第13話

 10月に入り誕生日が訪れた。今までは親がゲームソフトを買ってこいとお金をくれる日として認識していたが、今の僕からすると若干の恐怖を感じる。ただ練習。ひたすらに練習。ナレーションを読み、芝居の台本を読み、アクセントを学び、発声法を学ぶ。それだけで半年過ぎた。入学する前には「ここに入って半年もすれば良い声になっていて将来も若干光り輝く」と考えていたが、全くの見当違いだった。学校と仲の良い制作会社からの仕事は二年生や舞野、南などの上手い人間が取っていく。僕は相変わらず中の下ほどの能力で流れにのる事もできずに濁った沼の水面で陽光を浴びてよだれを垂らしているだけだった。

 自分なりの努力はしている。その努力に意味があるのかは不明。しかしやらないと何もならない。多くの思いが大きなジレンマを生み出すが解消することはできない。ジレンマはある程度の推進力を持つ何かとして機能し、僕の心と肉体を燃やして進んでくれる。学校に到着し、教室のドアを開けると、誰かの誕生日の時に恒例になっている皆からのお祝いの言葉とちょっとしたプレゼントを貰う。酒巻は誕生日ごとにクッキーを焼いてくるが、今回はナッツやドライフルーツが入った感じのでちょっとドキドキしてしまった。少し豪華だからもしかして僕に…なんて考えるけど、こんな事に物語を見出していたら最終的に道に落ちてるビニール袋にも過剰なストーリーを付けてしまうのでヤメた方が良い。普段、人の誕生日に全く興味がない舞野が、何故かハンカチをプレゼントしてくれたのはびっくりした。そこにストーリーを付け足そうとしたが危険な香りがするのでやめておく。


 今日は対象を意識するレッスンだ。まず1人が立つ。その先に背中を向けた3人の異性。その中の1人にありったけの思いを込めて話しかけるレッスンだ。これは声優になった時、きちんと対象に向けて声を届けることができるのかの練習だ。僕達は絵に合わせて芝居をする。その時に普通に声を出していては距離感もへったくれもない。だから対象に声を飛ばす練習をする。今までは向かい合って声を掛け合う練習だったが今回から少し難度が上がった。そして危険な予感がする。いや、まさか。神聖な稽古場で私利私欲を纏う不届き者はいないとは思う。そう信じている。講師がやり方を説明する。


「今回は、ちょっと難しいよ。声を出す方は1人に向けてなんでも声を掛けて。それで声を受ける3人は『自分だ!』と思ったら手を上げて。わかってると思うけど、相手の名前とか特徴言うのは無しね。はい、スタート」


 最初に挑戦したのは僕だった。いつもなら4~8番目位の「最初じゃないからやり方はわかってるけど、まだ方法論とか定まってないから失敗してもドンマイドンマイゾーン」で挑戦をしていた。しかし、たまたま講師の前に座っていた僕は「紀川、あの位置で立って」と言われるがままに移動してスタートしてしまった。どうする?最初だから適当にやってお茶を濁すか?いや、今日は誕生日だ。新しい自分にならないといけない。これはもしかしたら声優の神様からのプレゼントなのかも知れない。やってやる。5mほど離れた椅子には左からクラスメイト1、酒巻、佐倉の順番で座っている。なんて声をかければ良い?どうしよう。そうだ、何が一番欲しい?金?金貸してくれ!違う。権力?おれの奴隷になれ!違う。彼女?…何か違う気がするが1番わかりやすいか。いや、でも恥ずかしい。いや、今日は誕生日だ殺人以外は何をやっても良い日のはずなんだ。よし。相手はそうだなあ、クラスメイト1はいつも吉田か吉野かわからなくなるほど印象が無い。典型的な吉野顔なのに吉田だったか?どっちだ。酒巻はなんか嫌だ。増長されそうな気がする。佐倉で良いか。


「あの! ちょっと…あの!」


 やるぞ。ギアを踏み込め。


「僕と付き合ってください!」


 教室が静まり返る。そんな僕はそんな事をやるキャラじゃないからだ。一回踏んだアクセルを緩めると崩れ落ちる現実に飲み込まれる。このまま進むしかない。

「君が好きだ! ずっと好きだった! 絶対に幸せにするから! だから僕と! 僕と付き合ってください!!!!」


 本心とかそんなのはどうでも良い。今は届ける。声を、思いを全力で対象に届ける。恥ずかしさを捨てる。真新しさを求める。全力で、ひたむきにただ全力で。その思いとは裏腹に3分ほど声を出し続けたけど誰も手を上げなかった。


