第12話

 朗読発表は無記名の投票が行われ、優秀賞が決められた。ちなみに僕らは最下位だった。理由は「普通だったから」と多く書かれていた。

 僕らは普通だった。それが敗因だ。勝ち負けじゃないかもしれないが、勝ち負けの世界に足を踏み込んだのだから関係ある。僕らは負けた。他のチームは創意工夫をしていた。演劇調にやるチーム、衣装をあわせて世界観を作るチーム、思い切りアニメぽくやるチーム、勝手にセリフを増やしまくるチーム。誰もが「表現」をしていた。僕らは単純に朗読をした。個々の実力は高かった。特に舞野と南、そしてちょっと下に酒巻、男でも河内はちゃんと読める。結果発表を睨みつけるように見ていた南。唇を噛み締めてみていた直方。僕は彼らの足を引っ張ったのかもしれない。僕がいなければ、朗読を突き抜けて違った表現に立つことが出来ていたのかもしれない。何にしても最下位だった。これがプロとしての場だったら僕らには何も与えられていない。

 体を鉛が包み込む。どんどん動けなくなる。ただ動けなかった。そんな僕に無邪気な悪魔が爆撃をブチかましてくれる。


「紀川、お前のせいじゃないよ」


 直方が僕に言う。本当にただ素直にそう思ったのだろう。本当に素直に慰めるつもりだったのだろう。でも、この言葉が出るって事は僕は「ナメられている」と言うことだ。それも完全に。僕は直方の方を見て「頑張るよ。ありがとうな」と言うだけで精一杯だった。眼球をえぐり出し、耳にマイナスドライバーを差し込んで淀川から母なる海までプカプカとロングバケーションを提供したい気持ちになった。


 普通。普通を恐れる。普通は評価されない。なぜなら普通だからだ。普通。僕は普通で周りも普通だ。唯一の違いは僕は普通を正しいことと認識している事だ。

 誕生日の10月が近付く、10月になれば僕は19歳になる。10代最後の1年を声優専門学校で過ごすなんて考えてもいなかった。もしかしたら結婚しているかもしれないとか考えていた。それが今ではむさ苦しい愛くるしい連中と一緒に毎日芝居のお稽古をしている。普通の生活を目指していた僕はいつの間にか異形に憧れていた。この2年間でどれだけ異形になれるのか。考えたら舞野は他人の気持ちを考えられないし、直方はアニメか漫画の主人公みたいな振る舞いをする見た目は松尾伴内激似の男だ。多田は演じてるみたいなチンシンザン激似のオタク。酒巻はロリータ性欲モンスター。ちなみに林田とは朗読の後に別れたと言っていた。河内は元々殺意の波動に目覚めかけていたし南は演劇オバケ。クラスを見回すとそれなりの異形がいくらかいる。本当に普通の人間は視界にも入らないし、名前も覚えられない。そして僕はその中の1人なんじゃないかとゾっとした。佐倉も地味で大人しいが、最近は多くの人と話して食事に一緒に行っていたりする。


 朗読が終わって僕は練習のやり方が少し変わってきた。がむしゃらに同じことをするのではなく、他人に言われた事を噛み砕いて自分に最適化する方法で進めていた。ただ続ける。ただただ続ける。今までそれができなかった。理由が無かったからだ。大切な事をやらない理由は山ほど浮かぶ。忙しい、今は違う、ノらない、後でもできる…避けてばかりの毎日だった。声優専門学校に入って1番変わったのは「やる事をやる」それに尽きる。それでも結果が出ないのは今までやったこなかった事と単純にセンスと才能が無いからだ。それはそれで良い。期待する手間が減ったと思えば安い。

 初めての舞台は僕に多くの気付きと足りてなさを教えてくれた。あと1年半程で、足りない部分を埋めていく。1人で燃え上がっているつもりの僕を冷ますのはクラス内に吹き荒れる恋愛の嵐だ。一足早い冬将軍は伊良部が投げる球のように159kmで僕を切り裂くカマイタチをぶん投げてくる。あっちこっちでボンクラがボンクラと付き合い、不器用に愛を語り合うことでスパークする。南と井波の2人はナミナミと呼ばれて、上手く行っている2人の象徴のようになっている。


