第21話 三宮お買い物ツアー

 土曜日、三宮駅改札をでてすぐの立ち食い蕎麦屋付近の柱に背を預け、行き交う人々をぼんやり眺めていた。


「お待たせ」

「……柳?」


 いつもと全く違う。メガネを外し、うっすらと化粧をし、フードにファーが付いた黒のコート。その下にはグレーで所々ラメが光るニットワンピース。髪にはゆるやかなウェーブがかかっている。そして胸元には小さな体からは想像できない2つの塊が。僕があっけに取られているのに気がついたのか、柳が恥ずかしそうに口を開く。


「舞野…プロデュース…」

「良い。すごい良い」

「乳見るな!」

「胸じゃないって。全部、全体的にすごい良い」

「ほんま?」

「沢村より全然良い」

「ほんまやんな!?」


 意図せずに出した自分の声に照れたのか体当たりをしてきた。蛹から蝶になるなんて言葉があるが、目の当たりにすると言葉が上手くでなくなる。


「おまたせ~」


 存在しているだけで空気が変わるオーラを纏い、柳以上に部位が主張する服を着た舞野がやってきた。FとF。これがファイナルファンタジーか。


「紀川は相変わらず地味ね。柳はやっぱり似合うじゃない! 私が中学生の時に着ていた服だけどサイズが合って良かった」


 2人の買い物、主に舞野が柳に合いそうな服やアクセサリーをひたすら買う旅。他人に興味が無さそうだった舞野と他人に心を開こうとしていなかった柳が語らって笑い合っている。


「これ、あんたに似合うんじゃないの?」


 赤黒青白が入り乱れるクレイジーチェック柄のシャツを渡され、愛想笑いを浮かべ適当に流す。舞野は自分を知っている。柳は自分を知ろうとしている。僕はわからないので保留しようとしている。勧められる服に煮えきれない答えを出し続けていると、舞野が優しく丁寧に僕を諭す。


「あんたは人に見られるのにビビってるのよ。誰もあんたを見てないわ。存在すらしてないわよ。見られたら必ず良いか悪いかになるの。その判断をしてもらえるのは見てもらえた人だけよ」


 派手な花は花粉を運ぶ虫に見つけてもらうために強固な意志でそうなった。存在したくて進化した。そうでもしないと淘汰される。僕らは来年、場所を奪い取らないといけない。この居心地の悪さも明日の成長に繋がる。そう思いながら立ち寄ったファミレスで食べたくもないホットケーキを注文した。


「簡単なんだね…変わるって…」

「変わんないとダメ。私もそうだったもん。子供の時からずっとずっと歌とかダンスとか叩き込まれてさ。それで宝塚受験を失敗してこの状況よ。落ちた時は全部が無くなったわ」


 舞野はアイスティーを一口のみ、ぼんやりと窓に目をやる。


「でも落ちて逆にすっきりしたの。そこから親の言う事だけ聞いてたのを変えてみたの。性格は悪くなっただろうけど、あの頃よりは楽しいわね」

「私…沢村を見るまで何も考えてなかったかもしれない……」

「他人なんてどうでも良いと思ってたわ。子供の時からずっとね。でも学校で皆を見てると…あの時落ちた理由がわかった気がする」


 舞野は窓から見える三宮の忙しない風景を眺め、息を小さく吐いてから言葉を続ける。


「周りが見えて無かったのよ。だから誰にも見られなかった。アフレコ発表辺りでそれに気が付いたわ」

「気が付いて……それからどうしたの?」

「自分を肯定したのよ。私は最高ってね」


 少しの沈黙。こらえきれなくなった柳が「バカじゃない?」と笑う。そこからは雑談になり夕方には解散した。柳は今日1日で変わった。僕も1年かけて変わってきた。だからこそ、僕も少しだけ自分を肯定しよう。肯定できる部分を考えた結果、多少バンドが好きで少しギターが弾ける程度だった。何もなさにクラっと来てしまったがとりあえずは肯定は完了。帰りに難波の古着屋でライダースの革ジャンを買った。革に染み込んだオイルの匂いを嗅ぐと頭の中で音楽が流れた。余計な欠片を細かな粒子に変えるほどの爆音で。


 今日はアフレコのレッスン。題材はアニメ。数年前に放送されていた魔法使いの一行が活躍するファンタジーコメディー。アニメは苦手だ。役が何を考えているのかわからないし状況が良くわからない。自分が役に近づこうと考えても、自分の想像力を数歩超えた場所に役がいる。

 洋画も巨大ロボットや超能力者が出てくるがそこにいるのは人間だ。だから自分に当てはめることができる。僕はアニメに対して当てはめる事が全くできなかった。今日も自分のチームの発表を終え、ダメ出しは「中途半端」と一言もらっただけだ。ブースを出ると、レッスンを見学に来ていた数人の1年生が頭を下げて出迎える。集まっている1年生から少し離れた所に沢村が1人で座り、目が合うと小さく会釈した。


 柳と舞野がいるチームが始まる。舞野が柳に何かを伝えると二人して沢村を見つめた。沢村も二人を見ている。沢村もレッスンなどで柳と似ていると言われているのだろう。座り直してペンを持ち、芝居を聞く体勢を作る。

 講師が声をかけスタート。柳の役は明るくハイテンションな主人公。先週全く出来ていなかった。陰気なキャラが無理して明るいセリフを吐き出しているだけだった。今日は真逆だ。見た目も全く違う。肌の露出が上がった柳が小さな体を大きく使い演じている。

 講師も驚いたようでこのチームのダメ出しは柳と舞野に固まった。一緒のチームだった酒巻も悪くは無かったが、いつもと違う二言程度のコメントだったので戸惑っていた。テンパりすぎてめちゃくちゃになった直方は「頑張ろう」とだけ言われて体を塩の塊に変えた。


 柳は階段を数段飛ばし、小さな体で大きく空を舞った。その後、休憩に入ると佐倉や酒巻が柳に「可愛くなったね~!」とか「演技も変わっていた」などの言葉をかける。舞野も嬉しそうに話に加わっている。そんな中、沢村がその一団に近づく。


「素敵でした…」

「みんなあんたらより1年長くやってるんだもんね」

「そうじゃなくて…舞野先輩が素敵でした…」

「私?」

「はい…」


 柳は僕に背を向けて立っているので表情はわからない。しかし確実に感情のギアが1段上がっている。


「本当に…憧れています…私も頑張ります…」


 柳はその場を離れ、台本を見ながら紙パックのお茶を飲みはじめる。ストローから口を離した時、その先が平べったくなっていた。

 柳の存在はアフレコ発表で一緒になるまで意識したことがなかった。上手くも下手でもなく、存在感も無かった。それが数日で変化に成功した。だったら僕も、僕もあのくらい行ける。存在を、存在を叩きつけることができる。僕はまだ、強くなれる。

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