「聞いてた3人に感想聞こうか。吉本どうだった?」


 吉田でも吉野でも無かった。


「なんだろう…私かな?って気持ちはあったんだけど…なんだか違うって感じて…」

「酒巻は」

「うう~!吉本さんと同じです~!でもなんかドキドキしました~!」

「佐倉は」

「………よくわかんなかったです………」


 また失敗だ。でもこれで良い。自分のやりたい事はできた。しかし、この行為はこの後の私利私欲ワンダーゾーンに続く毒蜘蛛の糸だった。最初に言うが責任は感じている。


「君が好きだ! 好きだ! 好きだ!」

「あなたの事が好きです!」


 ワンダーゾーン、それは絶望と混沌の果てにあるワンダーなゾーンの事だ。板張りで壁に鏡が張り巡らされた50畳ほどの部屋は今や最狂のワンダーゾーンになっていた。聞く側の3人に好きな人や恋人が居ると全員が愛の言葉を囀るからだ。神聖な稽古場で何をさらすか。そりゃ僕は佐倉に愛の言葉を伝えた。でもそれはそれが1番効果的だと感じたからだ。そんな私利私欲に使われるなんて思ってもいなかった。

 その後も狂乱の告白パーティーは続き、全員終わった所で休憩に入った。


「絶対に忍ちゃんに届いてたわ!恥ずかしくて手が上げられなかったんや!」

「多田君、もう良いじゃない」

「照れてたんやろなあ!」

「わかったよ。わかった。関西弁だからうまい棒ね」


 恥ずかしくて手が上げられないとかそんなことあるはずが無い。皆、その一言が言えなかった。多分優しさがあるからだ。あっちこっちで感想戦が行われている。なんだか居づらい気持ちになり教室を出るとトイレから戻ってきた佐倉と鉢合わせた。


「あ…紀川君…」

「おつかれ」

「さっきの…だけど…私に…言ってくれてたよね…恥ずかしくて…手を挙げられなかったの」


 そんな事はあった。


「そっか。良いよ良いよ。伝わってたなら俺も嬉しいからさ」

「それって…」

「対象を意識するって難しけど、なんだか少し掴めた気がする」

「………そっか」


 佐倉は見たことがない引きつった笑顔で教室に戻っていった。僕と同じ『普通』な感じだったのに、何か掴んだ僕がそんなに疎ましいのか。若干の腹立たしさを覚えて用を足し、後半戦を乗り切る気合を入れた。


 その後は題材で使っている台本を読み進めた。声を掛ける対象を明確にするだけでもここまで違うのかと驚いた。一つ一つを着実に積み重ねていく。今日は恥ずかしさから解放された。明日は何ができるようになるのだろうか。そしてその次の日は何ができるようになるのだろうか。毎日やれる事を増やして、やれなかった事を打破していく。その繰り返しだ。


 レッスン終わりの教室。今日は妙に場がざわついている。まるで風が強い日に西中島南方と中津を繋ぐ橋を渡った時みたいに教室全体が揺れている。外に繋がるドアは教室のど真ん中。圧倒的淀川を感じるドアから左の西中島南方エリア見るとカップル&仲良し男女、右の中津エリアを見ると1人ひとりが思うままに練習をしている。何か妙な空気だ。僕はこのドアの向こうには喧騒塗れる十三駅があると信じて飛び出した。なんだろう、教室が異様な雰囲気だ。恋だ。恋の桃色時空が飛び出している。キッカケは多分僕だ。僕がレッスンで皆の恋の蕾に肥料をぶち撒いてしまった。


