第4話

 あめんぼあかいなあいうえお うきもにこえびもおよいでる

 かきのきくりのきかきくけこ  こんなのやってもいみはない


 新大阪の近くにある声優や漫画の専門学校、エンターテイメントメディア専門学校の声優学科に入って3ヶ月。ずっとずっとこんなことをやっている。発声練習、アクセントの座学、歌、ダンス、舞台役者からの演技の指導…


 一体いつになったら声優的な練習ができるのだろうか。僕はマイクの前に立って、声を届ける仕事をしたいと考えいた。そして今も考え続けている。なんでこんな学校に、声優専門学校にいるのだろうか。数ヶ月前、ゲロを吐きそうになりながら緊張して入学を待っていた僕はどこかに行ってしまったのかもしれない。


 周りを見渡せばみんなキラキラと輝きながら一所懸命に練習をしている。僕もレッスンは真面目に受けてはいるが、この連続になんの意味があるのかわからない。もっと声優としての訓練を。マイクに向かって声を出すにはどうすれば良いのか?カッコイイ声を出すにはどうしたら良いのか?そんなのまだ欠片も教えてもらっていない。


「佐倉さん、結構声が出るようになってきたわね。その調子よ」

「…はい! 頑張ります!」


 講師が佐倉を褒めた。佐倉巴、本当に普通。普通の大人しい女の子。入学時のオリエンテーションで近くに座った縁で少し話し始めた。どこにでもいるような地味で大人しい子だ。そんな子がどうして声優を目指したのかを聞いたら


「うち…お芝居好きやから…」


 と照れながら答えた事だけが印象に残っている。いつもニコニコして誰と話す時も少し照れた感じなのが可愛いという人が多く、クラスの男が妙に近づいたりしている。


「巴ちゃん! すごく良くなってるよね! 俺も負けずに頑張るわ!」


 この声の主、多田幸太郎もその1人だ。アニメと声優がやっているラジオが好きで異様に詳しい。僕が持っている「オタク像」を形にしている。チャームポイントは角刈りのような頭に巻きつけたバンダナだと本人は言っていた。


「男と女だったら勝ち負け関係ないだろ? そんな事言ってると皆に追い抜かされるぜ?」


 クラクラする。どこか漫画見たような言葉、アニメで聞いたような言葉、そんなのが飛び交っている。人間が普段使う言葉は日常の中でストックして人に向けて放つのが普通だと考えている。そのストックが偏っていたらその人の発言や話し方は偏った物になる。発する言葉とはその人が歩んできた生き方をそのまま映し出すのだと思う。話した感じで「この人と合うな」と分かるのは、言葉のチョイスなどが合えば、自分と触れてきた世界と近い人間だと思えるからだろう。


 中々クラスに馴染めずにいた。直方とは入学前からの付き合いもあり普段から一緒にいたが、クラスメイトは僕を違う部族と思っているからなのか1人でいる時にはあまり話しかけてこなかった。同じ部族の匂いを感じ取って同盟を組み部族が勢力を増していく。声優専門学校というジャングルの中に居場所を感じられなかった。そしてそんな居場所が無い人間が数人でてくる頃に、そのハグレモノが集まって部族になる。


「やっぱ私も馴染めないわ」

「だろうな」

「だろうなって何よ?」


 レッスンが終わって舞野とそんな話題を話していた。舞野は年上だと思っていたが同じ年齢だった。そして1人完全にオーラが違っていた。さらに実力もずば抜けていた。親が芸事をやっていた事もあり、子供の時からCMに出たりと芸能活動をしていたらしい。ヤング◯◯の表紙を飾れるような色っぽさもあり、クラスメイトのみならず他の学科の人間もビビって話しかける事も無く、みんな遠巻きに見ているだけだった。舞野ともオリエンテーションの時に仲良くなった。適当に話していたら同じ部族の匂いを感じて仲良くなった。


「あんたなんで声優目指してるの? なんかバンドマンみたいな雰囲気だけど」

「バンドは遊びでちょっとやったけどさ。昔から吹替えに憧れていてさ。舞野は?」

「だから紗英で良いわよ。名前で呼ばれる方が好きって言ってるでしょ? 私は宝塚に入りたかったけど落ちちゃったの。それでなんとなく声優も良いなって思ってさ」

「すごい」

「たいした事無いわよ。結果落ちたんだし」


 ワガママなお嬢様的な雰囲気と性格。全く人に媚びない雰囲気。そして芸歴あり。みんな講師から声の出し方やアクセントで注意される中、舞野だけは専門的なダメ出しなどを受けていた。何より、声自体が凄かった。周りを包み込む。そして世界が見える。もうプロでもやれるんじゃないのかと思えるレベルだった。


「まだ入学したばかりだしそう考えるのは早いんじゃない? ってまたオッサンみたいな事言っちゃったね」


 笑顔で会話に入ってきたのは河内泰だった。クラスの最年長で29歳の元サラリーマン。年齢以上に老けて見えるのは彼も他のクラスメイトと同じく服装に頓着しないからだろうか。伸びたらそのままジミ・ヘンドリックスのようなヘアースタイル。長身痩身なのでちゃんとした格好をしたらそこそこ良い感じになりそうな男だ。