 今まで満たすことができなかった青春がここにはある。僕もスクールカーストは低かった。いじめられたりは無かったが、友達が彼女と遊んだりしているのを羨ましく眺めていた。【専門学校に入れば何かが変わるかもしれない】そう信じたクラスメイトはどんどん変わっていく。男はKOFの八神庵とかマトリックスの主役が着ているコートみたいなのを買って着飾る間違った方向に突っ走って行く人間が多いが、女の子は舞野に服の流行りを聞いたり、酒巻が週末にクラスの女の子を引き連れて三宮などに買い物に出かけようとしていた。誰もが変わろうとしている。形からでも変わろうとしている。


 恋愛をやる余裕は無い。僕は直方を、まず直方を倒そうと考えている。僕と同じ、勢いとパワーで突き進むタイプ。今後発表や声優事務所のオーディションがある。その時に比べられるのは直方だ。普段よく喋るし、たまに遊びにも行く。近くにいるからこそ疎ましく感じ、直方に世話を焼かれるたびに心の中に一筋のヒビが入る感じがした。恋愛、将来への希望、夢へ近付く道程、誰もが前向きにポジティブに心の宝石を磨いている中、僕は忸怩たる思いで心の泥沼にタールを一段と流し込む。前向きに生きられない。多くの人が僕を見ていない。多くの人が僕を舐める。実力がはっきり出る場所だからこそ、僕はその思いに囚われた。


「また怖い顔してるよ」


 鏡を見つめながら心の沼をかき回していたら不意に佐倉に話しかけられた。


「なんでもないよ。もっと頑張んなきゃなって思っただけだよ」

「紀川君頑張ってるよ」

「頑張ってもできないって事?」

「…そんな事…言ってないよ…」


 佐倉が悲しそうな顔をして教室を出て行く。佐倉は妙に僕に近づいて話しかけてくる。佐倉も直方と同じで僕を舐めているのだろう。最初、佐倉と僕は似ていると思っていた。お互いに普通から抜け出せないからだ。しかし佐倉には声優になるための確固とした意思があり僕には無かった。僕だけがこの教室の中で本当に目指していない人間なのかもしれない。「こいつら適当に目指しくさりやがって」と他のクラスメイトを見ていた目線が一周回って僕を突き刺す。僕の目線が僕を突き刺す。僕はもっと僕を出さないとダメだ。最低な部分を隠す嘘を吐きながら、心のエンジンを高らかに鳴らして進まないといけない。馴れ合っていてはいけない。馴れ合って良いのはできる人間だけだ。強くなり、「普通」から逸脱しない事には何もはじまらない。

 十代を駆け抜けると同時に異形として生まれ変わり、この学校を後にして東京に行く。声優になるのはその後からでも遅くない。何事にも順序があり、大きな目標を達成するには小さな目標を一つずつ倒すしかない。僕も皆と同じようにこの時間を楽しみながら学びたい。でも、それはできない。できない側の人間だからだ。


 レッスン後、今日の復習を延々とやる。そうしないと不安でしょうがない。同じレッスン、同じ時間、それでも成長速度が違う部分に才能というのがあるのか?だったらそれを打破する為にありとあらゆる練習をする。本を読む、テレビを見る、生の芝居を見る。欲しいのはただ一つのアウトプット。それに必要なのは無限に近いインプット。非効率的な行動を繰り返し、その先に何かがあると信じてやるしかないのが声優志望者だ。

 誰がどのように羽ばたけるのかはわからない。だけども翼を動かすのは自分自身だ。絶望的な状態だけど絶望はしていない。まだ、まだ半年なんだ。声優になるためにこの学校に入って生まれ落ちる事に成功した。入れずに消えてしまった命もあるだろう。島田のようにすぐに辞めてしまう事もあるだろう。僕はなんとか半年生き残った。その「生」は偶然なのか?わからない。だから外堀を埋めて必然にする。毎日が不安に包まれている。だから必然に縋るために毎日を燃やして前進するエネルギーに変える。一日を燃やす事で何日分進めるエネルギーになるのか。限りある資源、豊かな未来、足掻く現状。もしかしたら僕はヤバい方向に向かっているのか?皆、正しい方向に向かっているように見えるのに僕だけが違う方向に向かっているのか?皆はどうやって正しい方向をチョイスしたのだろうか。それすら出来ない僕は声優を目指す価値すら無いのではないか?一秒ごとに不安が大きくなる。それを粉砕するために毎日を燃やす。その繰り返しで日々を過ごす。