「そんな方法があったのか」


 人の発表を見ているとそう感じる事が多い。こんな新しい表現があったのかと舌を巻く。しかし今回の僕が取った行動を見たクラスメイトは「そんな告白方法があったのか」と勘違いしたに違いない。中学高校と恋愛に恵まれなかった人間が多い。それは世界が違うからだ。ゴライアスバードイーターと南海電車は恋をしない。お互いに認識もしないだろう。そんな感じで違う世界、現実的平行世界に居た。趣味も夢も何もかもが違う人達、それがこの場所、声優専門学校にという場所で同じ目的と夢を持ったボーイズアンドガールズが集まる。ゴライアスバードイーターはゴライアスバードイーターと、南海電車は南海本線、線南海高野線、高師浜線、少し離れた所で泉北高速鉄道と出会い、お互いの行く末は同じ難波駅だぜと語り明かし、その存在を近くに感じる。言うなれば同じ世界と地平を見つめる存在と出会い自然と惹かれ合う。悲しいのはお互いに近付く術を知らず、噛み付き合ったり正面衝突を起こす。それが半年も経てば大分スムーズになり、くっつきあったりする。恋愛は教室全体を包み、高校時代のヤンキーカップルのように同じ夢を持つ独り身を笑い認識しなくなる。僕も認識されない1人だと自覚してトボトボと非常階段を上がる。カンカンと硬質な音が鳴り響く中、羨ましいと思う心を足音に込めて高らかに強く歩く。屋上に着くと流石に少し寒い。秋風が寂しさをくすぐりながら冷笑を僕に浴びせる。


「あら」


 珍しく舞野がいた。背伸びをして「ふぁあ」と息に混ざった声を出す。


「あんた今日良かったじゃない。今までと違ったわよ。何か振り切れたの?」

「誕生日だし気合入れただけだよ」

「できるんだったらいつも気合入れてりゃ良いじゃない」


 そう言った舞野は子供のようにケラケラと笑う。


「3人に伝わんなかったしね」

「そう言えば誰に声掛けてたの?佐倉?」

「恥ずかしくて手を上げられなかったらしいよ」

「なにそれ? 佐倉らしいわね」

「舞野、今日も凄かったな」

「ああ、わかってくれそうな人を選んで声掛けたもん」

「なんで多田だったの?」

「多田は聞きたがるからよ」


 今日の舞野は凄かった。講師がスタートと言った後ずっと黙っていた。教室が張り詰める。僕もクラスメイトも講師も場所も時間も全てが一本の線になるように細く収縮していく。一本の線は暗黒の中の唯一の光となる。誰もがその光を見てしまう。それしかないからだ。世界が形を無くしてしまう中、舞野だけがその地平に経っている。祈りにも似た感情。何か声を掛けてくれ。誰もがそう思った時に舞野は口を開いた。


「殺すわよ」

「ごめんなさい!!!!」


 多田の悲鳴にも似た声が僕らを現実に引き戻すと同時に、舞野との圧倒的差をファンタジックに感じた。


「殺すって凄いよね」

「思いの入った声は届くのよ」

「怖いよ」

「ふふん」


 舞野は意外と子供っぽい。クラスメイト達は舞野をお姉さん扱いするが、近くで表情を見ていれば、本当に小さな子供のように変わっていく。直方があれだけハマるのも分かるなって時に直方が階段を上がってきた。階段を昇りきらず、首から上だけが最上階の床に転がったさらし首のようになっているのはこの後の悲しみを描いた神の作品だったのではないかと思う。僕が舞野といた事に嫉妬したのか、直方はさらし首として言葉を紡ぎ始めた。とびっきりの笑顔を作っている。母なる大地に「呪」と刻んでエンバーミングした物がその笑顔に近いだろう。彼なりのとびっきりは世界のそれっきりとなる。


「ああ。いたんだ」


 何事にも動じない舞野が引いている。


「恋って…良いよね」


 さらし首は呪詛の言葉を新大阪で喚き始めた。ニュービッグ阪ホラーストーリー。世界は確実に終わりを迎えつつある。


「紗英ちゃん。恋、してる?」

「………いえ…」


 小さな声で返す舞野、恋人がいないとわかった直方はゆっくりと階段を上がる。さらし首が海坊主となった時、この世界の邪悪が全て舞野に牙を剥いた。


「俺は恋してるよ。紗英ちゃんに」


 日本だけじゃない、ユーラシア大陸、アメリカ大陸、オーストラリア、全ての地域の小さな駄目の集合体が新大阪に集まったのを僕は見てしまった。


「無理」

「照れてるの?」

「いや、無いから」

「不安?」

「ちょっと勘弁してよ。ねえ紀川、あんた友達ならなんか言ってあげて」

「僕は…関係ないし…」

「紀川、僕が紗英ちゃんを幸せにするから見ていて欲しい」


 直方、少し変わった人間だと思っていたがまさかここまで。どうしよう。逃げようにも階段には海坊主がいる。僕の攻撃力では突破は難しい。周りは壁。柵の外は死。もしかして飛び降りるのが1番早いんじゃないのか?


