第2章 2年目~卒業

第19話 追われる立場と追いすがる者

 地獄だ。なぜなら新入生の自己紹介を見ているからだ。ある人間は頭が真っ白になり口をパクパクさせ、ある人間は似てないモノマネで場を凍りつかせ、ある人間は過去のトラウマを叫ぶ。

 全声優学科生が入る教室は去年より広く感じた。この1年で僕らの学年は8人辞めた。たった1年で辞めた。ある人間は打ちのめされ、ある人間は自分を知り、ある人間はどうしようもなく。

 目の前には新1年生と2年生になった僕たち。妙に心が燃え上がらない。僕らを見ていた2年生はどこに行ったのか。事務所や養成所が決まり東京に行った人、大阪の事務所や劇団に入った人、どこにも行けなかった人。そんな事を考えながら自己紹介をやった。


 後輩ができると説教がしたくなるのか、直方や多田は偉そうに声優としての心構えを話した。何も知らない後輩はうんうんと頷き無垢な目で話を聞き入る。

 今日の司会をしている酒巻が次の1年を呼ぶ。1人の女の子が自己紹介の舞台に立った。腰まである黒髪、フランス人形のように端正な顔。上品な黒のワンピース。目を背けられない誘引力を持つ子が微笑んだ時、多くの男が恋に落ちただろう。


「沢村雪です…よろしくお願いします…」


 たった一言の自己紹介だったが、この場にいた人間は一発でその名前を覚えた。見た目も印象に残るし、何より声が良い。脳に自然に届いて一度聞いたら耳から離れない。そんな沢村を誰よりも強く見つめている人間がいた。手入れの形跡が見えない腰まである黒髪、化粧っ気はないがフランス人形のように整った顔、どこで買ってきたのかわからないダサい服。


 柳だ。


 ヤクザすら逃げる目をして唇の左下を噛みながら見ている。1年も学校にいると相手の強さが見えてくる。自分より下の相手は無視できるし。上の相手は、絶対に抗うことができないベテランや別属性なら気にならない。しかし、同じコミュニティーに属し、尚且つ相手が年下だったら。そして相手が自分の上位互換ならばどう立ち向かえば良いのだろうか。

 柳と見た目も声質も被っている。1年経験を積むと1つ下の人間に追われることになる。追ってくる人間は選べない。


 自己紹介のあと、2年は1年と歓談タイムが設けられたが柳はさっさと帰った。僕はどう付き合ったら良いのかわからず、積まれたマットの上に座りこの後のことを考える。この後、河内の家に行く約束がある。あれからまだ復帰はしていないが、メールでは復学は考えていると教えてくれた。


「そこ、私の場所なんだけど」

「ああ…ごめん」

「柳、どうするのかしらね? あの子、結構やるんじゃない?」


 舞野はアフレコ発表から柳と話すようになっていた。教室の中だけでの付き合いらしいが、いつも仏頂面の柳は舞野と話す時だけ多少の笑顔を見せる。その時、小さな影が視界に入った。舞野と同時に影を見ると件の沢村が立っている。


「何か用かしら?」

「……」

「なんとか言いなさいよ」

「…迷っていたんです」

「何をよ?」

「この学校に決めたのも2月に入ってからで…アフレコ発表で、舞野先輩や紀川先輩たちを見て入学を決めました…よろしくお願いします…」


 はにかみながら小さく頭を下げた沢村はクラスの輪に戻っていった。お世辞なのはわかっているが、舞野だけでなく僕も見て入学を決めてくれたという言葉が嬉しかった。思いが少しでも届いたのかもしれない。


 河内の自宅は高槻の高級住宅街にあった。まず門がある所が完璧に高級だ。玄関のチャイムも♪マークが書かれた簡易なスイッチではなく、カメラが付いている。呼び鈴ではなく自然とチャイムと呼べる佇まいがある。


「遠い所までありがとうね」


 河内は自然に振る舞うが、学校でよく見たシャツとジーパンを履いている。色々と辛いなか、河内なりに気を使って迎えてくれたのだろう。玄関に入ると中庭が見え、その先にも住居スペース。河内によく似た神経質そうな女性は母親だろうか。軽く挨拶をして廊下を進み階段を上がると2階も部屋が多い。そのうちの一つに入ると、自宅で一番大きな八畳間の倍ほどある広さ。しかし河内からはイメージできない室内だった。漫画が詰まった本棚に小学生が使うような机、まるで子供時代から時間が止まったような雰囲気だ。河内と同じく大卒社会人の兄の部屋はヤングマガジン、ロッキング・オン・ジャパン、ファッション誌などが散乱している。少し戸惑っていると河内が飲み物を持って戻ってきて座椅子に座るよう促された。

 コーヒーと茶菓子を挟んで河内と相対すると緊張が違和感を隠す。言うべきことは一つ。その言葉をいつどのタイミングで出そうかを考えているといつも通りに河内がリードしてくれた。


