第18話 階段を昇る

 南は次の日もその次の日もいつも通りに登校し、レッスンを受けた。全身で毎日を楽しみ、挫折や成長を受け入れる。受け入れた先には自主退学の道。なのに一日一日を味わい尽くし、最後の一滴まで舐め取るようにレッスンを受ける。

 社交的な南は自主練が終わった後、クラスメイトとファミレスやたこ焼き屋でお喋りをして帰るのが好きだ。最後の日が近付くにつれて多くの人との時間を過ごす。今日は一人でいることが多い柳も一緒に行った。


「涼子ちゃん…あとちょっとだね」

「僕達はしっかりやらなきゃな。佐倉は行かないの?」

「毎日一緒だから、今日は練習しようと思って」


 まばらに人が残った教室で僕と佐倉はのんびりと練習を開始する。そこに直方や八木沼や酒巻も入ってきて合同練習。ナレーションを回し読みして感想を言い合う。1時間ほどの練習が終わり雑談に講じていると、やはり南や河内の話題になったが「どうしようもない」という所に着地する。直方は河内と連絡を取っていたらしく、状況を聞かせてくれた。


「精神的な部分でかなり参っているらしいよ」

「そんなの甘えじゃねえ? 俺だって病むことはあるぜ?」

「八木沼君ひどい~! 心のことってそんな単純じゃないんだよ!? 良くなるには時間がかかるだろうけど……早く帰ってきて欲しいな~!」

「どっちでも良いよ。ライバルが減ったし」


 八木沼の考えは正解に近い。ライバルが減った。一年後のオーディションで戦う相手が減った。それだけ憧れへの距離は縮まった。そう思うべきだ。僕が感じてる河内への思いは、河内を下に見ているから生まれている。戦う相手として見るなら八木沼が正しい。

 会話が一段落すると、八木沼と酒巻は帰り支度をはじめ、挨拶もなく教室を出た。

 僕も荷物をまとめ、佐倉、直方と一緒に学校を出る。妙に胸がざわつき、高架を走る御堂筋線を数本見送り二人に声を掛ける。


「ご飯でも買って河川敷でも行こうか、まだ寒いけどさ」


 コンビニでおにぎりやジュースを買い、河川敷に向かう。入学からもうすぐ1年。淀川を隔てた中津・梅田の景色は変わらないが僕らを取り巻く状況は日々変化を続けている。寒空の下、できる限りゆっくりとおにぎりを食うのは変化に対しての抵抗だ。食べ終わるとやはり南の話題になった。


「涼子ちゃん、楽しいって思ってたかな」

「朗読もアフレコも凄かったよな。俺は出られなかったからずっと聞いてたけど、南はやっぱり凄いよ。紗英ちゃんも凄いけど…何か違うんだよな」

「どう違う?」

「辞めるって聞いたから分かるけど、毎回毎回の思いが違ったんじゃないかな」

「私…朗読が終わった後に聞いてたの。何度も相談受けてたの。でも…何もできなくて…涼子ちゃんから誰にも言わないでって…」


 アフレコ発表の配役が決まった時のことを思い出していた。南と仲が良かったから喜んで泣いただけじゃなくて、知っていたからなのだと理解した。そして前に佐倉が言った「このままみんなで頑張りたいね」を繰り返していた。ずっとこのままなんて不可能だ。時間は進む。進んでしまう。


「俺…決めたよ」


 直方が夜景を見つめながらつぶやく。


「もう1回、紗英ちゃんに告白する」

「なんでそんなにひどいことするの?」


 佐倉の切なる思いも届かない。誰もが結果に抗い、戦い続ける。



 襟元から入り込む風が優しさを増す頃、1年生最後のレッスンがはじまる。南はいつものように鏡の前で息を吸い、強く吐く。その様子を眺めていると井波がストレッチを一緒にやらないかと話しかけてきた。僕は快諾し、全身の筋肉を確かめるように伸ばしていく。


「井波は凄いな。南のことがあってもさ」

「涼子ちゃんが決めたのなら…見守るだけだよ。涼子ちゃんなら、どんな道を進む事になっても…」

「なっても?」


 井波は笑顔のまま答えない。横目で南を見ると学生とは思えないオーラを出している。小さな南はレッスンがはじまると大きく見えるが、今日は一段と大きく凛々しい。1年生として最後のレッスンは水堂先生のナレーションだ。このレッスンはやりたい人が挙手制で進んでいく。自信が無い、踏ん切りが付かない人間はやらなくても良い。やらないことに付いては水堂先生は何も言わない。南はいつもトップか2番手でやっていた。それが今日は一人ひとりの発表を楽しげに聞いている。

 続々と手が挙がり発表が進む。僕は1年間の全てを出そうとして空回りしたが、納得のできるナレーションができたが「それを最低ラインにして絶対に落とさないで。落とすと時は声優を諦める時よ。来年も楽しみにしています」と地獄のコメントを貰えた。手を挙げる人がまばらになってきたが南はまだ挙げない。多くの目がチラチラと南を見る。数分後、全ての目が南に向いた時、水堂先生が南に声を掛けた。


「私はね、やる気が無い人がやらないのは許せるの。やっても意味が無いでしょう?」

「……」

「南さんは声優になりたい?」

「でも…私は…このレッスンが終わったら…」

「教えてくれる? 現状はどうでも良いの。南さんが声優になりたいのかを教えて」


 答えを言えずに俯く。時間は進む。進んでしまう。時計の音、そして水滴が原稿の上に落ちる音だけが聞こえる。


「絶対に…なりたいです」


 溢れる涙が言葉の輪郭をぼやかす。だからこそ純粋な思いが形となり、味気ない教室を美しく舞う。それを水堂先生が受け止め。優しく撫でて南に返す。


「将来、お互いにプロとして会いましょう」


 世界から音が消え時間が止まる。南が作る表現を求める気持ちが、いなくなる寂しさを上回る。世界に対して誇らしげに旗が上がり、優しく強い声を未来に届けた。それはまるで祝詞のように。


 そして南はステージを降りた。階段を一つ昇りながら。

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