「紗英ちゃん? 俺じゃ駄目?」

「無理よ! あんたさ、告白するならもっと普通にできないの? もっと人間らしくさ!」


 直方の表情が変わる。思い描いたストーリーじゃないからだ。しかし追いすがる。ニコニコとした表情を崩さず、ケミカルウォッシュのジーンズに手を入れ、プロフィール写真の時に学んだ半身の姿勢で愛の言葉を紡ぎあげる。次々に拒否する舞野。この僕は世界は亜空間と絶望で構成されていることが理解できた。


「あー! わかんないの!?」

「わからないのは紗英ちゃんさ」

「あんたほんまになんなん!?」

「関西弁も可愛いね」

「こういう事だから無理なの!」


 舞野は僕に向かって歩いてくる。眉間にアブドーラ・ザ・ブッチャーみたいなシワを寄せ、一直線に僕に向かってくる。目を閉じて僕の顔に顔を近づける。殺される!と感じた僕は反射的に目を瞑り、それと同時に唇に冷たく柔らかい物質が当たり、初詣のたびに母親にねだった綿あめのような甘い香りが鼻腔を駆け抜けた。それと同時に僕の体を貫く殺意も駆け抜けた。直方の表情は見る物全てが「お腹痛い?」と聞きたくなる笑顔を貼り付けて止まっている。その感触を脳内に刻み込んでいると、もの凄く早い足音が階段を降りていくと同時に新しい生首が見えた。佐倉だ。

 佐倉の普段から夜中の猫みたいにクリクリしたその目が一段と大きくなった。普段は控えめなその口は北斎が描く富士山のように大きくあんぐりと開いて止まった世界を飲み込もうとしていた。


「助かった…あら。あらららら」


 僕から離れて階段に見える生首を見つめている。僕も生首から目を離せない。


「佐倉、違うの。安心して。直方が告白してきたの」

「なんで直方君が告白したら2人がキスしてるの?」

「身に危険が迫ってたからよ。でももう大丈夫。私、紀川が好きとかじゃないから。ね、ちょっと。あ…」


 佐倉は直方を上回るスピードで階段を降りていった。僕はまださっきの刺激が脳に突き刺さったままで、目に映る世界が古いビデオテープを再生した時みたいにノイズまみれの風景を見ていた。


「最悪なタイミングで来る子ね。どう説明したら良いの?」

「さっき佐倉に言った通りじゃないかな」

「でしょ? でもそれで納得しないわよ。あんたにも悪い事したわね」

「どういう事?」

「あんた佐倉と付き合ってるんじゃないの?」

「なんで?」

「え!? 違うの?」

「ちょっと待って、どういうこと?」

「あんた直方の自意識と全く逆ね」


 舞野はゆっくりと階段を降りていく。今日は色んな事が起こる。起こりすぎるほどに起こる。神様が僕に数年分のプレゼントを送りつけたのかもしれない。柵に体を預け大きく息を吐く、奪われてしまった。初めてだったのに。舞野に奪われてしまった。そりゃ舞野はグラビアアイドルの乙葉の目を若干きつくした感じで見た目は悪くない。でもこんな形で僕が襲われるなんて。今後の人生で無理に人に口付けを迫るのは辞めよう。男の僕がこれだけ心にダメージを食らったのだから女性だったら大変なことになるだろう。


 縋り付くように柵に体を預け、なんとなく唇を柵に押し付ける。若干塩気を感じる鉄味と冷たい関学が唇に伝わる。うんうんと数分唸っていると肩を叩く存在が。佐倉だ。


「さっきはごめん…びっくりしてしまって…紗英ちゃんから聞いたよ」

「ああ…良いよ。僕もびっくりした…今日はびっくりしっぱなしだよ」

「誕生日だもんね」

「それ関係ある?でも、クラスでそこまで目立ってない僕にこんなに沢山の事が起きたのは嬉しいな。なんだか主役になった気分だ」

「誕生日か…だったら言っちゃおうかな」

「何を?」

「私、紀川君が好きだよ」


 佐倉を見るとくしゃくしゃの笑顔を一つと何故かボディブローを一発。その後は妖精が絵本の国に帰るみたいな足取りで階段を降りていった。


 しばらく動けなかった。脳内のメモリが足りずに処理が追いつかなかったのだ。舞野のキスと佐倉の言葉。人生で初めての経験を2つ同時に経験しただけで僕の脳は完全に思考を止めてしまった。今日、僕は19歳になった。この年齢まで恋愛らしい恋愛をせず、周りと僕は違うと考えているだけだった。僕は周りの恋愛にかまける人間を「今までそんな経験が無かった人達」と考えていたが、なんという事だ。僕も彼らと同じだった。自分はまだマシと思うことで、劣等生でありながら辛うじて自尊心を保っているだけだったのだ。