「あんた、ちょっと良くなってるわね」


 積まれたマットに座って僕の練習を眺めていた舞野が珍しく声を掛けてきた。


「自分でどう良くなっているかわかんないんだよね」

「良いんじゃない? 私も気持ち良くできたわよ」

「どういうこと?」

「あんたが1人でセリフ読んで練習している時さ、掛け合いがある場所だったら私がその相手役のセリフを頭の中でやって合わせてたの」

「舞野も練習するんだな」

「するわよ」


 少し照れくさそうに笑って目線を台本に戻す。舞野には何を言われても気にならない。性別が違うし実力も違い過ぎるからだろう。それに舞野は人を下に見る時も感情が一切篭っていない。ただ見た事を見たままに言っているだけに感じた。だから嫌味に聞こえずに受け入れられるのだろう。


「声に出してちょっとやってみる?」

「良いわよ」


 マットから降りて少し背伸びをする。無防備にヘソや腰が見えたので直方の居る位置を鏡で確認する。ガン見していたので嫌がらせのつもりで目線を遮る位置に立つ。やるのは仕事で遠くに行く男と気丈に見送る女の掛け合いセリフ。


「本当に行くの?」

「ああ…行くよ…寂しい思いをさせるけど…ごめんね」

「謝らないで。大丈夫よ。こう見えて私は結構強いのよ?転勤先で違う女と仲良くなったら許さないんだからね?」

「そんな事あるはず無いだろ!?たく…もうすぐ離れ離れになるのにどうして喧嘩なんかしなきゃなんねーんだよ」

「……寂しいからに…決まってるじゃない…」


 なんだこれは。違う。レッスンで違う女と合わせた時と全く違う。言葉が相手に届いているのがわかる。ただ声を出し、声を受け取る、それができている。できていないとおかしい部分ではあるが、まず殆どの人間ができない。1人で感情的にアニメっぽい声を出して「良い声~!」なんてクラスメイトに褒められて終わりだ。でもこれは違う。何か違う。何かが分かりかけている。明確に言葉にできないけど、凄く大切な何かがすぐ近くにある。


「じゃあね!頑張ってきて!」


 舞野の言葉で掛け合いは終わった。頭の中がぼんやりとしている。今のはなんだったのだろう。痺れた頭の中に舞野の言葉がするりと入り込んでくる。


「うん、良いじゃない。やりやすいわね」

「どう…やりやすいの?」

「なんだろう、演じようって気持ちが薄いからじゃない?」

「それはダメな事じゃないの?」

「ケースバイケースね。そりゃ演技なんだから多少やった方が良いわよ。でも、それが大きすぎるとただ自分のやりたいことをやるだけになるでしょ? 相手がいるんだから相手に心からの言葉かけりゃ良いのよ」

