だった。その後、親に金を貰い、100万円を震えながら銀行に持っていき手続き完了。僕は晴れて声優専門学校への入学が決まり、あとは留年しないように気をつけるだけで良くなり、ボンクラパワーでバイトを滅茶苦茶にやり倒して高校を卒業するまでに50万円返すことに成功した。しかし声優になるために50万以上借金をしている事は事実であり、「親不孝ここに極まれり」と呟いて何も見ないフリをした。


 そこから何度か暇を見つけては体験説明会に行ってみた。毎回一線で活躍している方から簡単な指導があり、間垣先生から業界の事を聞き、入学を決め来年にはクラスメイトとなる人たちと話す。「ここで2年間」生きていく。その覚悟を体と心にインストールしながら日々を過ごす。高校では進路に迷ったり、何も決めていないクラスメイトといつも通りに適当に過ごす。僕らのたまり場は図書室だ。今日も「図書室で1番エロい本を探す」を開催していた。その最中、不意に友人が僕を刺した。


「なあ、紀川はほんまに声優目指すの?」

「目指すっちゅうかもう学費払ったからな。元を取り返すにはなるしか無い状態やわ。お前は何やるの?」

「実家の昆布屋継ぐと思うわ。親からも言われとるしな。でもさ、紀川は成れるの?」

「はい?」

「声優に成れるの?学校行って勉強するんやろ?それで行ったら成れるの?」


 人に何度も言われる。この言葉を言われるとわからなくなってしまう。何も知らないからだ。何も知らない世界に飛び込み、何も知らない存在になる。その可能性はどのくらいあるのだろうか?全くわからない。人生は長い。80年程ある。18歳の瞬間は今しかない。瞬間なんて言葉は今しかない。その今を燃焼させて将来どうなるのか?将来、声優として飯を食っていく事ができるのか?声優を目指す日常には生活が横たわっている。目を上げて空と夢を見上げて生活の上を歩いて行く。


 僕は普通に生きる事にビビって1番キツい道を選んだのかもしれない。その瞬間は正解だと考えてしまっていた。その瞬間はアリだと思っていた。だけど、何か突き動かされてきた。その思いが嘘でも、吐いた嘘を信じてあげたい。夢を見てばかりでは現実に押しつぶされるだろう。夢が、思い描く夢が人間を殺す。たちが悪いのは気持ちが良いままに死んでいくことだ。北斗有情拳だ。「ちにゃ~」と叫んで爆ぜるのかもしれない。


「わからん。でも、成れんかってもやり直しは利くと思っとる」


 全てに確信を持てないまま、確信の無い言葉を吐き出して曖昧に笑う。もう金を払ってしまった。そして金を払っていて良かった。ゲームや玩具を買った時と同じだ。買ってから「マジでこれ必要だったの?」と何度も思い直してしまう。ええい大丈夫。学校に行けば、声優のレッスンを重ねたら僕は声優になれる。マイクがあって台本があって皆一様にキラキラと…はしてないか。してなかった。ああ、もう不安が大きくなる。良い。良いんだ。僕がちゃんとしてたら良いんだ。決めたんだろう。ちゃんとする。それは人間としてじゃなくて良い。声優としてだ。弱気でヘラヘラしているだけの僕なんて捨てるんだ。「声優としてこうありたい自分」で固めて弱い自分なんて押し込んでしまえ。暗くてジメジメしたスターなんて必要ない。スーパースターを求めている。だったら心構えだけでもそうなるべきなんだ。僕はなんとなく好きなロックスターを思い浮かべた。


大きくなる不安。おぼろげになっていく期待。変わらず進む時間。全ては僕の味方じゃない。でも上手く付き合って行く相手だとは確信している。

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