 僕はクラスメイトを劣った存在と考えていた。声の力で、芝居の力で負けている。ならば人生の力でマウントポジションを取り、常識のチョークスリーパーを極めれば良いと考えてしまっていた。それをやらないために、そこから逸脱するためだけにやってきたはずなのにまた同じ間違いをしてしまっていた。


 うつむくと冷たい灰色のコンクリート、見上げると暗い空。中途半端な高さから人工的な明るさを見下ろすだけの自分が遠くに見えた。「もうやめよう。変わるんだ」この半年で何回をそう思ったのかも思い出せない。それだけ膨大な数を思ってきた。行動は5回にも満たない。僕は勇気を持っているのか。何かを作るのは簡単だ。先を見てただやればいい。しかし、その為には変わらないと行けない。自分の弱さや頼りなさを自覚して変わらなければいけない。


 方向性は間違っているとは言え直方は変わった。舞野に告白するまでに。「イケる」と思えるほどに自分に自信を持つことができた。誰とも話さずに自分勝手にふらふらしていた舞野は僕や南や酒巻や佐倉にアドバイスをするようになっていた。佐倉は男性が怖いと言っていた状態から僕に告白をするようになっていた。多田も河内も酒巻もなにかしら変わっている。変化は良い方向にばかりおきる物じゃない。悪い方向に突き進んでしまう事もある。悪い方向に「進む」。進んでいる。僕みたいに立ち止まってもやもやした発言を繰り返して堂々巡りをしているんじゃない。どんな方向にでも進んでいるのだ。


 皆が遠くに行ってしまう。僕は高い位置から見下していた。その高い位置はどれだけ高さを積み重ねても前に進む事は無い。必要なのはその場から離れる事なのに僕は高さを積んで遠くを見た気になっているだけだ。本当に変わるってどういう事なのか。嘘を、できる限り嘘を吐く事で今まで過ごしてきた。


 もしかしたらこの方法が間違っているんじゃないか?


 半年、もう半年このスタンスでやり続けてきてしまった。今から変えるか?デメリットが多すぎるし嘘を吐く事でメリットがあるかもしれない。またこの考え方だ。今確実に見えているデメリットを見ないふりをして見えた事がないメリットを追い求めてしまっている。僕は怖がっているだけじゃないのだろうか。本当に嘘を吐くなら本気で吐けば良い。どこか空虚で、それだけでは不安で少しの事実で嘘を誤魔化そうとしていた。


 嘘は、嘘はもしかしたら基本装備じゃないのかもしれない。レベルアップと共に手に入れられる装備の一つではあるかもしれない。でも、この考えも僕にとって都合の良い考えなのかもしれない。何が正解なのか見えなくなる。今まではがむしゃらにやっていけば良かった。どうせ何も見えないからだ。多少なりとも演技を学び、少し視界が開けた瞬間何も見えなくなった。「道が見えない」と気が付いた瞬間本当に道が消えてしまった。


 遠くに今まで上から見下ろしていたクラスメイトが手を繋いで歩いている。確かにその場所はある。皆がそこにいるからだ。上から、もっと上から、さらに上から、安心のために、保身のために上から見降ろしていると距離が離れてしまっていた。単純な能力じゃない。それよりも大切な事がある。そんな気がする。明確な理由は無い。だけど僕が1番恐れているのがその見えない部分だから正解に近いはずだ。時間が進み能力が積み重なり未来が近づき不安は増大する。いつも「このままじゃダメだ」と感じている。舞野や直方をはじめ、皆が素直だ。素直にできることをやり、しなければいけない事に取り組んでいる。誰もそこに嘘は介在していない。介在しているとしても誰にもわからないようにしている。僕の正解はどこだ?答えはまだ見つからない。

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声優専門学校における爆裂する十代と駆け抜けた声春 ポンチャックマスター後藤 @gotoofthedead

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