「僕は…良くなってるの…?」

「どうだろ? 悪くは無いんじゃない?だって私がやりやすいんだもん。じゃあ帰ろっと。また明日ね」


 舞野の言葉を何度も繰り返す。まだ頭の中が熱い。


「凄かったね」

「河内さん…見てたんですか?」

「何か異様な空間が出来上がってたよ」

「やっぱ舞野上手いですね」

「うん…でも…紀川君も良かったと思う」

「マジですか?」

「なんだろう、芝居って感じだった。レッスンとは何か違ってた」


 僕の体には血が流れている。赤い血が流れている。その血に何か別の物が混ざった気がした。自分じゃない血が。


「紗英ちゃんと…よろしくやってたじゃん」


 直方が漫画やアニメから拾ってきたような言葉を使う時は何かキメに来ている時だ。確実にさっき舞野と一緒に練習をしていた事を嫉妬している。


「ああ、うん。付き合ってるからね」

「マジでやめろって」


 いつもの直方いじりをしたつもりだが、今日は妙に突っかかってくる。


「嫉妬してんの?」

「そんなんじゃないよ…」

「じゃあなに?」

「俺さ…近いうちに…紗英ちゃんに告白しようと思ってんだよね」

「うわあ」

「うわあってなんだよ。やってみなけりゃ分かんないだろ?それに最近…紗英ちゃんと仲良いんだよね」

「例えば」

「今日とか…レッスンで俺の発表の後拍手していたし」

「それは全員では…」

「違うよ…あれは何か…特別だった…」


 直方が1番顕著だが、皆、ちょっとした行動にストーリーを付けすぎる気がする。多田は挨拶されただけで「俺に気がある!」と思ってしまうタイプだ。最近は小技を覚えたのか「俺はマッサージがうまい!」と言いまわり、なんとかクラスの女に近づき触れようとしている。さっきも酒巻にマッサージを持ちかけてドン引きされていたが全く気がついていない。恋愛への鈍感さ。それはある種宝かもしれない。僕はある程度の反応ができる敏感さは持っているのでそこだけは優越感を感じていた。直方が言う「どれだけ舞野と俺が仲良しか」を丁寧に否定し続けていると佐倉がちょこちょこと近づいてきた。


「練習見てたよ」

「どうだった?」

「良かったと思う。…紗英ちゃんと仲良いね」

「付き合ってるからな」

「…」

「紀川! だからその冗談やめろって!」

「冗談…? そっか。そうだよね」

「巴ちゃん! 俺…紗英ちゃんに告白しようと思うんだけど…どう思う…?」

「え!? 直方君が…?」


 佐倉は自分の心の引き出しをひっくり返して1番傷つけないで無理と伝える言葉を探している。さっきは僕を小馬鹿にしてきたみたいだったのに直方には気を遣っている。もしかしたら佐倉は直方の事が好きなのかもしれない。考えたら直方と喋っている時もよく近づいてくる。なるほど。直方は鈍感だ。女の気持ちがわかってない。だからこそ残酷な返しをしているのだろう。


「そうだよ! 俺が告白するんだよ…上手くいくと…思うかな?」

「え!? え! ええっと…」


 佐倉が慌てながら助けを請う目で僕を見る。その時僕の目はこの宇宙の誕生を見ていた。何も見るべきでは無い。映る世界こそが僕の世界で耳に入るノイズを視覚情報で埋め尽くすのだ。インナーワールド。ただインナーワールドへ。


「い…良いんじゃないかな…うん…言うのは…伝えるのは…自由だと思う…」

「だよね!よし…ありがとう巴ちゃん…俺…告白するよ…紗英ちゃんも…僕のこと好きだったらどうしたら良いかな…?」

「え…知らない…」


 何も聞こえない。何も聞かせてくれない。人間は都合よく出来ている。僕は壊れかけたラジオのように佇んでいる。対象的に威風堂々と教室を出ていく直方を見て僕と佐倉は何とも言えない、言いようのない表情をしていた。


「佐倉は悪くないよ」

「うん…でも…どうなるんだろう…」

「どうにもならないだろうな」

「うん…」


 あっちこっちで恋愛の花が芽吹き、実ったり腐り落ちたり呪詛にまみれたりしている。普通に仲良くなって付き合う人間もいたら唐突に告白してぶち壊れていく。直方、多田はそんな感じだった。考えてみたらあと3ヶ月もしたらクリスマスだ。恥辱と汚辱にまみれた中学高校を終えて声優専門学校で花開く人間も多い。僕は前しか見ないふりをするのが精一杯だった。


「佐倉はいるの?」

「何が?」

「好きな人」

「…内緒」


 そう言えば河内さんが佐倉が可愛い可愛いってよく言うようになっていたな。何か暗雲を感じる。暗雲に足が生えてエッサホイサと駆け寄ってくる音が聞こえる。僕は蚊帳の外にいるだろう。それは寂しいことではあるが、声優を目指す学生としてはありがたい事なのかもしれない。

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