第11話

 本番当日、なんとなく早く起きてしまい、学校に向かったら一番乗りだった。質素で簡素。最低限だけの舞台を改めて眺めると、初陣にはこのくらいのが良いのかと納得してしまった。荷物を置いて舞台に立つ。僕だけが思いもなくここに居るのかもしれない。しかし、ここに居るという点では皆と同じだ。何ができるのか、何が起こるのか、多分たいして何も起こらない。でも、それが僕には必要なんだ。


 集合時間、会場のセッティング、リハーサル、昼休憩、全てが流れるように進んでいく。何故か緊張はしていない。緊張する以前にやることが多いからだ。何かに似ていると思ったら葬式だ。悲しむ暇もなく、やることが山積みになって四十九日を過ぎる頃には落ち着いてあまり思い出せなくなる。この朗読もそんな感じになるのだろうか。たまに痛烈に思い出して動けなくなる。そんな気持ちになるのだろうか。

 葬式だとしたら誰の、何のための葬式になるのか。多分僕だ、僕の葬式なんだろう。この朗読が終わったら何か変わっていないとダメだ。学校のカリキュラムとして存在してるって事は何かしらの変化を求められている。誰もが変わろうと思ってここに来ている。それに今まで練習してきた作品が今日終わろうとしている。30分もかからない朗読を2ヶ月程度をかける。演劇や芝居を知らない僕でも分かる非効率。その非効率の中には山ほどの不条理があり、その不条理が僕の中の条理を埋めていった2ヶ月だった。他人の意見を聞く、他人の演技を見る、他人の心を考える、僕は僕の世界で生きてきた。18年間生きてきた。その中で綻びや間違いもあったはずだけど、自分の世界だったから間違っていても致命的じゃない限りはどうとでもなった。舞野が周りと揉めた所からがスタートだった気がする。


 僕らは、声優は、人間は1人では生きていけない。最終的には1人で生きて行かざるを得ないとしてもだ。1人で生きるという事は、舗装されていない道を歩くような感じだと思う。だから一歩一歩迷うし、場合によっては進んでいるか戻っているのかの判断すら間違える。そこに人との繋がりや関わりを流し込んで真っ平らにする。真っ平らにしてからゲームのステージエディットみたいに構造物を置く。僕の場合は積極的に人と関わるとか、弱い自分を欺く嘘を配置した。それを数人で突破する。僕はステージを作ったゲームマスター兼プレイヤーとして参加する。そしてステージを突破する。エンディングは葬式だ。良く出来てる。


 僕には思いが無い。心を支える、ブーストさせる思いが無い。先日の会でそれを痛感した。思いにも嘘を吐けるのか?嘘で戦えるのか?そして一生嘘を吐いて行くのか?多くの思いを抱えて声を出す。普段と響き方が違う。僕の成長や思いじゃなくて幕が吸音するからだろう。そして、早めに来たクラスメイトが慌ただしくチームで確認をしたり、個人的に体を温める為にアップをはじめているからだ。いつの間にか仲間が集まっている。やっと皆の名前を覚えてきた。最初の内は興味なんて無かった。どうせ1人で頑張っていくしかないと思っていた。当たり前だけど全員に名前があって全員に物語がある。異なる物語の中で異なる主人公が異なる行動をして異なる結末を迎える。


 僕の物語はどう終わるのだろうか。


 はじまってもいないのに終わり先に考えてしまう。良い事じゃないけど悪い事でもない。この先ずっとずっと付きまとってくる思い。これは僕の物語だ。どう思っても良い。どう動いても良い。


「紀川ー! ちょっとチームで集まるよー!」


 これは紀川修の物語だ。


 朗読発表がはじまる。僕らは1番最初にやる。午前クラスと午後クラス合わせて8チーム。順番抽選には多田が行った。「午後1スタートなら何かあった時対策も立てられる!」そう意気込んで帰ってきたらこの順番を引いてきた。「1は!縁起が良いから!」そう弁解していた多田は今は緊張で石像のように固まっている。直方と河内はスクワットをやって体を温め、舞野は小さな控室に移動してきたマットの上に座って爪をいじり、南、佐倉、酒巻は小さく声を出してお互いに確認している。僕は冷静を装って震えている。