「でも…最初の自己紹介から凄かったですよね。河内さんも含めて」

「やめてくれー!」


 頭を抱えてうずくまる河内、これが漫画やアニメなら「さもありなん」と感じられるだろうが、ここは現実世界だ。声優専門学校という異世界に近い場かもしれないが、リアル人間がリアルライフをしている場で当たり前にこんなリアクションが出てくる。思えば、入学後すぐにあった「声優学科1年・2年の合同自己紹介」でここにいる人間の雰囲気や傾向を掴めた気がする。しかし思い出してもあれは凄かった。

「俺は! 小学校から高校卒業までいじめれてました!」

「私…変わっているって言われていて…アニメだけが支えてくれました…」

「あ…あう…あの…その…うううう…うううううう…」

「な…名前…あの…やな……めぐみです…………」

「いじめられてきたから…青春を取り戻したいんです!」 

「社会人をやってからここに入学しました。社会人時代心を病んで人を殺そうとしたこともあります」

 何か怪しげなセミナーの様に皆が大きな声で自分のコンプレックスや志望動機を語っていく。真っ赤な顔をして名前だけ言って走り去った女の子もいた。僕は普通に自己紹介をして、高校時代にちょっとバンドをやっていたりとか当たり障りのないことを言った。もっとも、バンドはやっていたが、ライブなんてやってない。高校時代の陰キャラ同士で「キラキラしてる人の真似をしてみよう」と勢いだけで初めて結局は何もしなかったバンドだ。


「河内さんが1番パンチありましたよね。人を殺したいとかなんで言っちゃったんですか?」

「ちょっと!『殺したいと思った!』だよ~! 歪曲しないで! 何ていうか…僕より若い皆が正直な心でぶち当たっていくのに触発されちゃってさ」

「私は歌おうかなって考えてきたけど、途中で『私も過去の傷を言わないとだめ!?』てなっちゃったわよ」

「でも本当にここに来てる人は素直なんだと思うよ。不思議だよね。演技なんて嘘を吐く技術を学ぶ所なのに」


 本当の事を隠そうとしている僕は少し胸が痛くなった。しかし皆全力で何かをぶつけようとしている。そのキッカケは心の傷とかコンプラックスかもしれないが、原動力としてはエネルギー効率が非常に良いと感じた。


「ほんまやな」

「あ! 紀川! 学校内で関西弁! うまい棒5本ね!」

「紀川君、ごちそうさま」


 学内で関西弁を話すとうまい棒5本。毎日の中で少しでも足掻こうとする学生の浅知恵だ。ただ続けている。本当に意味はあるのか?東京出身の人間はやらなくても良いことをやっている。僕らは追いつけるのか。僕らは何になるのだろうか。未来を見つめることで現状の不安を隠す。そしてその隠している不安はいずれ白日の下にさらされる。


「お前ら残ってる? オッケー。じゃあちょっと集合」


間垣先生が全員を集める。いつもレッスンが終わると同時に連絡事項などを伝えるのに珍しい。


「えっと、連絡は2点。まず1点目、9月にチーム分けして朗読発表会やることになりました。さっき決まったので今伝えにきました」


 空気が変わった。朗読発表。誰もが自分の声を誰かに届けたいと願っている。そしてその場所が2ヶ月後に決まった。喜ばしいことだが、それと同時に一気に何かがのしかかる「このレベルの自分が発表なんて」そう思いながらも間垣先生の説明は続く、朗読は基本だとか、台本は全員同じのを使うが、好きに演出して良いとか、多くの説明が上滑りしていく。間垣先生の話しと共に声優をなぜ目指したのか、入学から今まで何をしてきたのかが頭の中をめぐる。基本、基本、基本。そればかりだ。声優的な事はほとんどしていない。


「という事ね。あと、2点目、最近休んでる島田が学校を辞めました。以上。じゃあ練習戻って良いよ」


 学校がはじまって3ヶ月、クラスメイトが辞めた。全く目立たず、レッスンでも声を出せとかのダメ出ししか受けず、気がついたら帰宅していた奴だった。だれも相手にしなかった。かと言って疎外もしていない。話しかけるタイミングだったり、なんとなくで話したりはしていた。そんな島田が学校を辞めた。


「間垣先生、どうしてですか? 言えない部分もある思いますが…」


 河内が聞く。全員が耳を澄ます。


「うーん、一身上の都合だよ。まあ、毎年数人はすぐいなくなる。お前らの1年上の先輩は確か7人辞めたな。そんな場所だよ。じゃあ、帰る時はちゃんと掃除して帰れよ」


 義務教育じゃない。高校だって辞める人はいる。しかし高校は入りたくて入る人間はほとんどいない。大抵は流れで入学する。しかし、専門学校、声優の専門学校は自分で望んで入学し、学費を100万円程支払う。そして3ヶ月で辞める。何があったのかはわからないし、家の事で問題が起きたのかもしれない。しかし、起こってしまった事に対して何を考えても想像の域をでない。思うことはあるが「そんな物だ」と考えていつもより力を込めてストレッチをはじめた。


「もう辞めるって凄いわよね。でも合わないなら今のうちにってのが幸せなのかもね」

「僕にはわかんないな」

「でも声優だけが人生じゃないじゃない?ありっちゃありなのかもよ?」


 教室に隅に積まれたストレッチ用のマットに座っている舞野と話す。壁全体に張り巡らされた鏡越しに河内の姿を見ると呆然とした表情をしている。


「河内さん、責任感じてるのかしらね? 関係ないのに」

「僕にはわかんないな」


 わからない事には触れないのが1番。わかる事と言えば今からストレッチをして鏡でアからンまでの口の形をチェックして、適当な教材を自分なりに読むのが大切って事くらいだった。

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