「アフレコ、どうだったの?」

「思っていた以上に上手くいきましたよ。新入生で僕とか舞野を見て入学を決めたって言ってくれる子もいました」

「そうなんだ、迷惑かけちゃってごめんね」


 何を言ってもそこに帰結するのは分かっている。だから早く言わねばならない。ここには僕1人で考え、1人で来た。河内も分かっているはずだ。コーヒーは苦手だが、口の中に広がる苦味が脳の火照りを冷ます。


「復帰は……できそうですか?」


 沈黙、沈黙、沈黙。この場合、沈黙は否定だ。肯定ならすぐにでも答える。


「僕は河内さんに戻ってきてほしいです。あれからクラスも纏まらない感じで。八木沼がまとめ役になろうとしてますが、誰も言うこと聞かないですね。それでも性格はかなりマシになったんですけど」


 おどけて言うが沈黙は続く。クラスにまとまりが無くなったのは本当だが、それも収束しつつある。僕の本音は「河内と切磋琢磨したい」なのだが、それを言えないのは照れやライバル心なのか、それともライバルが減って欲しいからなのか。


「みんな、河内さんを信じてますよ」


 言葉に詰まり、とったに出した言葉に河内が反応した。大人がこんなに泣くのかと思うほどの涙を流し、全身を震わせている。女性の涙は酒巻で飽きるほど見たので慣れたが男の涙は現実感が消える。泣く男と異様な部屋の雰囲気が混ざり、ぬるい汗が頬を伝う。


「僕は……みんなに合わせる顔がない」

「そんなことないですよ。河内さん、めっちゃ賢いし、社会人経験してきてめちゃくちゃ頼りなりますよ。アフレコの時も……別に河内さんが悪いとかじゃないですよ。心のこととか全然わからんけど、体調が問題なんやしほんま気にしないでくださいよ」


 河内が激しく泣き出す。心の傷はそこまで深いのか?僕はまた対応を間違えてしまっているのか?しかし、言葉は出てしまった。言葉が出るともうゼロには戻らない。プラスかマイナスだ。だったら少しでも声をかけてプラスに向かう確率を上げる。


「僕ら、一緒に戦ってきた戦友みたいなもんですやん。正直、チームに多田が入った時は、それはそれでしょうがないと思いました。でも、アフレコ終わった後に、やっぱり仲間と戦って、ぶつかり合って進まないといけないと感じたんです。あの八木沼と柳が終わった後に号泣しとったんですよ。それだけやれるって、絶対に一人じゃ無理やし、河内さんに1人で抱えてほしくないって思ったんです。強い部分も、弱い部分も出し合いましょうよ」


 ぶつかり合うのが怖いと言っていた河内には酷かもしれないが、そうしないことには強くなれない。ぶつかり合うことが怖いなら僕が緩衝材になる。他人を世話を焼いている場合かとも思うが、河内はそれをやった。誰かの世話を焼き、誰かを手伝うことで成長してきた。だから僕はそれをやろうとしている。


「もう一回、やりませんか?丸裸でやりましょうよ」

「だから! そんな資格ないんだよ! 綺麗事ばっかり言いやがって!」


 殺されるかと思った。そんな感情の塊が僕の体を直撃した。体を震わせ立ち上がる河内を唖然と見つめる。激昂の理由がわからない。生来のものか?それとも社会人の時の傷か?わからないまま逃げてしまっては昔の僕に逆戻りだ。もう戻らない。そのままでは僕は声優になれない。


「誰だって資格なんかないですよ! なんの資格もない人間でもやれば成れるかもしれないんですよ? その中で、河内さんは大学出たり社会人やったりして、そのままでも生きていけるのに覚悟決めてここに来たんでしょう? その覚悟があれば良いじゃないですか!」


 河内は笑った。笑顔からは程遠い冷たい声で笑い、あまりの異様さにゾっとした。河内はしばらく笑ったあと、感情が入っていない声をだす。


「もう少し体調が良くなったら復学するよ。ちょっと考えすぎていたかもしれない」


 なぜこのタイミングでその言葉が出るのか。さらに表情は晴れ晴れしている。追い出されるように部屋を出て、階段を降りる時には近くに安くて美味いとんかつ屋があるなど、今日という場にそぐわない話題を話しはじめる。広い家の長い廊下が更に長く感じる。違和感が強烈なスピードで全身を駆け巡る。言葉では河内は戻って来ると言った。その言葉だけは信じたい。ドアから出ると、来た時と変わらない陽光。軽く挨拶をして帰ろうとした時、どの感情かわからない声が背中に当たる。


「全部嘘なんだ。ごめんね」


 振り返った時にはドアは閉まっていた。帰り道、何が嘘なのだろうかを考え続け、ある種の答えは見つけたがしっかりと見る勇気は持てなかった。

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