 多分全員がビビっている。この2ヶ月の練習が一瞬で判断される。ことあるごとに酒巻が「頑張ったんだから大丈夫!」と皆に声を掛ける。お題目のように「頑張ろう」と言い合ってきた。当たり前のことだろうけど、その当たり前を2ヶ月も続けたのははじめてだ。ぼんやりとしていると佐倉が近づいてきた。


「大丈夫?」

「え…?」

「うん…紀川君、緊張してるみたいだから…」

「大丈夫。大丈夫だよ。頑張ってきたしね」

「紀川君、舞台に立つの初めてだよね。私も緊張したな…でも、その緊張がずっと支えてくれてる」

「そっか」

「舞台ってやった事しか出来ないからさ。紀川君…頑張ったし大丈夫だよ」

「ありがとうね」


 ドアが開き間垣先生が入ってくる。


「よし、はじまるぞ。まあ、金を取って見せる舞台じゃないし、客も在校生だけだからリラックスしてやんな」


 深く一つ息を吐く。廊下はいつもより長く、曲がりくねっているように感じる。今から何をやるのかわからなくなる。僕は誰なのかも曖昧になる。物語と同化する。僕が物語になる。首を回しながら僕の前を歩いている直方も隣で台本を読みながら歩く佐倉も物語になる。舞台の裏に繋がるドア。この先には舞台がある。声優になろうと思った僕が最初に立つ舞台がある。僕は未来に向けて手紙を出すのだろう。未完成な僕は今からポストに投函する。多くの人の手に渡って遠い未来の僕に手紙が届く。そこには何が書いているのだろう。受け取る時はどんな僕になっているのだろう。僕は何になろうとしているのだろう。本質的にはわかってない。だけど、一つの目的の為に暗い舞台裏で緊張している全員が集まった。その無謀な目的の為に数多の手段を信じて文字を書こう。拝啓、お元気ですか?多分相変わらず色々と鬱屈していると思います。そう思うのは僕が今そうだからです。僕はこのままで良いですか?僕を見てどう思いますか?褒めてくれますか?答えは必要ないです。この手紙が届いたのならそれが答えなのだと思います。


「これより、午後クラスAチームによる発表を行います」

「よろしく」

「よろしくね!」

「ヨロシク!」

「頑張ろうぜ」

「よろしく~」

「頑張ろうね!」

「よし、やるか」

「多分大丈夫よ」


 照明が静かに落ち、世界が闇に包まれる。今までの頑張りや一緒にやってきた仲間の明かりを頼りに舞台に立つ。小さく弱くいつ消えるのかもわからない。だからこそ大切にできるのだと思う。照明、目の前、観客。100名程度、先輩や講師、真顔、現実が体を侵食していく。恐怖、ここはどこだ、僕は誰だ、どうする?何を?


「寒い冬が北方から、狐の親子のすんでいる森へもやって来ました」


 声!舞野、そうだ、はじまっている。僕はここに表現をするために来た。逃げるためじゃない。わかる。佐倉、直方、多田、河内、南、酒巻。紀川。紀川修。声が、言葉が教室に響く。響く。響け。よくわからなくなってくる。物語と僕が同化する。僕の物語と僕が同化する。高揚、狂奔、疾走。止まらない。最後まで進む。声、声、届け、誰に?誰でも良い。僕以外の人間全てだ。そんな力が僕にあるのか?無い。無いよ。知ってるよ。だからって今までみたいに。嘘を吐け。僕はこういう時やれる側だ。何を?何をだろう。学校に入ってから今までを信じろ。ここに居る事を信じろ。届け、届け、持っていけ、休むな、届け、何のために居る、恐れるな、自分を出せ、惑わされるな、出せ、僕が出さないと誰が出すんだ、飲み込め、間違えろ、叩きつけろ、強ければ良い、強く、強く出せ、巻き込め、裏切れ、今までの自分を裏切れ、戦え、ここで倒れたらもう終わる。何も隠す、今は何も隠すな、考えるな、計算するな。喜べ。この世界に立てた事を喜べ。

 島田、あいつは何をしているのだろう。人は居なくなるだろう。どんどん周りから人は居なくなる。僕はここに居たい。僕はここに居たいと思っている。出せ。だったら出せ。全部だせ。出すしかない。あと少し、もう少し、より過剰に、強く、僕のやれる事は一つだ。やる事も一つだ。連れて行ってくれ。僕も連れて行くから。届け、届け、届け、届け、届け、聞こえる。皆が戦っている。聞こえるんだ。聞かせるんだ。まだ午前中の大阪市内、周りのビルでは多くの人が働いている。周りの学校では多くの人が勉強をしている。僕らはこの部屋で自分と戦っている。初陣だ。今は何もわからないから出せ。出しつくせ。出せ。


「すると帽子屋さんは、おやおやと思いました。狐の手です。狐の手が手袋をくれと言うのです。これはきっと木の葉はで買いに来たんだなと思いました。そこで、『先にお金を下さい』と言いました…」


 出せ、出せ、出せ、帽子屋は何を考えている?どう思った?狐の手だ。この帽子屋は普段だったら狐だ!と思ったはずだ。でも妻や子供がいる。こんな寒い日に小狐が買いに来たんだ。そりゃ優しくもなるだろう。何を考えている?何を伝えようとしている。この帽子屋の物語はなんだ?それは僕の物語でもある。伝えろ、感じた事を、考えた事を。


 意識はどこまでも鋭敏で、窓から見える会社のホワイトボードも目に入る。この教室の天井は意外と汚れていて、僕らを見に来ている先輩の服装もイマイチだ。僕はもしかしたらこの世界を変えられるんじゃないか?僕はこの世界を統べているいるんじゃないか?どんどん感覚が鋭敏になり、何でもできるように感じる。空も飛べそうだ。ああ、終わる。朗読が終わる。舞野の声がまた聞こえてきた。終わらないでくれ。魔法が解けてしまう。ただのつまらない声優志望者に戻ってしまう。終わらないでくれ。ちくしょう。終わってしまう。どうしたら良いんだ。そうか。わかったぞ。もう一回、いや、もっと、もっとやれば良いんだ。ずっとやれば良いんだ。だからこれは終わりじゃない。休憩なんだ。わかった。少し休もう。落ち着いたらもう一回だ。休憩が終わるまでずっとずっとずっと研ぎ澄ませたままでいるから。だから、もう一回、もう一回この場所に立つ権利をください。


 朗読が終わり舞台の裏に戻る。音楽がフェードアウトすると同時に拍手がフェードインしてくる。幕の後ろで僕は観客に頭を下げた。祈りにも似た儀礼的な礼だった。練習で同じ事は何度もしてきた。学校で、家で、バイト先でずっと考えて声に出して練習をしていた。それと変わらないことをやったつもりだったのに、今、去来する思いはその時に感じられなかった何かだった。彼らが、観客が、僕の思いを届ける側が、受け取ってくれる人がいないと成立しないのだ。1人で表現活動を殺ることもできる、しかし、それを受け取る人がいなければただの表現でしかなくて、パッケージングされないのだ。受け取ってくれる人が居て成り立つ。そんな単純なことにやっと気がつくことができた。


 鼻をすする音が聞こえる方向を見たら、南と佐倉が目を真っ赤にしてお互いに泣きながら健闘を称え合っている。その奥では号泣している酒巻を舞野がめんどくさそうに抱きとめて頭を撫でたりしている。多田は皆に背中を向けて座り込み、その肩は小さく震えていた。

 教室を出るといつもの廊下が広がっている。一歩進むごとに硬い音が響き、鈍い音がするドアを開けて階段を登る。喫煙スペースには間垣先生や先輩が居た。


「おつかれ! 紀川君だっけ!? 良かったよ! 俺たちも頑張らないとって思ったよ。本当に良かった。」

「おつかれ。15分後に違うチームがスタートするからそれまでゆっくり浸っときな」


 曖昧な笑顔を浮かべて階段を上がる。喫煙スペースからは感想を話す声が聞こえる。人の反応を気にして生きてきた僕が聞く気にならない。多分、出し切れたからだろう。本当に全力で立ち向かって出し切って、そして届いてくれたのならどう思ってくれても良い。そりゃ良くは思って欲しいけど、それはそれだ。


 蝉の声も少し残り、魔貫光殺砲で粉砕したくなるほど燦々と輝く太陽が僕を貫く。やっとスタートラインに立つことが出来た気がする。


「おつかれ」

「いやー、緊張したね」


 直方と河内がいつもの調子で話しかけてきた。自然と右手を差し出し、2人と握手する。言葉は必要なかった。3人並んで大阪の街を見る。僕らは生まれも育ちも全然違うけど、大阪にあるこの学校に集まって声優なんて職業を目指している。改めて考えると凄く不条理だ。大きくて存在感のある不条理だ。だからこそ僕の条理を埋めてくれるのだろう。

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